この一枚

この一枚 No.35

クラシックメールマガジン 2011年3月付

~メイエ:モーツァルト/ブゾーニ/コープランド:クラリネット協奏曲~

ここに1枚の写真がある。クラリネット奏者のポール・メイエ、指揮者のデ ヴィッド・ジンマン、そしてDENONの録音スタッフ(ディレクターのウアバッハ、ミキサーのシュトリューベンなど)がにこやかに写っており、1992年春、ロンドンの小さな教会でモーツァルトのクラリネット協奏曲の録音終了後に行われたフォト・セッションの余韻の中で撮影されたものである。
1990年頃、いまや世界的クラリネット奏者で指揮者でもあるポール・メイエについて、ヤマハのピアノを愛用し、パリのヤマハのオフィスに出入りしていたピアニストのエリック・ル・サージュから「凄いクラリネット奏者がいるんだ」と現地の社員が聞かされ、そのうわさ話がこちらにも広まっていた。
その噂の奏者のデビュー録音はDENONが獲得した。91年4月にフランクフルトで行われた録音はル・サージュとのコンビによる「フレンチ・クラリネット・アート」。前評判に違わない素晴らしい演奏で、地元フランスでは高い批評もあってベストセラー商品となり、現地販売会社からは「次回作を早く」と要望された。
またこの録音でディレクターを務めたDENON Germanyのウアバッハと意気投合し、以降、メイエの録音の殆どの制作をウアバッハが担当してゆく。
2作目のウェーバーのクラリネット協奏曲はロンドンの教会を録音スタジオに改造したその名もズバリ、チャーチ・スタジオでヘルヴィッヒ指揮ロイヤル・フィルとの共演で行われた。DENONの録音スタッフはウアバッハと、旧東ドイツのレコード会社ドイツ・シャルプラッテンのチーフ・エンジニアであったクラウス・シュトリューベン。シュトリューベンは89年のベルリンの壁崩壊で国が消滅し、会社が無くなったので、以前共同制作で懇意にしていた西側レコード会社のスタッフに仕事の手配を依頼しており、その縁で彼の起用が決まった。
彼にクライバーとの「魔弾の射手」の録音の思い出について聞くと、いつもニヤッと笑って眼鏡を下げ、大声で「あの○○!」と、当時の現場の大変さを感じさせる言葉が返ってきた。
モーツァルトのアルバムの指揮者ジンマンは当時グレツキの「悲歌のシンフォニー」の世界的な大ヒットで注目されていたが、今日のベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏で巨匠と呼ばれる手前であった。アメリカ人にしては小柄でズングリした体型で、大きな目でよく笑う親しみやすい人柄で、メイエが作りたい音楽への理解は早く、的確にオーケストラをリードする職人といった感じで、後日、広上淳一氏に同じ印象を持った。このアルバムではコープランドでのリズムの処理に彼の上手さが感じられる。
メインのモーツァルトはメイエの爽やかな演奏に指揮者、オーケストラが的確につける過不足の無いもので、この後多く登場するオリジナル楽器での演奏を先取りしたかの印象を受ける。
メイエはその明るい性格から誰からも好かれているが、欧米人にしばしば見かける目上を押しのける人物とは異なり、先輩を敬う姿勢も立派である。その1つの例が93年1月、ブダペストでフランツ・リスト室内管弦楽団と行われたプレイエルとダンツィの協奏曲録音である。共演者はフルートの巨匠ジャン=ピエール・ランパル。ランパルにとっても1970年代以来久しぶりのDENONへの、また最後のDENONへの録音となった。モニタールームでランパルがフランスの管楽器の次世代を担うメイエの身振り手振りで話す姿を暖かく、眩しそうな眼差しで見詰めているのが、またメイエは大先輩で長老のランパルを常に立てて音楽を作ってゆく姿が共に印象的だった。
メイエはこの後も立て続けにシューマンの小品集、ロマンテック小品集、20世紀無伴奏クラリネット曲集、アングロ=アメリカン作品集、カルミナ四重奏団との共演でフックス、ウェーバーの五重奏曲などをDENONに録音し、その幅広いレパートリーでクラリネットの持つ多彩な表現力と音楽の魅力を伝えている。
今年(2011年)の4月には来日し、東京交響楽団とモーツァルトのクラリネット協奏曲を共演する予定とか。皆様も生の彼に触れられては如何ですか。

(久)

この1枚 インデックスへ