この一枚

この一枚 No.33

クラシックメールマガジン 2011年1月付

~ケルテス&バンベルク響/ベートーヴェン:交響曲第4番、他~

「君はバンベルク交響楽団の録音ボタンの秘密を知っているかい?」、92年7月オランダでのゲルバーのピアノ録音の折、エンジニアのピーター・ヴィルモースがからかいの笑みを浮かべて尋ねてきた。
「いいかい、あそこでは録音ボタンを押すと信号機が赤になり、車が一斉に止まるんだぞ!」。
この録音の後にDENON録音チームはバンベルクでクリヴィヌ指揮バンベルク交響楽団によるブラームス交響曲全集の録音を開始する予定なので、60年代後半から70年代にかけてエラート・レーベルでのグシュルバウアー指揮バン ベルク交響楽団の録音を数多く手がけたヴィルモースに録音会場について尋ねた折の返事が上記の会話だった。よく出来た冗談と笑い飛ばしたが、妙に気になる一言だった。
南ドイツ、バイエルン州にあるベンベルクは周囲を小高い丘に囲まれた、世界遺産に登録されている美しい街並みと燻製ビールで有名な人口7万人の小都市である。わずか7万人の町にシンファニー・オーケストラとは!
このオーケストラの前身は第2次世界大戦中にドイツがチェコスロヴァキアを占領したことでプラハに設立されたプラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団。しかし、ドイツの敗戦により楽員はバンベルクに移住し、バンベル ク交響楽団として生まれ変わった。首席指揮者は前身と同様、ヨゼフ・カイルベルト。このコンビは68年に来日し、その名演で日本の音楽ファンにこのオーケストラの名を知らしめていた。
この街では90年代前半までコンサートや録音は旧市街の真ん中にある教会で行われていた。すぐ横を生活道路が走り、防音設備の無い教会内には交通騒音がひっきりなしに聞こえてくるという、「ここが録音会場」と言われても にわかには信じがたい環境なので、スタッフは半信半疑でマイクや機材を準備し、録音開始を待った。
翌朝10時、指揮者、オーケストラが揃い、「テスト録音」のアナウンスで指揮棒が上がるとそこは静寂の世界で、外部騒音が聴こえてこない。「エッ、どうなっているんだ、ヴィルモースの言ったことは本当か?」とモニタールームを飛び出すと、数百メートル先の信号機の下にパトカーが止まって、迂回路の案内をしていた。
ここの市民は戦後、オーケストラの演奏会や録音の度ごとに道路を遮断し、良い音楽を作ることに協力してきたのだろう。正しく「わが街のオーケストラ」を大切にする市民の姿勢を見た思いだった。
肝心の中身の話に移ろう。指揮者のケルテスはユダヤ系ハンガリー人としてブダペストとローマで指揮を学び、ドイツを拠点に60年代からヨーロッパの著名オーケストラや歌劇場で活躍するが、73年春にイスラエルで海水浴中に 高波にさらわれ、43歳の若さで死亡した。ウィーン・フィルが彼の死を悼んで未完だったブラームス交響曲第4番第4楽章などを指揮者無しで演奏し、全集録音を完成させたことは彼の音楽と人望を偲ばせる逸話である。
この演奏はケルテスが本格的に指揮活動を開始した60年代初期にオイロディスクに残したもので、彼のベートーヴェンは他に交響曲第2番と、ピアノ協奏曲第1番、3番があり、いずれもバンベルク交響楽団との共演である。交響 曲第4番も聴き応えするが、続く「レオノーレ第3番」、「コリオラン」、「エグモント」という序曲3曲はピアニシモからフォルテシモまで様々なレベルの音量をオーケストラから引き出して、まるでヴェルディのオペラのよ うなドラマチックな表現を創り出しており、後にこのオーケストラの首席指揮者に選ばれるのも納得できる演奏である。
しかしながら、この音源の存在は60年代前半の目録には記載されていたものの、再発売されることなく、長い間人々の記憶から忘れ去られ、LPレコードから復刻されたために音質が悪く、そのため演奏が正しく評価されない海賊CD盤が出回っているのみであった。
しかし、2007年初夏にドイツから朗報がオイロディスク担当ディレクターに届いた。「ケルテスのベートーヴェン交響曲2曲、序曲集のマスターテープを遂に探し出した。数多くの編集箇所がある、正にマスターテープと呼べる もので、音質は素晴らしい」
以下に、このテープを発見したソノプレスの邦人技術者がコロムビアのホームページ用に寄せた文から発見の経緯を紹介してみよう。
「マスターテープ」という言葉は一般的にはレコード原盤作成に用いられる音源テープということになると思いますが、実は仕様的にははっきりした定義がなく、実際の 現場にはいろいろなマスターが存在します。特にLP時代のマスターテープにおいては レーベルやプロデューサによってさまざまな考えや方針があり、その内容も多種多様です。
すなわち、手切り編集をした真のオリジナルテープをLPカッティング用のマスターとして使用する場合もあれば、オリジナルマスターの劣化の防止という観点や、スプライシングをなくして物理的に安定した走行と保存を得るためにマスターコピー をとってそれを使用する場合、また録音によってはエコー付けや音質の調整をした上ではじめてマスター音源としてオーソライズされる場合、さらにはLPカッティングの用途に限定して最適なイコライジングをしたコピーをカッティングマスターとして使用する場合などがあります。今回発見されたケルテスのベートーヴェンのアナログテープ このため各社のテープ庫には色々な世代のいろいろなマスターテープが保管されている可能性があり、それらの中から真のオリジナルにたどり着けた場合はきわめて幸運なことだといえます。今回のオイロディスクヴィンテージシリーズの場合はそのようなオリジナルを捜し求めることにかなりの労力が費やされました。たとえばオイロディスクのマスターが保管されているソノプレス社のテープアーカイブには、各種アナログテープ、ディジタルテープ、光ディスクなどすべてを合わせると約40万本のマスターメディアが保管されています。(もちろんオイロディスクはその中のほんの一部です。)
この中から1950-60年代の知られざるテープを探し出すためには、録音デーや過去におけるすべてのリリース番号などのデータのほか、現場での忍耐強い捜索、スタジオでの音の確認、勘と経験のすべてを使う必要があります。
ケルテスのベートーヴェンの場合も捜索の結果テープ庫から何本ものマスターテープが出て来ましたましたが、幸運にもその中に真のオリジナルテープが見つけることができました。
気温、室温ともに24時間管理されたテープアーカイブで保存されてきたテープは録音後40年以上経っているとは思えないほどの物理コンディションを保っており、このスプライシングがびゅんびゅん通り過ぎる正真正銘のオリジナルマスターがテレフンケンンM15マスター再生機の上に載せられ、数十年ぶりの明るい光のもとで、オリジナルならではのみずみずしい音を聴かせてくれました。
日系エンジニア(独、ソノプレス勤務)
2007年秋に発売されたこのCDに対して多くの音楽ファンから演奏と音質、双方への賞賛が寄せられ、商業的にも成功したことにより、以降、オイロディスクの60年代の知られざる名盤が多く探索され、素晴らしい音質で復刻さ れていく。しかしながら、海外では未だこの演奏はCD化されず、ケルテスのディスコグラフィーからも落ちている。これはまさに、探索者の熱意と努力による日本の音楽ファンへの嬉しい贈り物の誕生といえる。

(久)

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