[この一枚 茶話-3] 〜無響室のオーケストラ〜

この一枚

「空前絶後」、広辞苑によれば、「以前にもそれに類する物事が無く、将来にもなかろうと思われる、ごくまれなさま」と説明されている。 1987年7月、大阪府箕面市民会館大ホールで行われた「無響室のオーケストラ」録音はまさに「空前絶後」なプロジェクトであった。

「無響室」は文字通り、響きが全くない空間で、音に携わる研究機関や企業には「測定装置」として必要不可欠な部屋である。以前、日本コロムビア川崎工場内にあった無響室は部屋の外観は縦横高さ、それぞれ5mくらいだっただろうか。しかし内部は六面共に吸音材で覆われているため、金属ネットの床面積は3m×3mくらいであった。
1973年春にはこの無響室を使って「オーディオ・テクニカル・レコード」(XL-7001〜3)用にソロ楽器(ヴォーカル、ヴァイオリン、フルートなど)が収録され、「響きのない、生の音源」として当時話題になったが、数人入ればいっぱいになる部屋の狭さから、合奏の音源を収録することはできなかった。

1987年、竹中工務店の建築音響部門より「空前絶後」の計画が提示された。内容は「建築音響、特に音楽ホールの設計・音質評価のために響きのないオーケストラの音源が必要である。そのため竹中工務店側でホールを借り、ステージを吸音材で覆って半無響室状態を作り、その中でオーケストラの演奏を行うので、日本コロムビア側はその録音を行ってくれないか」というものだった。
早速、この録音ではどのような機材が必要か、また新たに機材を作るならばどれくらいの期間が必要か 検討され、「できる限りの音素材を収録する」為に29本のマイクロフォンと32チャンネルのPCM録音機が準備された。

同年7月、府箕面市民会館大ホールのステージは全面仮設の鉄パイプと無数の吸音材を包んだ白い布で覆われていた。さすが大手ゼネコンの力!そして29本のマイクロフォンが林のように楽器の前に置かれ、演奏が始まった。
まるで屋外で演奏しているような、響きのないステージでの演奏に最初は指揮者もオーケストラも戸惑っていたが、モニタールームで残響を付加された音をヘッドフォンやイヤフォンで聞くことで普段の演奏を取り戻していき、作曲家や楽器編成が異なる様々なオーケストラ曲を次々演奏、収録していく。

翌年6月、金蒸着CD「無響室のオーケストラ」は1枚7000円という破格の値段で発売された。
全体は6つのパートで構成されている。第1章は「無響録音プログラム」、最初にモーツァルトの《フィガロの結婚》序曲が響きのない、まるでスカスカの音で聴こえてくる。続くメンデルスゾーンも、ビゼーの《アルルの女》組曲よりメヌエットのフルート・ソロは屋外で練習しているように感じられる。改めてオーケストラを包み込むホールの音響が演奏に美しさ、力強さ、輝きを与えてくれることを認識させられる。次に短い「評価用サンプル」、そして「ホール残響付加音サンプル」ではウィーンのムジークフェライン、アムステルダムのコンセルトヘボウ、ボストンのシンフォニーホール、この世界の三大音楽ホールの響きをシュミレーションした音が聞ける。更に音楽マニアの心をくすぐる「楽器のかさなりとスコア・リーディング」、ブラームス交響曲第1番の部分を使って、ティンパニ、金管、木管、コントラバス、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンと楽器が重なると音楽が次第に血肉を得て躍動していく様がよくわかる。そしてオーディオ、マニアに嬉しい「収音方式の違い」、最後に「測定用信号」、という測定用だけでなく、観賞用にも工夫された内容になっている。
また、このCDは英語、ドイツ語、フランス語の解説がついた輸出用も作られ、全世界で販売された。

竹中工務店が携わった代表的な音楽ホールとして新国立劇場オペラ劇場、東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアルや浜離宮朝日ホール、ハクジュホールなどが挙げられる。規模の大小はあるが、いずれも美しい響きを持ち、演奏家からも聴衆からも、録音関係者からも高い評価を得ている。
この「無響室のオーケストラ」がこれらの音響設計・音質評価に少しでも役立ったならば、嬉しい話である。

この「空前絶後」のプロジェクトを立ち上げ、実現された竹中工務店の建築音響関係者の方々にこの場を借りて改めて謝辞を伝えたい。

(久)


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