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1978年1月3日にテネシー州ナッシュビル郊外の小さな町ハーツヴィルで、クリスティンとドナルドのロック夫妻の間に誕生した。
キンバリーが7歳のときに両親が離婚、彼女は母とともにテネシー州ギャラティン市に引越し、そこで小学校低学年時代を過ごす。
キンバリーは生来の音楽好きで、最初に歌った記憶は、初めてダブルカセットレコーダー付きのラジオを母親に買ってもらったときに始まっている。
ジャネット・ジャクソンやホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロスなどを聴いて育ったキンバリーは、祖母が持っていた膨大なレコードのコレクションから選んで好きなシンガーの歌を聞いた。キンバリーの家族は音楽一家で、彼女はよく自分の「最初のバンド」で、いとこたちをバックにつけて歌っていた。しかしキンバリーが友人たちと女の子だけのグループを組んだのは中学1年生のときが最初だった。彼女たちはグループ名を“Shadz
of U”と名乗り、その活動は今も続いている。
キンバリーは高校で合唱団に入ったが、団員の中から男女合わせて上位20人しか選ばれない高校の上級グループ“The Performers”に、すぐに昇格した。このとき既に卓越した歌唱力を持っていたが、ここでより歌唱力が磨かれたとキンバリーは語っている。高校を卒業してベルモント大学に入ったキンバリーは、ここまで親しんだ音楽を止めてしまう。
その後、親友に地元のバンドへ誘われて初めて、キンバリーはナッシュビルのいろいろなバンドで歌うようになる。まもなくキンバリーは、トップ40の曲を歌うグループ“Black
Widow”や、引退した教授たちのバンド“The Imperials” (ドラマーはジェームス・ブラウンと共演したことがある) と一緒に人前で演奏するようになった。そして、キンバリーは在学中、ナッシュビルの地元のバンドで6年間演奏を続けた。しかし、徐々に「義務でやっている」気分になってきて、40歳になってもクラブで歌っているなどということにはなりたくないと決意した。
キンバリーは22歳で、彼女は人前で歌うことをやめた。
その時のことをキンバリーはこう語っている。
「音楽をすっぱりやめて、大学を出て、ロースクールに入ったの」
「学問を続けて、去年の10月にNashville School of Lawへ入ることになっていたんだけど、そのときに義理の姉と友だちから『American
Idol』のオーディションを受けるように勧められたの」
「まあ…やってみてもいいけど、と思ったわ」キンバリーは気乗りがしなかった。
だが「やってみなくちゃわからない」という友人の勧めで、キンバリーは思い切ってオーディションに出てみることになった。
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