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  • [この一枚 No.100(最終回)]

    ■2017年5月付 ~仲道郁代/有田正広/ショパン:ピアノ協奏曲第1番、第2番~
    「なぜオリジナル楽器(古楽器)で演奏・録音するのですか?」という質問への一つの答えとして1枚の絵を例えてみよう。ルネサンス絵画を代表する作品であるボッティチェッリの「プリマヴェーラ《春》」は15世紀末にメディチ家の為に描かれてから500年もの年月の中で、煤や埃さらに19世紀に行われた修復の悪影響もあり、1970年代までは画面全体が森の中のように薄暗く、女神たちの足元は何が描かれているのかよくわからない状態だった。しかし1981年に行われた大規模な修復により絵はオリジナルの明るさと色彩を取戻し、さらに女神たちの足元にはフィレンツェ近郊に自生する500種もの草花が描かれていることが判明した。まさにフィレンツェの春の野の情景が蘇えって、改めてこの絵の、また画家の素晴らしさを再認識させられたという…

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  • [この一枚 No.99]

    ■2017年4月付 ~エリアフ・インバル/シェーンベルク:グレの歌~
    1974年、エリアフ・インバルはドイツのフランクフルト放送交響楽団の音楽監督に就任した。 ドイツは歴史的に小さな国の集合体だったため、今でも各州の独立性が高く、各州の放送局は独自の音楽番組を制作・提供するために自前でオーケストラを抱えている。このオーケストラは日本で例えるならば、東京、大阪、名古屋に次ぐNHK福岡放送局のオーケストラの音楽監督とでも言えるだろうか。それまでフランクフルト放送交響楽団はクラシック音楽市場では殆ど無名のオーケストラだったが、1982年からインバルによる「ブルックナー交響曲全集」(第1稿による)がテルデックにより発売されると、その新鮮な演奏が注目されるオーケストラとなり、更に1985年から始まった…

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  • [この一枚 茶話-6]

    ■2017年3月付 ~モンテヴェルディへの誘い~
    今年(2017年)はイタリア初期バロックの大作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)の生誕450年にあたり、世界各国でこの作曲家の作品が演奏、録音されている。「モンテヴェルディ?聴いたことないな」と呟かれる方もコンサートやオペラで全曲は聴いてないにしろ、一部分ならば必ずといっていいほど耳にされたと思う。NHK-FM平日夜19時30分からの番組「ベストオブクラシック」において、ヨーロッパの放送局が収録した音源を放送するときに必ず冒頭で流れる勇壮なファンファーレ、あれこそがモンテヴェルディのオペラ《オルフェオ》冒頭のファンファーレである。とてもセンスの良い選曲だと思う。そして作曲者は3年後に再び《聖母マリアの夕べの祈り》の冒頭のオーケストラ部分にこのファンファーレを使い、まるでヴェルディの…

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  • [この一枚 No.98]

    ■2017年2月付 ~スメタナ四重奏団/ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲《アメリカ》、弦楽六重奏曲~
    2008年、JR代々木駅近くの録音スタジオに日本コロムビアの録音、クラシック&ジャズ制作、宣伝、営業の各関係者とメモリーテックのスタッフが集結し、メモリーテックが開発した高音質CD(HQCD)と従来のCD、さらにクリスタルCD、そしてそれらとマスターテープとの音質比較試聴が行われた。1982年10月、CDが発売された当初はCDプレーヤからの再生音質はマスターテープとは大きな開きがあった。その主な原因は高音質というレベルでデジタル音声の信号処理を行うCDプレーヤのデジタル、アナログ回路がまだ未熟なことであったが、ともかくCD誕生から今日までCDソフト側とCDプレーヤ・メーカー双方で再生音をマスターテープに近づける努力がなされてきた。 CD製造技術に絞ると…

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  • [この一枚 No.97]

    ■2017年1月付 ~ウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブル/南国のバラ~
    「コンニチワ」とウィーン中心街の小さなホテルのロビーににこやかな笑顔で現れたのは元ウィーン・フィルの理事長、ウィルヘルム・ヒューブナー氏であった。1986年春、フランクフルト、アルテオーパーでのインバル/マーラー:交響曲第6番「悲劇的」の録音に立ち会った足で向かったのはウィーン。有名な「黄金のホール」(ウィーン楽友協会大ホール)の見学が目的だったが、当時日本コロムビアの社内には楽友協会へのコネクションが少なかったので、大学時代の恩師W氏に相談し、ヒューブナー氏を紹介して頂いた。ヒューブナー氏は楽友協会の裏口を顔パスで入り、無人の大ホールに案内してくれた。まず驚いたことはステージが…

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  • [この一枚 No.96]

    ■2016年12月付 ~アファナシエフ・プレイズ・モーツァルト~
    「反田恭平/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/パガニーニの主題による狂詩曲」のCDジャケットで、トリノ録音チームの中に懐かしい別津春人君の名前を見出した。「別津春人?そんな名前はどこにもないよ」と訝しがる方もいらっしゃるだろう。「別津春人」とはゲルハルト・ベッツが日本に留学していた頃使っていた和名だからだ。ドイツ、デトモルト音楽大学で音楽と録音技術を学び、トーンマイスターを志す彼は1980年代後半日本に留学して東京や京都で日本語を学ぶ傍ら、日本のレコード会社や放送局で録音制作の実習を積んでいた。日本コロムビアを訪ねてきたのもその一環だった…

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  • [この一枚 茶話-5]

    ■2016年11月付 ~オルガン録音とマイクロフォンスタンド~
    1974年12月第1回PCMヨーロッパ録音の一環としてドイツ、シュトゥットガルトの福音派記念教会で行われたヘルムート・リリング演奏のオルガン録音(J,S,バッハ:オルガン名曲集、J.S.バッハ:教会暦によるオルガン・コラール集)はその後約10年に及ぶヨーロッパ各地でのオルガン録音の始まりであった。この録音を担当したデンマーク人のフリーのプロデューサー/録音エンジニアのピーター・ヴィルモースは彼の録音人生のきっかけが恩師のオルガン演奏の録音であったことから、オルガン音楽とその録音に造詣が深く、これまでにもヨーロッパ各地のオルガンをマリー=クレール・アランなどの名オルガニストと共に録音していた…

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  • [この一枚 No.95]

    ■2016年10月付 ~クイケン/寺神戸/ラ・プティット・バンド/モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲~
    バロック・ヴァイオリン奏者の寺神戸亮さんから自らがコンサートマスターを務めるベルギーの古楽オーケストラ、ラ・プティット・バンドの音楽会への招待があったのは1993年8月だった。 「今度インスブルック古楽音楽祭で僕たちのオーケストラがオケ・ピットに入ってオペラをやるんですよ。面白いから是非聴きに来てください」 えっ、インスブルック?今住んでいるドイツのデュッセルドルフからは800km以上も南東に離れているじゃないか。でもクイケン指揮ラ・プティット・バンドの演奏を聴いてみたいし、イザークの「インスブルックよさようなら」で知られる古い街を訪れてみたいし…

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  • [この一枚 No.94]

    ■2016年9月付 ~ドレフュス/スカルラッティ・14のソナタ集~
    エッフェル塔を間近に見上げるパリ中心部のセーヌ河畔のアパルトマン。日本コロムビアの洋楽・録音担当者達にとってこの部屋は1974年12月の第1回ヨーロッパ録音以来、毎回訪れる場所だった。 この部屋の主はハープシコード奏者のユゲット・ドレフュス。 彼女とデンマーク人のフリー録音プロデューサー/エンジニアのピーター・ヴィルモースとは音楽を通じて、深い友情で結ばれていた。FAXもメールも携帯電話も無い時代にヴィルモースはパリに出てくるたびにドレフュスの部屋に居候していたので、必然的にそこが日本コロムビアの録音スタッフとの打ち合わせ場所となっていた。 その頃の彼女はドイツ・グラモフォンのアルヒーフ・レーベルからバッハの…

