[この一枚 No.49] 〜イタリア合奏団/ヴィヴァルディ:協奏曲集《調和の霊感》〜
東京赤坂に当時「東洋一」と謳われた日本コロムビアの録音スタジオが完成したのは1965年。このビルは地下2階が駐車場、地下1階は社員食堂、1階ロビーは様々なパーティや多くの歌手たちの涙の会見の場として使われた。2階は事務所とダビングや放送番組制作用スタジオ、テープ編集室、そして奥にレコード・カッティング室が配置されていた。3、4階は吹き抜けでオーケストラ録音が可能な第一スタジオ、邦楽やバンドの録音に多用された第二スタジオが隣り合わせていた。また第一スタジオのモニタールームの上には録音風景をガラス窓ごしに見下ろせる見学者用階段室も設けられていた。 この録音スタジオとカッティング室が同一ビル内にあることから、69年にはテープ録音機を介さず、録音スタジオとカッティング室を直結して、ミキシングされた音を直接ラッカー盤に刻み込むダイレクト・カッティングのLPを2枚発売した。このアルバムは偶然同時期に米国シェフィールド・ラボから発売された同じダイレクト・カッティングのLPと共に音の良さで話題となった。 この音の良さの原因はアナログテープ録音機の持つダイナミック・レンジの狭さ、テープ・ヒスや変調歪などの欠点が除かれた事によるのだが、一方でダイレクト・カッティングの難しさ、問題点も露呈した。演奏家の音楽的なミスや技術者の操作ミスなどの失敗が許されないこと、演奏が乗ってきてもディレクターの合図で時間内に終わらなければならないことなどで、改めてテープ録音の効率の良さが見直された。ここから、テープ録音の欠点を取り除き、ダイレクト・カッティングの制約を取り払う次世代の録音システム、PCM(デジタル)録音機の開発が日本コロムビアの放送局用機器開発製造を行う三鷹工場と録音部の共同開発という形で始まっていく。 1994年の第1回日本プロ録音賞を受賞して以来、この賞の常連として名高いマスタリング・エンジニアの保坂は1967年に日本コロムビアに入社し、まず、アナログ・レコードのカッティング・エンジニアとしてそのキャリアをスタートする。 マスターテープの持つ良さや魅力をうまくレコードにカッティングする技術と丁寧な作業で保坂は当時日本コロムビアが契約していたフランス、エラート・レーベルのカッティングを一手に任された。結果、「音の良いレコード」としてエラートは音楽ファンの間で評判になっていった。 当時、保坂の「自信作」はクラウディオ・シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティが演奏するヴィヴァルディの「調和の霊感」。ジャケット表はヴェニスのサン・マルコ広場の景色が線画で描かれている2枚組で、「この録音は最高」と機会ある毎に周囲の人間に述べ、保坂の部屋(第3カッティング・ルーム)での新機材のテストでは必ず用いて、音質評価を行っていた。 その後、70年代半ば、エラートの日本での発売権はRVCに移るが、移った当初は日本コロムビアのような輝きのあるエラートの音が作れず、エンジニアが苦労したと言われている。さらに、90年代エラートはワーナーの傘下となるが、ワーナーでは70年代初期音源のCD化にあたってはレコード時代の音質を復活させようとして保坂にマスタリングを依頼した企画もあった。 前述の保坂の「自信作」イ・ソリスティ・ヴェネティ演奏のヴィヴァルディ「調和の霊感」はデンマークのフリーのエンジニア、ピーター・ヴィルモースによって北イタリア、パドヴァの郊外にあるヴェニス共和国時代の名門貴族コンタリーニ家の別荘、ヴィラ・コンタリーニの大広間で録音されたものである。録音会場のコンタリーニ宮についてはこのメルマガの第5回目「イタリア合奏団:ヴィヴァルディ:協奏曲集《和声と創意への試み》作品8」や高木綾子さんの録音レポートを読み返していただきたい。 日本コロムビア録音部ではダイレクト・カッティングを経て、72年のPCM録音機の導入以降、録音機の小型化、高性能化と並行して、様々なデジタル周辺機器の開発が急務だった。