この一枚

この一枚 茶話-1

クラシックメールマガジン 2015年1月付

~この日はどんな日?1977年8月20日(土)~

茶話と謳いながら、のんびりと話が始まるのではなく、いきなり冒頭からクイズの出題です。 さて、1977年8月20日(土)この日はどんな日かご存知ですか?
突然こんな質問をしても読者の方は「さて?」と首をかしげるだけなので、ヒントを出しましょう。
ヒントは日本コロムビアとFM東京の共同作業です。
じつは当時現場にいた関係者に尋ねたのですが誰もはっきりした日時を覚えておらず、双方の会社の社史の中にも記載は無く、インターネットで調べても特定できず、年末に図書館で当時の新聞の縮刷版を調べてやっと日時が解りました。
まず、1977年8月13日(土)の夕刊に掲載されている翌14日から1週間のFM放送番組表を見てみましょう。当時の関東地区FM放送は公共放送とFM東京しか無く、それぞれが夕刊の1面ずつ使って番組を予告していました。 20日(土)の欄に午後6時30分~9時「ダイレクト・サウンド〈PCM録音マスターテープ初放送〉(1)PCMの魅力▽イッツ・タイム:マックス・ローチ・カルテット、▽ア・フール・オン・ザ・ヒル:佐藤允彦(2)PCMダイレクト・サウンド・コンサート▽ヤナーチェック/シンフォニエッタから:コシュラー指揮チェコ・フィル▽バッハ/半音階的幻想曲とフーガ:ドレフュス▽モーツァルト/弦楽五重奏曲第4番ト短調第1楽章:スメタナ四重奏団 スーク(ビオラ)、と記載されており、また、同紙面の「ピックアップ」コーナーでは(特)PCMダイレクト・サウンド:PCMとはパルス・コード・モデュレーションの略号で、日本語ではパルス符号変調という。五年前に日本コロムビアがPCM録音装置を開発、この方式で作ったレコードが既に百六、七十点に達している。一般のテープレコーダーのように直接音楽波形をテープに記録するのではなく、まず音楽波形を符号に変換し、その符号を磁気テープに記録する。再生時にはこの符号を音楽信号に戻す。テープ・ノイズの全くない音質は、海外でも評判になっている。と丁寧にPCM録音について解説されていますが、デジタルやデジタル録音という言葉がでてきていないのに時代を感じますね。
クイズの正解はもうお解りですね。日本で初めて(もしかしたら世界初)1番組(90分番組でコマーシャルを除く)の最初から最後までがPCM録音機からの直接再生で放送された日です。
番組の解説は映画・オーディオ評論家の荻昌弘氏で、日本コロムビア録音部の穴澤との対談という形で進行し、当時赤坂にあった日本コロムビア録音ビルの2階にある放送番組制作スタジオで録音されました。
番組の前半はジャズやポピュラーの音源からで、迫力あるマックス・ローチのドラムソロや当時ジャズの世界で「トーサ」と呼ばれていた佐藤允彦のピアノソロなどが選ばれています。後半はクラシックの音源からで、同年4月にプラハで録音されたばかりで、まだレコード化されていない、今日では村上春樹の小説「1Q84」で有名になったヤナーチェクのシンフォニエッタも初お目見えです。この番組のため、急遽1楽章分をラフ編集したことを覚えています。ドレフュスのチェンバロ演奏、スメタナ四重奏団とスークによるモーツァルト以外にもピリスのモーツァルト/ピアノ・ソナタやオルガンの演奏などもあったかな?と推察します。
FM東京のOディレクターの指示の下、時間を計りながら対談と音楽のPCMテープが編集され、90分の番組が1本のテープに作られてゆきます。 その後、再生時間とエラーやノイズを検聴した後、万が一のためにセイフティ・コピーテープが作られ、20日の放送を待つばかりになりました。
その時、突然、某公共放送がこの番組以前に急遽PCM音源による放送を行うという、驚愕するニュースが飛び込んできました。放送日と番組は8月6日(土)午後3時からの「リクエストアワー」、関東地区ローカルの番組です。本来は視聴者からのリクエストで構成される番組ですから、新聞の番組表にはPCM録音機からの再生が行われるという記載はありません。放送された曲と演奏はハイドン/ピアノ・ソナタ、内田光子の演奏だそうです(インターネット上での記載を転用します)。1曲だとしたら再生時間は10分前後でしょうか。
登山に例えると、未踏峰の「PCM録音機からの放送」という山に向かって我々は麓から一歩一歩登り、また、登山を世間に公表してきました。8号目付近に差し掛かったとき、そこに突然ヘリコプターで9号目まで運ばれた某公共放送の軽装備の登山隊が登頂に成功し、「PCM録音機からの初放送」という記録を打ち立てたようなものです。自身の番組の中で、視聴者ではなく自身の記録達成のリクエストを放送したのですから。
少しがっかりしながらも、8月20日PCM録音機とマスターテープは当時西新宿のKDDビルにあったFM東京のスタジオに運ばれ、放送用調整卓に接続されました。放送中は「ノイズが出ませんように、無事再生できますように」と祈る気持ちで眺めていた高層階のガラス窓ごしの東京西部の景色が少しずつ暗くなり、番組終了時は素敵な夜景が眼下に広がっていたことをはっきり覚えています。
この放送の影響はデジタル録音機の放送収録現場への投入、音声系、制御系のデジタル化などに進み、最近ではラジコという形でパソコンや携帯端末でFM放送が聴けるようになりました。

(参考)朝日新聞、読売新聞:1977年8月縮刷版

(久)


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