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  • [この一枚 No.93]

    ■2016年8月付 ~シェレンベルガー/イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集1、2~
    ドイツのDENON録音チームにとって、録音の合間にその録音に用いたマイクロフォンの種類、間隔、マイクスタンドの位置、高さ、角度などの録音データを「プロトコル」と呼ばれる録音ノートに細かく記載することは業務報告として必須であった。 インバル/マーラー交響曲全集を録音したフランクフルト・アルテ・オーパー、フィルハーモニア・クァルテット・ベルリンの録音会場、西ベルリンのジーメンス・ヴィラ、ローザンヌ室内管弦楽団の録音会場スイス・ラショー・ド・フォンのムジカ・テアトル、ダルベルトのシューベルト・ピアノ・ソナタ全集を行ったコルソー、そしてイタリア合奏団のコンタリーニ宮などの「プロトコル」は…

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  • [この一枚 茶話-4]

    ■2016年6月付 ~冨田勲/イーハトーブ交響曲~
    20世紀日本音楽史の中で戦前から60年代初期までの童謡の興隆と童謡歌手の活躍は大きな1章を設けられるべき出来事であった。 1990年代半ば、日本コロムビアではコロムビアファミリークラブ(通信販売)の商品としてレコード会社4社の音源を用い、この童謡と童謡歌手の活躍に焦点を当てた「甦える童謡歌手全集(CD10枚)を企画した。(現在発売中の類似タイトルの商品は2012年にCD8枚として再企画されたものである) 当時、童謡の音源調査のため日本コロムビア学芸部の古い録音台帳(レーベルコピー)を調べていくと、そこに編曲者名として冨田勲の名を(ときに作曲家でもあったが、圧倒的に編曲が多かった)見つけ出し…

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  • [この一枚 No.92]

    ■2016年5月付 ~高橋悠治/サティ:ピアノ作品集1~3~
    エリック・サティは1866年5月17日、フランス北部の港町オンフルールで誕生しているので、今年(2016年)は彼の生誕150周年となる。 1970年、建築家・現代音楽作曲家として知られるクセナキスに師事した「作曲・ピアノの若き鬼才」として高橋悠治は日本の音楽界に登場する。 日本コロムビアは彼と契約し、71年に「ベートーヴェン、メシアン、ストラヴィンスキー:作品集」を、73年には初のPCMデジタル録音としてバッハのピアノ協奏曲、74年にはパーセル:最後の曲集(アナログ録音)を収録する。 彼の本格的録音が開始されるのは75年からで…

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  • [この一枚 No.91]

    ■2016年4月付 ~クーベリック/スメタナ:連作交響詩「わが祖国」~
    1976年2月と初夏にそれぞれ1ヶ月程プラハにPCMデジタル録音の仕事で滞在していたことがあった。冬の凍てつく日でも、美しい初夏の日差しが眩しい通りでも、街を歩けば「チェンジ・マネー」、「ジーパンを売ってくれ」と10mごとに小声で声をかけられたし、タクシーに乗っても運転手から持ちかけられた。聞けば在るところに「ドルショップ(ドルや西ヨーロッパの通貨でしか買えない店)」があって、そこでしか西側からの輸入品(洋服や電化製品など)が買えないとか。 また、スメタナ四重奏団が招待してくれた城の前の豪華なレストランは西側通貨での支払いか、共産党員のコネが無いと入れない店だったし、演奏家が国外に演奏旅行で出かける場合は亡命を…

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  • [この一枚 No.90]

    ■2016年3月付 ~本間正史/オーボエ四重奏曲集~古典派時代のオーボエによる~
    本間正史さんを偲んで
    アリアーレ・シリーズの「本間正史/オーボエ四重奏曲集~古典派時代のオーボエによる」の解説書によると、本間は1947年生まれ。高校在学中にデューク・エリントン・バンドを聞き管楽器に憧れ、オーボエを学んだ。72年桐朋学園大学を卒業、東京都交響楽団に入団した。在学中よりバロック・オーボエの奏法とその複製の研究を独自に開始。76年文化庁在外研修員としてオランダのデン・ハーグ音楽院に留学。82年にブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラのツアーに首席オーボエとして招かれた。78年「オトテール・アンサンブル」を結成。多くのCDをリリース。また、日本コロムビア=都響の共同制作CD…

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  • [この一枚 No.89]

    ■2016年2月付 ~エリアフ・インバル/ベルリオーズ:レクイエム~
    インターネットの情報によれば、エリアフ・インバルは1936年2月16日にエリアフ・ヨーゼフという名で誕生しているので、今年で80歳を迎えたことになる。振り返ってみると、彼と日本コロムビアがマーラー交響曲全集から始まる膨大なオーケストラ作品の録音を成し遂げたのは彼が40代後半から50代、まさしく充実した壮年期だった。フランクフルト放送交響楽団のコンビによるマーラー交響曲全集の世界的な大成功により日本コロムビアのトップ・アーティストとなったインバルがこのコンビで次に何を録音するのか?社内ではR・シュトラウスやベートーヴェンなど正統的ドイツ音楽レパートリーの要望が高かった…

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  • [この一枚 No.88]

    ■2016年1月付 ~マイケル・スターン/ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」他~
    1895年10月、ブラームスはチューリッヒに新たに完成したコンサートホールの柿落しの指揮台に立っていた。ウィーンの建築家F・フェラーとH・ヘルマーの設計によるシューボックス型で客席数1455名のホールの名はトーンハレ。この新しいホールは響きの美しさと豊かさででたちまち有名になった。スイスを旅行すると地域により言葉が違うことに驚かされる。チューリッヒを中心とする北東地区はドイツ語圏(ドイツ人ウアバッハによると「きたないドイツ語を話す地域」)、ジュネーヴを中心とする北西はフランス語圏、南はルガーノを中心とするイタリア語圏である。トーンハレはドイツ語圏の代表的なコンサートホールで、前に取り上げたインバル/バルトークの録音を行ったヴィクトリアホールは…

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  • [この一枚 茶話-3]

    ■2015年12月付 ~無響室のオーケストラ~
    「空前絶後」、広辞苑によれば、「以前にもそれに類する物事が無く、将来にもなかろうと思われる、ごくまれなさま」と説明されている。1987年7月、大阪府箕面市民会館大ホールで行われた「無響室のオーケストラ」録音はまさに「空前絶後」なプロジェクトであった。 「無響室」は文字通り、響きが全くない空間で、音に携わる研究機関や企業には「測定装置」として必要不可欠な部屋である。以前、日本コロムビア川崎工場内にあった無響室は部屋の外観は縦横高さ、それぞれ5mくらいだっただろうか。しかし内部は六面共に吸音材で覆われているため、金属ネットの床面積は3m×3mくらいであった。1973年春にはこの無響室を使って「オーディオ・テクニカル・レコード」(XL-7001~3)用に…

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  • [この一枚 No.87]

    ■2015年10月付 ~インバル/バルト-ク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽~
    1960年代、英国デッカ録音チームによるエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の数々のLPレコードは演奏もさることながら、その音を包み込む響きの美しさで「名演奏・名録音」とされてきた。その録音会場がヴィクトリアホールで、クラシック録音を志す者なら一度はその響きを味わいたい、自らマイクロフォンを置いて録音してみたい、と願う場所の一つである。スイスの西側、フランス語圏の政治・経済・文化の中心地ジュネーヴにあるヴィクトリアホールは19世紀末の…

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  • [この一枚 No.86]