1977年にシンプルなデジタル遅延補正とレベル・コントロール機能を備えたデジタル調整卓を開発したが、まだ演算処理に必要な高性能のCPUが無いため細かい音質調整はできず、録音ラインへの本格導入は見送られた。その後、81年にはハードディスクを用いたデジタル編集機、82年にはCDトラックやインデックス箇所を指定するサブコードエディターなどの開発が次々進められた。 そして、86年、日本から始まったCD化の波は世界中に波及し、CD工場を持たない国内外のレコード会社はこぞって日本にマスターテープを送り、CD生産を依頼してきた。日本コロムビア・レコード事業部内でもCD部が設けられ、本格的な受注活動が始まった。保坂は狭い第3カッティング室から多くの音楽家や制作関係者が立ち会える、2部屋ぶちぬいた広い第7マスタリング室に移動し、他社音源のマスタリング担当となった。同時に初のデジタル・マスタリング調整卓が開発され、保坂の部屋に据え置かれることになった。 マスタリングの要ともいえる音質調整(イコライザー)で、従来のアナログ機器では音の帯域を低音、中音、高音と3分割し、それぞれ強弱が2デシベルごとに変えられるものが一般的だった。しかし、デジタル調整卓の開発テストで帯域も強弱の設定ももっと細かくすべきだし、デジタルではそれが可能である、と分かっていたので、帯域は5分割、強弱の幅は0.5デシベル、との基本設計がなされた。 実際に操作すると、アナログ・イコライザーでは2デシベル強弱を変えても音の変化が掴めない音源が、デジタルでは音の濁りが無く、0.5デシベルの変化でもその違いを感じ取れたりもした。また微妙な音色の変化が付けられ、作品の仕上がりが向上することから、保坂のマスタリングへの指名注文が増え、中には香港のレコード制作者のように保坂を香港の録音現場に招待するものもあった。 そして89年、ほぼ20年ぶりに再び保坂のもとへ、ヴィヴァルディの「調和の霊感」がコンタリーニ宮という同じ録音会場、同じヴィルモースの録音で届けられた。前回との違いは(1)演奏団体がイタリア合奏団、(2)レコードからCDへ、(3)マイクがショップスからB&Kへ、(4)調整卓がアナログからデジタルへ、(5)そしてレコード会社がエラートから自社に、であったが、基本的な音の良さ、響きの美しさは変わっていなかった、というより、さらに良くなっていた。保坂にとって望むところであったに違いない。1曲1曲、時間をかけて繰り返し聴きながら丁寧なマスタリング作業が行われ、新たな自信作が生み出された。 緑のテーブルクロスと中央の円盤が特徴のジャケットのCDは発売直後から演奏、録音共に評判を呼び、同年の第27回レコードアカデミー賞の録音部門に輝いた。 この年は他にもインバルのベルリオーズの「レクイエム」が声楽部門で受賞するなど、コロムビアにとって嬉しいダブル受賞となっている。 その後も保坂の丁寧な仕事は音楽業界に広く知られ、レーベルの枠を超えて多くの関係者が第7マスタリング室を訪れたが、会社経営母体が日立からリップルウッドに移り、スタジオの廃止、録音部門の縮小に伴い、保坂は退社を余儀なくされ、独立して一口坂スタジオにH2マスタリング室を開設した。 その後は久石譲氏など、多くの著名アーティストを顧客としてきたが、今年3月には一口坂スタジオの廃業に伴い、H2マスタリングも一時閉店となってしまった。レコーディング・エンジニアはサウンド・デザイナーとしてCDにクレジットされるが、サウンドの仕上げ作業を行うマスタリング・エンジニアはあまり知られていなかった。しかし、その優れた仕事ぶりからマスタリングの地位を引 き上げた保坂H2スタジオ。一刻も早く、その再開を願わずにはいられない。 保坂は0.5デシベルで音質調整ができるようになったとき、「0.2デシベル単位でさらに細かく変化できないか?」と当時の技術者を困らせるなど、微細な音の変化を聞き取れる耳を持っている。 (久) |
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