先日、寺神戸さんによる「テレマン/無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー」が新発売され、音楽専門各誌で絶賛されています。そういえば寺神戸さんのDENONへの初録音も1992年8月にトウキョウ・バロック・トリオ(寺神戸、上村、ルセ)として有田さんとの共演でテレマンのパリ四重奏曲だったことを思い出します。
でも、今回はこの「ファンタジー」ではなく、3枚の「無伴奏フルート(?)のための12のファンタジー」のエピソードを紹介しましょう。
まず、1枚目はフルートの巨匠ランパルが1972年に録音したものです。
この年の3月には日本コロムビアでNHK技術研究所の技術協力の基に録音部と三鷹工場(業務用録音再生器機製造部門)との共同開発による世界初の商業的PCM録音機が完成しました。この録音機は8チャンネルの入力を備え、13ビット(12ビ
ットのDAコンバーターに1ビットをディスクリートで組み上げたものでした)のAD/DAコンバーターを持ち、78dBのダイナミックレンジを確保していた。当時のプロ用38cm/秒のテープレコーダの性能が60dB前後であったことを考えると格段の向上で、またワウ・フラッターや歪値もアナログ録音機と比べると一桁違う、画期的性能でした。
しかしながら、この録音機はまだ1台しかないため、テープ録音のメリットであるコピーができず、録音したマスターテープを直接切って接ぐ編集を行っていました。もし何らかの事故でテープを傷つけてしまうと再生不可能!そんな恐ろしさを抱えながらスメタナ四重奏団やパイヤール室内管弦楽団など、PCM録音レコードのための録音、編集は行われていたのです。
そう、当時はCDではなく、アナログ・レコードの時代でしたので、この録音機にはディスク・カッティングのための特殊な機能も備えてありました。
まず1つめが「アドヴァンス(前方)・ヘッド」と呼ばれるもので、主信号の約1秒前の位置にもう1つの再生ヘッドが置かれ、「まもなく大音量が来るから音溝の間隔を広くして、溝どうしが接触(針飛びの原因になります)しないように、とか、弱音が続くから溝の間隔は狭くても大丈夫です」という信号をカッティング機に送り、音溝を効率良く刻むための機能です。通常VTRにはありませんが、
仕様を変更して音声用ヘッドをもう1個、1秒前の位置に設置することで解決しました。
2つめはアナログ・レコードの音質改善に大きな効果のあった「ハーフスピード・カッティング」です。マスターテープを半分の速度で再生し、カッティング機も半分の回転で回しながら、音溝を刻むことで、より正確な信号の溝を刻むことができる、という考えで始められ、日本コロムビアではこの技術を高音質レコードの宣伝文句としていました。
この手法は音質の改善はあるものの、音楽を半分の速度でLPの片面(20分収録の場合、40分間)再生しなくてはならず、マスタリング技術者やPCM録音機オペレーター、まるで巨大なバス・フルートをゆっくり演奏しているような音の拷問に耐えなければなりません。さらに、このレコードは海外でも評判で、増産のために何回もレコード・プレスを行うことから原盤の消耗が早く、プレス工場からは度々再カッテイングの要請がありました。工場からこの原盤番号が告げられる度に「また拷問か」と思ったものです。
ランパルの録音は埼玉会館でたった1日で行われました。当時、PCM録音機はマイクを離しても細部が明瞭に聴こえる、と言われ、また楽想を考慮して演奏家から離れたマイク・セッティングとなっています。そのため、近くの道路を走る自動車の音が混入しており、カッティング時に低音をカットしています。CDでは余韻や曲間など、当時の強引な制作箇所が聞こえますが、ランパルの豪快な演奏に免じて頂ければ、と思います。
1974年カメラータ・ベルンと共に来日公演を行ったオーボエのハインツ・ホリガーは日本コロムビアに「現代オーボエの領域」という驚異的なアルバムを創りました。これを皮切りに、室内楽編成でのバロック音楽を何枚か制作し、1979年、当時の第一スタジオでこの曲を録音しました。
ランパル同様、2日間のセッション日を設けてあるにも係わらず、「朝飯前」とでも言うかのように、「今の演奏は何小節から止まった直前まではO.K.だよね。
ちょっと前から次に進んでいいかな」と大きく息を吸って演奏に挑んでいきました。このディレクター役も兼ねながらの進行で夜8時頃には終了。その演奏の凄さに唖然とするスタッフににこやかに挨拶していきました。
今聴いても、「無伴奏フルートのための」という注釈が信じられないほどにオーボエの曲になっており、ホリガーの音楽性とテクニックの素晴らしさが感じられる1枚です。
最後は1989年末にオランダで行われた有田のフラウト・トラヴェルソによる演奏です。
DENONのオリジナル楽器のシリーズとしての「アリアーレ」を有田によるバッハのフルート・ソナタ全集で立ち上げたばかりの制作スタッフは以降に何を誰で録音、発売するか?暗中模索していました。2作目は18世紀オーケストラの日本人メンバーを中心に結成されたボッケリーニ・クァルテットとのモーツァルト/フルート四重奏曲全集をヨーロッパで録音、とほぼ決まっていましたが、たった1枚の録音のために演奏家やスタッフの出張が許可されるような制作状況ではありません。
このシリーズの生みの親ともいえる音楽評論家の故佐々木節夫さんと有田とDENONスタッフとで様々なアイデアが出されましたが、その中の1つがこの楽曲でした。以前、日本コロムビアが販売したアクサン・レーベルのLPの中にバルトルド・クイケンによる演奏があり、地味ながらコンスタントに売れていたことがヒントでした。それまで、有田は演奏会では12曲の中から数曲を演奏したことがあるものの、全曲を纏まった形では取り上げたことがなく、演奏家にとっても良い機会でした。また、財政的にも1人の経費で収まります。
こうして、「アリアーレ・シリーズ」の3作目までが決定しました。以降は有田の率いる「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」の成功も追い風となって、ヴィヴァルディのフルート協奏曲、ブラヴェの作品集と、シリーズの形が見えてきました。
この盤は端正な演奏と、使用した楽器がテレマンとほぼ同時代の英国王室御用達のステインズビー・Jr製作のもの、ジャケットに用いた有元さんの絵の美しさ、など多くの評判が重なり、国内では翌年秋の発売と同時に音楽的にも、商業的にも成功を収めました。また、海外市場は邦人演奏家にとって高い壁でしたが、フランスを中心に音楽専門誌、販売店からも良い評価を得るなど、このシリーズの継続にとって大きな一歩となりました。
偶然ですが、同一曲の三者三樣の素晴らしい演奏がDENONレーベルに揃いました。
あなたはどの演奏がお好みでしょうか?
(久) |