    ■2015年9月付 ~イタリア合奏団/ロッシーニ:弦楽のためのソナタ集~
    1975年3月、二人の音響工学専攻の大学生が春休みを利用して上京し、日本コロムビア録音部で「企業実習」を行ったが、そのうちの一人が後に日本コロムビア録音部で上司からは「タカユキ」、後輩からは「タカユキサン」と周囲に愛称で呼ばれる高橋幸夫氏だった。 彼はこの実習中に初めてプロ用PCM(デジタル)録音機に接し、この録音機を携えての海外録音の話を聴き、またデジタル調整卓や光オーディオ・ディスク(後のCD)の開発現場で実習することでデジタル・オーディオの将来性や自分の進路を強く確信し、翌年日本コロムビア録音部に入社する。 当時各大学から優秀な卒業生が集まった録音部の技術スタッフは…

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  • [この一枚 No.85]

    ■2015年8月付 ~藤原真理/ハイドン:チェロ協奏曲第2番、ボッケリーニ:チェロ協奏曲~
    1973年春、日本コロムビア録音部では前年春に開発したPCMデジタル録音機を用いた「アマチュアからプロまでが使える、全く新しいテストレコード」の企画が進んでいた。 当時、録音された音楽信号がきちんとアナログ・レコードに刻まれているか、そのレコードを正しく再生できているか?を測る手段は欧米のプロ用テストレコード数種類に頼るしかなかった。またそのレコードは測定器を用いることを前提に作られているので、普通のオーディオ・マニアには使いこなせない代物だった。同年秋に発売される「オーディオ・テクニカル・レコードは…

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  • [この一枚 No.84]

    ■2015年6月付 ~田部京子 カルミナ四重奏団/シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」、他~
    ドイツは古くから手工業を中心に親方と徒弟というマイスター制度が作られてきた。音楽でもワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で、靴屋の親方ザックスがマイスターと称されているし、シューベルトの歌曲「美しき水車小屋の娘」にも水車職人に修行する若者が取り上げられている。 第二次大戦直後のドイツにおいて、録音、放送技術が急速に進歩する中で音楽録音の資格者「トーンマイスター」が提唱され、音楽と電気音響に造詣が深くて音楽家と対等に付き合える人物の養成が始まった。1980年代の西ドイツではベルリン音楽大学、デトモルト音楽大学、デュッセルドルフ音楽大学と工科大学で音楽と録音工学を修めた者が「トーンマイスター」と…

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  • [この一枚 茶話-2]

    ■2015年5月付 ~レースコース上の録音機材搬入口~
    1972年4月、今は取り壊された青山タワーホールではスメタナ四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲第17番《狩》と第15番の録音が行われていた。モニタールームにはラフ編集用のアナログテープレコーダが置かれていたが、肝心のPCM(デジタル)録音機はそこには無く、裏の路上に駐車している1台のトラックの荷台に積まれていた。重さ250kgで、大きな機械音が発生するVTRを置く場所はホール内に無いため、録音機オペレータはトラックの荷台からインターフォンでモニタールームと連絡を交わしていた。 以来、多くの会場(コンサートホール、劇場、教会、はたまた協会横の遺体安置所や寺院の境内、射撃場や個人宅などなど)にPCM録音機材を搬入した。今でもアルバムのクレジットを眺めると…

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  • [この一枚 No.83]

    ■2015年4月付 ~有田正広/モーツァルト:フルートと管弦楽のための作品全集~
    「バッハ・モーツァルト・オーケストラとわたしの友人、アリタの指揮者としてのスタートを喜んでいます。オーケストラがその聴衆を啓発しつつ楽しませますように!」--フランス・ブリュッヘン このメッセージは1989年4月に福岡と東京で行われた東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの結成公演(また、指揮者有田正広の本格的なデビューでもあったが)に寄せられたものである。東京公演は御茶ノ水のカザルスホールで3日間連続しておこなわれた。まず4月21日(金)オープニング・コンサート、曲目はバッハ:管弦楽組曲第1番、モーツァルト:フルート協奏曲第2番(独奏:有田正広)そして…

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  • [この一枚 No.82]

    ■2015年3月付 ~ゲルバー/ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番、他集~
    アムステルダムから南西に約40km下った静かな大学町ライデンのほぼ中心、運河沿いにスタッツヘホールザール(時にはスターツヘホールザールと記されているが)はある。1891年に建てられたこの建物は楕円形のホールで周囲を縁どるように2階に小さなバルコニーが設けられ、1階は木の床張りで、街の音楽会場として、また椅子が取り払われた平土間を使って舞踏会場として使われてきた。収容人員は約800人。日本コロムビアのカタログを見てみると、1983年7月、ジャック・ルヴィエによるドビュッシー:ピアノ作品集-2の録音会場に使われたのが最初で、以降、毎年のように年数回、ピアノを中心とした録音に用いられている…

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  • [この一枚 No.81]

    ■2015年2月付 ~バッティストーニ:イタリア・オペラ管弦楽・合唱名曲集~
    「オペラ大好き」、「フォルツァ・イタリア!」など、イタリアにちなんだクラシックの名曲を集めたアルバム(コンピレーション・アルバムと呼ばれるが)を企画するとき、いつも困っていたのが日本コロムビアの自主音源や海外の契約レーベル音源の中に、このアルバムの中に必ず組み入れなければならない「アイーダの凱旋行進曲」などのキー曲が無いことだった。やむなく他社から音源使用料を払って音源を借りると制作原価が上がり、アルバムの収益性が悪くなることからしばしば企画が没となった。 今回、バッティストーニ指揮カルロ・フェリーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団の新録音「イタリア・オペラ管弦楽・合唱名曲集」のCDを手にしたときの感想は…

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  • [この一枚 茶話-1]

    ■2015年1月付 ~この日はどんな日?1977年8月20日(土)~
    茶話と謳いながら、のんびりと話が始まるのではなく、いきなり冒頭からクイズの出題です。 さて、1977年8月20日(土)この日はどんな日かご存知ですか? 突然こんな質問をしても読者の方は「さて?」と首をかしげるだけなので、ヒントを出しましょう。 ヒントは日本コロムビアとFM東京の共同作業です。 じつは当時現場にいた関係者に尋ねたのですが誰もはっきりした日時を覚えておらず、双方の会社の社史の中にも記載は無く、インターネットで調べても特定できず、年末に図書館で当時の新聞の縮刷版を調べてやっと日時が解りました。 まず、1977年8月13日(土)の夕刊に掲載されている翌14日から1週間のFM放送番組表を見てみましょう…

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  • [この一枚 No.80]

    ■2014年12月付 ~スーク・トリオ:ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第4番《ドゥムキー》~
    1960~70年代チェコを代表するピアニストとして、またスーク・トリオのメンバーとして知られるヤン・パネンカはペルルミュテール、ピリスに次ぐ世界で3番目にPCMデジタル録音を行っている外国人ピアニストで、1974年3月に来日した機会に青山タワーホールでシューマンの「謝肉祭」と「子供の情景」を録音している。 当時は高音質のアナログレコードを作るため、PCM録音機とレコード・カッティングマシンのスピードを半分にしてより正確に音溝を刻んでゆくハーフスピード・カッティングを行っていたため、常時半分のテンポと音程で再生される音楽をPCM録音機のオペレーターは聴かなければならなかった。 シューマンの「子供の情景」の中には有名な《トロイメライ》があるが…

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  • [この一枚 No.79]

    ■2014年11月付 ~ノイマン指揮チェコ・フィル:ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》~
    1989年11月9日に始まった「ベルリンの壁崩壊、共産党一党体制崩壊」の影響はソヴィエト連邦が支配する東ヨーロッパの国々に瞬く間に拡がっていった。約20年前の1968年に起きた「プラハの春」事件でソ連の戦車が首都を制圧し、多くの市民が犠牲となった隣国チェコスロヴァキアでも無血の「ビロード革命」が起こり、民主主義国家に生まれ変わった。国家体制の変化の大波はその傘下にあったレコード会社スプラフォンも飲み込み、すくなからぬ社員は退職し、新たな会社を作った。その中の一つがボヘミア・ビデオ・アートである。社会主義国家時代、スプラフォンにとって日本コロムビアは…

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  • [この一枚 No.78]

    ■2014年10月付 ~ラ・ストラヴァガンツァ・ケルン(有田正広:独奏)/J.S. バッハ:管弦楽組曲全集~
    某音楽雑誌に「最新版 名曲・名盤500(1)」という特集が組まれていた。第1回目はバッハからベルリオーズ迄の名曲について10名の音楽評論家が推薦する3枚の名盤を集計し、順位が付けられている。パラパラとページをめくると日本コロムビアのアリアーレ・シリーズの演奏も取り上げられ、中には1位に選ばれた作品もあつた。改めてじっくり読み始めると、冒頭のJ.S.バッハ:管弦楽組曲で驚いた。いや、むしろ悲しくなってしまった。その訳は名盤の4位に選ばれたマンゼ指揮ラ・ストラヴァガンツァ・ケルンのCD番号がBrilliant Classics海外盤と表記されていたからだ。今回はこのラ・ストラヴァガンツァ・ケルンについて…

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  • [この一枚 No.77]

    ■2014年9月付 ~カントロフ/パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番《ラ・カンパネッラ》~
    世の中に「歌うオーケストラ」ではなく、「しゃべるオーケストラ」が存在すること、またロッシーニのオペラは歌手だけでなく、オーケストラもしゃべることでその音楽が実に生き生きとすることを1981年秋のクラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座の「セヴィリヤの理髪師」来日公演は教えてくれた。 2009年9月の「この1枚」ではジャン=ジャック・カントロフが演奏したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ集」を取り上げ、以下のように紹介している。「カントロフは1974年の第1回PCMヨーロッパ録音に於いて、パイヤール室内管弦楽団によるモーツァルト:2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネK.190の第2ソリストとして登場して以来…

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  • [この一枚 No.76]

    ■2014年8月付 ~ハンス・フォンク/R・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」~
    第1回PCMヨーロッパ録音の日程がほぼ固まりかけ、完成したばかりのPCM録音機2号機の調整と海外に持ち出す機材のリストアップや準備に追われた1974年秋、東京文化会館ではバイエルン州立歌劇場の来日公演が行われていた。 中でも、前年にオペラ「魔弾の射手」全曲盤で鮮烈なレコード・デビューを果たしたカルロス・クライバーが指揮する「ばらの騎士」には注目が集まっていた。 クライバーは期待を裏切らなかった。むしろそれ以上だった。スポットライトを浴びて指揮棒を振り下ろした瞬間から黒人の子供がハンカチを拾って舞台を去る最後まで、私はクライバーの、またR・シュトラウスの音楽の渦の中に…

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  • [この一枚 No.75]

    ■2014年7月付 ~スウィトナー/ブラームス:ハンガリー舞曲集(全曲)~
    1976年2月、チェコ・フィル最初のPCM(デジタル)録音を行うため凍てつくプラハに到着した日本コロムビア・スタッフにチェコのレコード会社スプラフォンが用意したホテルは古きよき時代を彷彿とさせるグランド・ホテル、アルクロンだった。1階レセプションの奥には広いレストランが設けられ、右奥には小さなステージがあり、ヴァイオリン、クラリネツト、ウッドベース、ピアノという4人がいつも食事を楽しむ客のために甘いメロディやダンス音楽を演奏していた。時折は我々日本人を見つけると日本の曲を演奏してくれた。どんな曲を演奏したか、チップをあげたかは忘れてしまったが。 中でも地元、ドヴォルザークのスラブ舞曲と…

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  • [この一枚 No.74]

    ■2014年6月付 ~スーク バシュメット ベルリオーズ:交響曲〈イタリアのハロルド〉~
    オーケストラは宴の好きな音楽家の集まりでもある。コンサートや録音が終わると「打ち上げ」と称して直ぐに宴会に直行する。そして宴もたけなわになると座興の時間だ。誰かが「えー、先日凄い話を聞いたので、皆さんに紹介致します。ある所に優秀なヴィオラ奏者がいて…」と話し始めると、とたんに全員が大爆笑となる。音楽家ジョークの中では「優秀なヴィオラ奏者などいるわけがない、だからこの話は大嘘」と決まっている。可哀想なヴィオラ奏者たち。 たしかに古今東西の名曲の中で、ヴァイオリンとチェロに比べると…

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  • [この一枚 No.73]

    ■2014年5月付 ~有田正広 東京バッハ・モーツァルト・アンサンブル/ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集~
    1728年頃アムステルダムで出版されたヴィヴァルディ作曲フルート協奏曲集作品10は世界最初のフルート(横笛のための)協奏曲と呼ばれ、《海の嵐》、《夜》、《ごしきひわ》という3つの標題音楽を含むなど、その音楽の親しみやすさから、今日までフルートの名曲として広く親しまれている。フラウト・トラヴェルソ奏者、有田は1981年、フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラの第1回公演のソリストとして招かれ…

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  • [この一枚 No.72]

    ■2014年4月付 ~パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団/J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全曲)~
    パリ中心地から南東方向に約40km向かった所にバラ栽培が盛んな小さな村グリジー=スウィヌがある。 1973年5月、この村に数年前に建てられた、三角錐の鐘楼が中央にそびえるモダンなデザインの教会で日本コロムビアとフランス、エラート社による日仏共同制作のJ.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲の録音が行われた。演奏はジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団とフランスを代表する管楽器のソリスト達である。 豪華な各曲のソリスト達を眺めてみよう…

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  • [この一枚 No.71]

    ■2014年3月付 ~ヘスス・ロペス=コボス/ファリャ:恋は魔術師(オリジナル版 1915年)、他~
    ここには煙草工場で働く前の、若く恋するジプシー女カルメンがいる。 1989年に起きた2つの出来事はその後の日本コロムビアのクラシック制作に大きな影響を与えた。 まず最初は6月の美空ひばり死去。彼女の追悼盤は高額にも拘らず飛ぶように売れ、会社の業績に多大な貢献をした。次は11月のベルリンの壁崩壊。東ドイツという国家が無くなったため、それまで共同制作の相手であったドイツ・シャルプラッテンも機能不全となり 、折りしも病気がちであった指揮者オトマール・スウィトナーの以降の録音計画は消滅した。隣国チェコスロバキアでも翌年のビロード革命により共産主義体制が転覆し、チェコのレコード会社、スプラフォンは解体、チェコ・フィルやその他音楽家の新録音計画は頓挫…

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  • [この一枚 No.70]

    ■2014年2月付 ~インバル/ラヴェル:オーケストラ作品全集~
    パリで遊覧船に乗りセーヌ河を下ると、左岸にエッフェル塔、中州に自由の女神を見るあたりの右岸に円形の白い巨大な建物が見えてくる。ここが今回の録音会場、104スタジオがあるラジオ・フランスである。 1963年に建てられたラジオ・フランス104スタジオはスタジオと呼ばれているが、実質は1000名以上の客席を持ち公開放送もできるコンサートホールで、フランス国立管弦楽団(旧名:フランス国立放送管弦楽団)のホームであった。ステージは奥が段々高くなるひな壇形で、その背後には巨大なパイプオルガンが備え付けられている。1970年代初頭、日本コロムビアから発売されたエラート・レーベルのジャン・マルティノン指揮フランス管弦楽作品LPの背表紙にこのスタジオで…

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  • [この一枚 No.69]

    ■2014年1月付 ~有田正広/ブラヴェ:フルート・ソナタ集~
    「フラウト・トラヴェルソ(以降フルートと記す)を始めて以来、ブラヴェという音楽家はつねに私の理想でありつづけてきた。ブラヴェのフルートの音を今日聴くことは叶わないにも拘わらず… 彼の残した数少ないが無上の美しさをもつ作品と、そのブラヴェに贈られた当時の惜しみない賛辞の数々や演奏評を知るとき、フルート奏者としての私の内には、尽きることのない昇華する理想が彼によって絶えず与えられつづける」(有田正広:ブラヴェ・フルート・ソナタ集のライナーノート冒頭より) 1988年、フラウト・トラヴェルソ奏者、有田正広の録音を始めたとき、これは単に1作品でなく、《アリアーレ》と名付けられた日本初の…

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  • [この一枚 No.68]

    ■2013年12月付 ~カルミナ四重奏団/シマノフスキ:弦楽四重奏曲第1&2番~
    1923年(大正13年)に創刊され、今年(2013年)で90周年を迎えるイギリスのクラシック専門誌グラモフォン(Gramophone)。彼らは「1923年以来クラシック音楽の世界的権威」と自負し、その辛口の批評と英語誌であること、などから世界中の音楽愛好家に愛読されている。 それゆえ、このグラモフォン誌が「この1年で最も素晴らしい音楽作品」として選定する「グラモフォン賞」の発表は「今年はどの演奏家のアルバムが選ばれるのだろうか?」と、毎年、秋の音楽シーズンの楽しみの一つであるが、以外にもその歴史は新しく…

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  • [この一枚 No.67]

    ■2013年11月付 ~高橋悠治:J.S.バッハ《インヴェンションとシンフォニア》(装飾稿による)~
    昔のことだが、音楽評論家の佐々木節夫さんに誘われてベルギー、アントワープ(Antwerp)の古楽フェスティヴァルAntwerpiano(アントワーピアノ)の一晩のコンサートを聴いたことがあった。このフェスティヴァルは名前の最後にピアノ(piano)が組み込まれていることからもお解りのように、アントワープ出身の古楽指揮者、鍵盤楽器奏者ジョス・ファン・インマゼールが彼の地元で様々な歴史的鍵盤楽器の展示とそれらを用いたコンサートを行うために1989年から催されたもので、日本からは故小島芳子さんなどが出演していた。佐々木さんと聴いたコンサートは鍵盤楽器の歴史を…

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  • [この一枚 No.66

    ■2013年10月付 ~ラリュー/(伝)ヴィヴァルディ(ニコラ・シェドヴィル):《忠実な羊飼い》~
    1975年1月に発売されたLPレコード“ヴィヴァルディ:フルート・ソナタ集《忠実な羊飼い》Op.13”の帯に書かれた宣伝文句には「PCM+オルトフォンDSS731ニューサウンド」と記されていた。 当時はデジタル録音をPCM録音と呼んでいたので“PCM”という言葉はお解りだろう。しかし、“オルトフォンDSS731”とはいったい何だろう。レコードの音質を大きく左右するレコード針(オーディオの世界ではカートリッジと呼ぶのが適切かもしれない)で米国のシュアーと並んでデンマークのオルトフォンはマニア垂涎の製品であった。この再生カートリッジ・メーカーとして世界的に名高い…

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  • [この一枚 No.65]

    ■2013年9月付 ~クリヴィヌ/フォーレ:レクイエム~
    LPレコードの全盛期、イギリスのメジャー・レコード会社EMIとイギリス・デッカは競い合うようにロンドンの各オーケストラで様々な管弦楽曲を録音し、発売していた。とりわけデッカの録音はいずれも豊かな響きに包まれたダイナミックなオーケストラ・サウンドが評判だった。このオーケストラ・サウンドをロンドンのコンサートホールで味わってみたい、とクラシック音楽ファンならば誰しもが思っただろう。 ロンドンのオーケストラ・コンサートは主に2つの会場で開催される。まず、テムズ河の南岸に1951年に建てられた、2900名を収容するロイヤル・フェスティバル・ホール。もう一つは…

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  • [この一枚 No.64]

    ■2013年8月付 ~クリヴィヌ/フォーレ:レクイエム~
    フランス第2の都市で、美食の街としても知られるリヨン、その北東約40kmの丘の上に、空からみるとまるで赤茶色のかたつむりの殻のように城壁と屋根が連なる、小さな村ペルージュがある。どれくらい小さいかというと、村の端から端まで東西が200メートル、南北がわずか100メートルで、国立競技場の中にすっぽり入る広さといえば想像できるだろうか。中世の頃は絹織物職人の村として栄えていたが、近代文明から取り残され、一時は村民が50人足らずまで寂れたという。近年は「まるで中世にタイムスリップしたようなフランスの美しい村」として、ガイドブックに紹介され、観光や映画のロケ地としても…

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  • [この一枚 No.63]

    ■2013年7月付 ~スメタナ四重奏団 スメタナ:弦楽四重奏曲第1番《わが生涯より》&第2番~
    チェコ国民にとって、作曲家スメタナはどのような存在なのだろうか? チェコの首都、プラハの街にはスメタナの名が付けられた著名な建物が幾つかある。まず、ヴルタヴァ(モルダウ)川にかかる石造りの美しいカレル橋の河畔の一等地にあるルネサンス・スタイルの建物がスメタナ博物館で、中にはスメタナに纏わる多くの展示物や楽譜がある。以前は水道ポンプのための建物だったが、第2次世界大戦直前に博物館とされ、周囲の道路にもスメタナの名がつけられた。音楽ファンに馴染みが深いのは美しいアールヌーヴォー様式の建築で知られる…

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  • [この一枚 No.62]

    ■2013年6月付 ~メイエ フレンチ・クラリネット・アート~
    1985年2月、ドイツ、フランクフルトのアルテオーパーでインバル/フランクルフルト放送交響楽団によるマーラー交響曲全集の録音が開始された。これは、これからずっと、数ヶ月毎に行われるインバルのコンサートと録音の度ごとに日本コロムビアの録音スタッフとPCM(デジタル)録音機材がほぼ1週間フランクフルトに据え置きになることを意味していた。 それまで、オランダ、アムステルダムを中心にヴァイオリンのカントロフやピアノのルヴィエなどの録音が行われていたので、約500km離れたフランクフルトへ1週間だけの人と機材の移動は効率の悪いものだった。その機会に何か別の録音がフランクフルト近郊で出来ないか?スタッフは室内楽の録音会場を探していた…

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  • [この一枚 No.61]

    ■2013年5月付 ~ブロムシュテット/ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》~
    ドイツ東部を南から北に流れ、北海へと注ぐ大河エルベ、その中流の古都ドレスデンの河畔に19世紀後半ゴットフリート・センパーが設計したドレスデンのオペラハウス(通称ゼンパー・オーパー)が佇んでいる。 このオペラハウスのオーケストラ、ドレスデン・シュターツカペレの歴史はなんと1584年まで遡り、その歴史と伝統が作り出す美しい音色は「いぶし銀の響き」と高く評価されている。 第二次世界大戦後は東ドイツとなったこのオーケストラは社会主義国家にとって「大切な、ドルを稼ぐ音楽産業」であり、ドレスデンでの録音の維持管理は東ドイツのレコード公社ドイツ・シャルプラッテンにとって重要事項であった…

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  • [この一枚 No.60]

    ■2013年4月付 ~シェレンベルガー&ビルグラム/オーボエとオルガンのための作品集~
    1974年12月、第1回PCMヨーロッパ録音の最後にドイツ、シュトゥットガルト福音派金教会でヘルムート・リリングのオルガン演奏(バッハ:オルガン名曲集、教会暦によるオルガン・コラール集)が2枚分録音された。 この録音でデンマークの録音エンジニア、ピーター・ヴィルモースが用いたある機材に、同行していた日本コロムビアの録音スタッフ、穴澤と飯田の2名は注目した。それは高さ10m近くまで伸びる、イタリア、マンフロット社製の軽くて折りたたみ可能なアルミのマイクスタンドであった。 マンフロット社はカメラ周辺機器のメーカーとして知られ、日本でも撮影スタジオの照明用として何種類かスタンドが販売されていたが、ヨーロッパのように天井画にライトを当てる、という高い所への需要が…

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  • [この一枚 No.59]

    ■2013年3月付 ~アカデミア・ビザンチナ/レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア~
    992年9月のドイツ、DENON録音チームは次のような録音スケジュールで動いていた。 2日から6日までスイスのヴヴェでゲルバーの録音、並行して3日から8日までイタリアのラヴェンナでアカデミア・ビザンチナの第1回目の録音、そして4日空けて12日から17日までおなじくラヴェンナでアカデミア・ビザンチナの第2回録音、並行して14日から18日までケルンでラ・ストラヴァガンツァ・ケルンの録音、重なって17日から19日までフランスのクレルモン=フェランでオーヴェルニュ室内管弦楽団の録音が行われたが、さすがにこれは人、機材とも足りず、外部に委託となった。 さらに、22日から26日まではフランクフルトで先月このコーナーで取上げたインバルのバルトーク「青ひげ公の城」の、そして28日からは南ドイツ…

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  • [この一枚 No.58]

    ■2013年2月付 ~インバル/バルトーク:オペラ《青ひげ公の城》~
    日本の音楽ファンにとって、オペラハウスのオーケストラ・ピットで指揮するエリアフ・インバルはあまりなじみのない光景かもしれない。 しかし、インバルの経歴を見るとパリ、ハンブルク、グラインドボーンなど各国のオペラハウスで活躍してきたし、若い頃にイタリア、ヴェローナの野外オペラでヴェルディのアイーダなどを指揮した海賊盤CDもある。また、2007年から音楽監督を務めているヴィネツィアのフェニーチェ歌劇場の上演では、シェーンベルクの「今日から明日へ」、コルンゴルトの「死の都」などがDVDとして発売されている。いかにもインバルらしい、渋い、ひねったレパートリーだが…

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  • [この一枚 No.57]

    ■2013年1月付 ~ティーレマン/ワーグナー:《ニーベルングの指環》バイロイト音楽祭2008年~
    大阪で万国博覧会が開かれた頃、九州に新設されたばかりの大学の音響設計学科で日本のクラシック録音の第一人者、若林駿介氏の集中講義が開始された。講義内容はステレオ理論からマイクロフォンやテープレコーダなどの録音機材の操作方法、また録音実習や自身が録音したマスターテープを用いた様々な音源の研究など収音(放送、録音、拡声)に関して多岐に渡る内容であった。 そして、この講義の中で一冊の本『ニーベルングの指環―プロデューサーの手記』が紹介された…

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  • [この一枚 No.56]

    ■2012年12月付 ~ミシェル・ベロフ/ドビュッシー:ピアノ作品全集~
    以前、ドイツに住んでいる日本人からこんな話を聞いた。「家のカーテンを新調したとき、カーテン・マイスターと称する親方が弟子の職人と共に来て、取り付けの指図をし、最後に自ら手直しを行っていった。取付料金は高かったけれど、仕上がりは申し分ないものだった。マイスターとは凄いんだね。」 また、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の中では靴職人のマイスターと呼ばれる親方、ハンス・ザックスが活躍している。この2つの逸話にあるように、ドイツの手工業は中世からマイスターと呼ばれる親方と徒弟という職人組合制度が作られ、今日まで製品の品質の高さを維持している。20世紀半ばに急速に発展した映画、放送、レコード録音の分野でもこのマイスターという仕組みが導入されたのも不思議でない。1949年には西ドイツで…

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  • [この一枚 No.55]

    ■2012年11月付 ~藤原真理/風―Winds~ナウシカの思い出に捧げる~
    藤原真理さんが第6回チャイコフスキー国際コンクール、チェロ部門で第2位に輝いたのは1978年。そして、翌年2月には日本コロムビアからデビュー・アルバム「ロマンティック・チェロ・ミニアチュアーズ」が発売された。以降、再度の小品集、ハイドン/ボッケリーニのチェロ協奏曲集、バッハ/無伴奏チェロ組曲全集とチェロ音楽の王道が録音され、順次発売されていった。「次回作はベートーヴェンのチェロ・ソナタ集」と音楽ファンならば誰もが予想しただろうが、でもそうはならなかった。無伴奏チェロ組曲の録音の途中から彼女はフルートのニコレやヴァイオリンのカントロフと共に様々な室内楽のチェリストとして録音に参加していった。途中、ソリストとしてもドビュッシーのチェロ・ソナタやベートーヴェンの三重協奏曲の録音を行ってはいたが…

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  • [この一枚 No.54]

    ■2012年10月付 ~ミシェル・ダルベルト/シューベルト:ピアノ・ソナタ全集~
    130年以上も前の話だが、ある気持ちの良い秋の朝、ヘルツォーク氏と私は一緒に神戸の山手地区を散歩していた。昨夜、神戸文化ホールで行われたスメタナ四重奏団のライヴ録音が上首尾に終わったこともあり、二人とも上機嫌だった。 すると、英語で「教えてくれないか?神社とお寺の違いはどうすれば見分けられるんだい?」との質問が聞こえてきた。瞬間、私の頭の中は真っ白になった。「えっ!天照大神とシャカの生涯はうまく説明できないし、神社の鳥居とお寺の仏像や鐘はなんて言うのだっけ?さらに、宗教については日本語でも説明するのは難しいのに、まして英語で?」快適な筈だった朝の散歩は身振り手振りも交えた冷や汗の苦行に変わっていた。75年以降の数々のスメタナ四重奏団のデジタル録音で…

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  • [この一枚 No.53]

    ■2012年9月付 ~ミシェル・ダルベルト/シューベルト:ピアノ・ソナタ全集~
    1980年代後半、日本コロムビアのクラシック・レパートリーは順調に拡大を続けていた。オーケストラ部門ではインバル、スウィトナー、アンサンブルではイタリア合奏団が活躍、室内楽ではスメタナ四重奏団の残照が続き、弦楽器ではカントロフのヴァイオリン、藤原真理のチェロ、さらに声楽では鮫島有美子が日本のうたを中心にレパートリーを拡大していた。問題はピアノ部門だった。高橋悠治を筆頭に、ゲルバー、ルヴィエで様々なピアノ曲の録音を進めていたが、1976年のモレイラ=リマやアンネローゼ・シュミットでの録音以降、ショパンのピアノ曲の新録音は殆ど無く、当時のブーニン現象をただ茫然と眺めるのみだった。また、自主音源では…

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  • [この一枚 No.52]

    ■2012年8月付 ~有田正広/トウキョウ・バロック・トリオ/テレマン:パリ四重奏曲集~
    「録音スタッフで良かった」と思える時がときおりある。いまそこで行われている素晴らしい演奏を録音している時がまさしくそうだ。そんなとき、ゲーテのファウストの一節を思い出す。「時よ止まれ、お前は美しい」。有田正広とトウキョウ・バロック・トリオによるテレマンのパリ四重奏曲集の録音はそんな思いを抱かせた録音だった。トウキョウ・バロック・トリオの3人に最初に会ったのは1992年初夏、ドイツ、ケルンの教会で行われたコンサートだった。デンオンの古楽シリーズ、アリアーレ誕生の親で音楽評論家の故佐々木節夫さんから…

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  • [この一枚 No.51]

    ■2012年7月付 ~渡邉暁雄/シベリウス:交響曲全集~
    1981年末、日本コロムビアはレコードアカデミー賞を3つの部門で獲得した。 交響曲部門でスウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン: 交響曲第6番「田園」、室内楽曲部門でスメタナ四重奏団+スークのモーツァル ト:弦楽五重奏曲第2番、第6番、そして日本人演奏部門で渡邉暁雄指揮日フィル のシベリウス:交響曲全集である。 渡邉暁雄指揮日本フィルは1961年、世界初ステレオ録音によるシベリウス交響曲 全集が当時…

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  • [この一枚 No.50]

    ■2012年6月付 ~ヘルマン・プライ/モーツァルト:オペラ・アリア集~
    「いつもどうもありがとう ○○様 八九・四・七 吉田秀和」。私の手元に先月亡くなられた吉田秀和氏のサイン入りの著書が1冊ある。二十数年前に鎌倉のご自宅に伺ってオーディオ装置を点検し、その後、色々お話を伺った折にプレ ゼントされたものだ。当時、クラシックCDのセールスに大きな影響力を持つものは、「レコード芸術」誌の特選、朝日新聞の「試聴室」、そして吉田氏の2つの連載、「レコード芸術」誌の「今月の1枚」と朝日新聞での「音楽展望」であった。時に朝日の「母と子の試聴室」や「ブーニン人気」を起こしたNHK TV放送などもあったが、本流ではなかった…

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  • [この一枚 No.49]

    ■2012年5月付 ~イタリア合奏団/ヴィヴァルディ:協奏曲集《調和の霊感》~
    東京赤坂に当時「東洋一」と謳われた日本コロムビアの録音スタジオが完成したのは1965年。このビルは地下2階が駐車場、地下1階は社員食堂、1階ロビーは様々なパーティや多くの歌手たちの涙の会見の場として使われた。2階は事務所とダビングや放送番組制作用スタジオ、テープ編集室、そして奥にレコード・カッティング室が配置されていた。3、4階は吹き抜けでオーケストラ録音が可能な第一スタジオ、邦楽やバンドの録音に多用された第二スタジオが隣り合わせていた。また第一スタジオのモニタールームの上には録音風景をガラス窓ごしに見下ろせる見学者用階段室も設けられていた…

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  • [この一枚 No.48]

    ■2012年4月付 ~コチシュ/バルトーク:ピアノ作品集~
    2002年6月に「日本コロムビアのクラシックの名盤を1000円で」で、という大胆な価格設定の70タイトルのリリースで始まった「クレスト1000」シリーズ。以降、この10年間、毎年末の恒例となり、昨年(2011年)末には第11回発売を迎えている。 繰り返し発売される名盤だけでなく、数十年前にLPで発売されただけで廃盤となった、商業的には難しかったが優れた作品も復活させ、オリジナルに遡ってのジャケット写真や数々のデータ収集に大変な苦労をされてきた関係者の努力に敬意を表したい。数年前にクレスト1000の全発売作品の売上枚数を調べる機会があった。売上上位にあるものの大半は過去に名盤とされたもので、その位置を納得できたが、中で「コチシュ/バルトーク作品集」が上位にいるのは予想していなかった…

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  • [この一枚 No.47]

    ■2012年3月付 ~スーク・トリオ/ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第7番《大公》~
    作家村上春樹は近刊「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を一読すれば解 るように、ジャズやポピュラー音楽のみならず、クラシック音楽にも大変造詣が深いことで知られているが、2002年に刊行された小説「海辺のカフカ」の中でも15才の主人公が聴くロック音楽と相対する形で、ベートーヴェンのピアノ・トリオ《大公》を「大人の音楽」として扱い、大変重要な役割を持たせている。 まず物語後半の喫茶店の場面で、ルービンシュタイン-ハイフェッツ-フォイヤマンの《百万ドル・トリオ》による…

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  • [この一枚 No.46]

    ■2012年2月付 ~安田謙一郞/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全集~
    1960年代後半からのバロック音楽ブームにより、フィリップスのイ・ムジチ合奏団、デッカのアカデミー室内管弦楽団、エラートのパイヤール室内管弦楽団など、レコード会社各社から多くの合奏団のアルバムが発売されていた。 当時、スイスのルツェルン音楽院院長で音楽祭の主催者でもあったバウムガルトナーも音楽院在校生、卒業生を中心にルツェルン音楽祭弦楽合奏団(ルツェルン合奏団)を組織し、西ドイツ、オイロディスクに次々と録音を行っていた。そのLPジャケットには時折メンバーの集合写真が使われていたが、その中にスラリとした欧米人に混ざって小柄な日本人男性が写っていた。今回のコラムに登場する安田謙一郞である。安田のプロフィールをライナーから簡単に紹介しよう…

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  • [この一枚 No.45]

    ■2012年1月付 ~シェレンベルガー/モーツァルト:オーボエ四重奏曲~
    ピエール・ピエルロ、モーリス・ブルグ、ハインツ・ホリガー、ローター・コッホ、そしてハンスイェルク・シェレンベルガー。何れもがフランス、スイス、ドイツを代表するオーボエ奏者で、デンオン・レーベルにソロやアンサンブルの録音を残している名手達である。「オーボエの可能性を飛躍的に拡大した」と言われるホリガーについては以前このコラムでも取り上げたので、今回は1980年から2001年までベルリン・フィルの首席オーボエ奏者でもあったシェレンベルガーを取り上げてみよう。1974年デンオン・ヨーロッパ録音の当初から録音エンジニ アを担当していたピーター・ヴィルモースは母国デンマークの世界的音響測定器メーカー、ブリューエル・アンド・ケア(B&K)社の音楽録音用マイクロフォン開発のアドバイザーでもあった。そして1981年初夏…

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  • [この一枚 No.44]

    ■2011年12月付 ~田部京子/グリーグとブラームス 新旧石橋メモリアルホール~
    1974年秋の上野学園石橋メモリアルホールの開館は様々な意味でクラシック音楽 界にとって大きな一歩であった。 それまでの日本のコンサートホールは様々なジャンルの音楽やオペラやバレエ、さらに歌舞伎や演劇、舞踏、そして講演など、どんな催し物もできる多目的ホールと呼ばれる造りで、舞台の間口(幅)が広いために演奏に輝きを付加する壁か らの強い反射音が聴集に届きにくかった。また、響きの目安である残響時間が短いこともあり、豊かな響きに包まれるというより、さっぱりとした音のするホールが大半だった。しかしながら、このホールは最初からクラシックコンサート専用のホールとして…

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  • [この一枚 No.43]

    ■2011年11月付 ~インバル/マーラー交響曲全集とアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ~
    インバルのマーラー交響曲全集は個々のCDジャケット・デザインがどれも中央にマーラーの横顔が置かれたシンプルなもので、レコード店頭や雑誌面上でも一目でインバルのものと判る。
    しかし、1点だけマーラーの顔が使われていないものがある。それは1907年に作曲が開始された「大地の歌」。ジャケット表にはハンス・ベートゲの詩集「中国の笛」1907年初版の表紙のイラスト「笛を奏でる中国人」が使われている。
    この絵は1988年、「大地の歌」の録音直後に…

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  • [この一枚 No.42]

    ■2011年10月付 ~ザンデルリンクとレーグナー 旧東ドイツ初のPCM録音~
    東西ドイツで最初のオーケストラのPCM(デジタル)録音は1978年6月7日から始まったクルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団によるチャイコフスキー:交響曲第4番だった。 この録音は1972年のルイ・フレモー指揮東京都交響楽団による「展覧会の絵」から始まり、ブロムシュテット指揮デンマーク放送交響楽団のテスト録音、フィッシャー=ディスカウ指揮チェコ・フィルによるブラームス:交響曲第4番などを経て、レパートリーや音源の物足りなさを感じていた日本コロムビア制作録音チームがようやく辿り着いた一里塚であった…

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  • [この一枚 No.41]

    ■2011年9月付 ~高橋悠治/新ウィーン楽派ピアノ作品集 他~
    1971年から約10年間、高橋悠治はコロムビアにパーセル、バッハからベートーヴェン、シューマン、サティ、ドビュッシー、新ウィーン楽派、ストラヴィンスキー、ケージ、メシアン、クセナキス、そして現代日本作曲家に至る、大変幅広いピアノ・レパートリーの録音を残している。売上ではサティの3CDが圧倒しているが、他の作品もいずれ劣らず個性的である。あえて言えば1番は以前この欄でも取り上げたケージのプリペアード・ピアノのための作品、次に今回取り上げる「新ウィーン楽派」、もしくは氷水を入れたバケツで手を冷やしながら録音を続けたという伝説の残る超難曲のクセナキスの作品だろうか…

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  • [この一枚 No.40]

    ■2011年8月付 ~ゲルバー/ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ集-5第17番《テンペスト》、他~
    1960年代、アルゼンチンから3名の世界的なピアニスト、アルゲリッチ、バレン ボイム、そしてゲルバーが次々にデビューした。 ゲルバーは当初から「その若さからは想像できない巨匠的な堂々とした演奏」と して、同国の先輩ピアニスト、アラウの後継者と高く評価される一方で、幼い頃 に罹った小児麻痺の影響で足が不自由であることや、ステージ上の照明にも拘る など、周辺の話題にも事欠かず、世界中の音楽市場で成功を勝ち得ていった。 しかし、70年代以降、他の二人が活動の幅を益々拡げていったのとは対照的に、ゲルバーの録音活動は減少してゆき、やがてEMIとの契約も解消された…

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  • [この一枚 No.39]

    ■2011年7月付 ~ランパル/ホリガー/有田/テレマン/無伴奏フルートのための12のファンタジー~
    インバルによるマーラー交響曲第6番《悲劇的》のライナーには以下のコメントが記されています。
    「この録音はB&K社製録音用マイクロホン 4006 2本だけによる録音を基本とし、一部にデジタル遅延補正をおこなった補助マイクロホン出力をミックスしております」 ここに書かれている「デジタル遅延補正」とはどのような録音手法でしょうか? デンオンがクラシック録音で心がけたのは…

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  • [この一枚 No.38]

    ■2011年6月付 ~インバル/マーラー交響曲第6番《悲劇的》~
    インバルによるマーラー交響曲第6番《悲劇的》のライナーには以下のコメントが記されています。
    「この録音はB&K社製録音用マイクロホン 4006 2本だけによる録音を基本とし、一部にデジタル遅延補正をおこなった補助マイクロホン出力をミックスしております」 ここに書かれている「デジタル遅延補正」とはどのような録音手法でしょうか? デンオンがクラシック録音で心がけたのは…

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  • [この一枚 No.37]

    ■2011年5月付 ~インバル/ショスタコーヴィチ/交響曲全集~
    1990年、バブル絶頂期の日本コロムビアはCDの海外生産、輸出に意気盛んで、国内、海外ディラー達からはCDレパートリーの拡大が強く求められていた。その声を受けてDENONのメイン・アーティストとなったインバルにはオーケストラ・レパートリーの主要部分が任されていた。世界的な成功を収めたマーラーに引き続きフランクフルト放送響とはベルリオーズ、チャイコフスキー、新ウィーン楽派、ブラームス、シューマン、そしてフランス国立管弦楽団とはラヴェルのオーケストラ作品、スイスロマンド管弦楽団とはリヒャルト・シュトラウスやバルトーク、そしてウィーン交響楽団とはショスタコーヴィチの交響曲全集の録音計画が次々に立てられていった…

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  • [この一枚 No.36]

    ■2011年4月付 ~スメターチェク/スメタナ/連作交響詩「わが祖国」~
    「プラハの春音楽祭」は毎年スメタナの命日である5月12日に彼の6曲からなる交 響詩「わが祖国」の演奏会で幕を開ける。 1990年、ビロード革命がなされた直後の「プラハの春音楽祭」のオープニングを飾ったのは約40年ぶりに祖国の指揮台に立つラファエル・クーベリック。ハベル大統領も出席してのこの記念すべき演奏会はTV中継され、またCDやDVDとなって全世界の人々を感動させた。 また、今年はプラハ音楽院の200周年を記念してビエロフラーヴェク指揮プラハ音楽院管弦楽団がスメタナホールで演奏するという…

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  • [この一枚 No.35]

    ■2011年3月付 ~メイエ:モーツァルト/ブゾーニ/コープランド:クラリネット協奏曲~
    ここに1枚の写真がある。クラリネット奏者のポール・メイエ、指揮者のデヴィッド・ジンマン、そしてDENONの録音スタッフ(ディレクターのウアバッハ、ミキサーのシュトリューベンなど)がにこやかに写っており、1992年春、ロンドンの小さな教会でモーツァルトのクラリネット協奏曲の録音終了後に行われたフォト・セッションの余韻の中で撮影されたものである。 1990年頃、いまや世界的クラリネット奏者で指揮者でもあるポール・メイエについて、ヤマハのピアノを愛用し、パリのヤマハのオフィスに出入りしていたピアニストのエリック・ル・サージュから「凄いクラリネット奏者がいるんだ」と…

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  • [この一枚 No.34]

    ■2011年2月付 ~イングリット・ヘブラー/モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集~
    南ドイツのニュルンベルクから南東に40kmほど列車で行くとノイマルクトという小さな街がある。この街は観光地ではないが、クラシック録音関係者には室内楽、特にピアノ録音に最適な美しい響きのコンサートホールの街として知られている。ここで録音したアーティストはブレンデル、シフ、ペライア、オピッツ、グリモー、そして今回とりあげるヘブラーなど、まるで著名なピアニストのカタログを見ているかのようである。イングリット・ヘブラーは1960年代フィリップスに録音した……

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  • [この一枚 No.33]

    ■2011年1月付 ~ケルテス&バンベルク響/ベートーヴェン:交響曲第4番、他~
    「君はバンベルク交響楽団の録音ボタンの秘密を知っているかい?」、92年7月オランダでのゲルバーのピアノ録音の折、エンジニアのピーター・ヴィルモースがからかいの笑みを浮かべて尋ねてきた。 「いいかい、あそこでは録音ボタンを押すと信号機が赤になり、車が一斉に止まるんだぞ!」。 この録音の後にDENON録音チームはバンベルクでクリヴィヌ指揮バンベルク交響楽団によるブラームス交響曲全集の録音を開始する予定なので、60年代後半から70年代にかけてエラート・レーベルでのグシュルバウアー指揮バンベルク交響楽団の録音を数多く手がけたヴィルモースに録音会場について尋ねた折の返事が上記の会話だった。よく出来た冗談と笑い飛ばしたが、妙に気になる一言だった…

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  • 久木崎秀樹(くきざき・ひでき) プロフィール

    1972年3月、九州芸術工科大学音響設計学科卒。同年4月日本コロムビア入社。
    録音部研修中の4月、青山タワーホールでのスメタナ四重奏団のPCM録音に立ち会う。
    以降、PCM録音機のオペレーション、編集、開発に従事。
    1986年インバル/マーラー交響曲全集の中で録音から宣伝に移動し、第4番のワンポイント録音を成功に導く。
    1989年古楽シリーズ、アリアーレの立ち上げに参画。
    1991年ドイツ録音チームのリーダーとして、デュッセルドルフに赴任し、多くの海外録音を行う。
    1993年秋からは開発部門の制作、通販部門の管理、クラシック部門営業を担当して2009年退職。