[この一枚 No.53] 〜ミシェル・ダルベルト/シューベルト:ピアノ・ソナタ全集〜

この一枚

1980年代後半、日本コロムビアのクラシック・レパートリーは順調に拡大を続けていた。オーケストラ部門ではインバル、スウィトナー、アンサンブルではイタリア合奏団が活躍、室内楽ではスメタナ四重奏団の残照が続き、弦楽器ではカントロフのヴァイオリン、藤原真理のチェロ、さらに声楽では鮫島有美子が日本のうたを中心にレパートリーを拡大していた。
問題はピアノ部門だった。高橋悠治を筆頭に、ゲルバー、ルヴィエで様々なピアノ曲の録音を進めていたが、1976年のモレイラ=リマやアンネローゼ・シュミットでの録音以降、ショパンのピアノ曲の新録音は殆ど無く、当時のブーニン現象をただ茫然と眺めるのみだった。
また、自主音源ではショパンのピアノ・レパートリーの大部分が欠けていることもあり、ショパンが弾ける甘いマスクの男性ピアニストの発掘は営業・宣伝から制作陣への最優先要望であった。

そんな折り、海外制作から帰国した川口ディレクターから「そちらの希望に適う甘いマスクの良いピアニストと契約できたぞ」という朗報が伝えられた。しかし、その次の言葉は非常に頭を抱えさせるものだった。「まず、シューベルトのピアノ・ソナタ全集を録音して、その間に他のレパートリーを録音する予定だ」

1955年パリ生まれのダルベルトは75年にクララ・ハスキル・コンクール、78年にリーズ国際コンクールで1位に輝き、エラートにベートーヴェン、シューベルトなどを録音し、そのテクニックと端正な顔立ちでフランスでは人気の高いピアニストだった。
しかし、どうすれば「フランス人が弾くシューベルト」が日本の、またフランス以外の国の音楽マスコミに取り上げてもらい(当時のコロムビアは欧州にも販売網を持っていた)、レコード店、音楽ファンに受け入れてもらえるのだろうか?
過去、75年春に当時ハンガリーの若手三羽烏の一人として女子音大生に人気の高かったラーンキが京橋中央会館でシューベルトの21番のピアノ・ソナタを録音したが、同時期に録音したリストのソナタと比較すると、商業的には成功とは言
えなかった。甘いマスクのショパン弾きを要請していたのに、甘いマスクのシューベルト弾き!さらに個性的な、難題ピアニストが加わることになった。

この録音会場について記してみよう。スイス、レマン湖畔の避暑地ヴヴェ、ここは喜劇王チャプリンが晩年を過ごし、また世界的食品会社ネスレの本社があることで知られている。この街の郊外のブドウ畑の真ん中に辛口で軽い発泡性の白ワインの産地として知られるコルソー村があり、この村の集会所としてホールが建てられた。中は小さなステージと1階、2階の客席(ダンス用に1階の椅子は取り外し可能)があり、収容人員は約400名。ほぼ木造のため、こぢんまりとした暖かな響きがする。録音用に持ち込まれたピアノは椅子が撤去された1階床のほぼ中央に置かれて録音は行われた。
このホールに隣接して小さくて快適なホテルがあり、ここに泊まるとまさしく職住隣接であったが、初期の録音を除いて、録音スタッフはヴヴェ駅前のホテルに宿泊した。
理由は、録音時間にある。オーケストラ相手では、録音は午前、午後の3時間ずつ、1日6時間で、遅くとも夕方5時過ぎには終了するが、ピアニスト一人の場合は、納得いく演奏が録音できるまでの無制限勝負。時には夜10時を過ぎて、レストランのラスト・オーダーを過ぎてしまっても録音が終わらない場合がある。
そんな時は空腹のままベッドに倒れ込むか、駅前まで車を走らせ、夕食後またホテルに戻ってくることになる。レマン湖を見下ろすテラスでの朝食はとても気持ちが良かったのだが、夜の辛さ、煩わしさには勝てず、隣接したホテルは敬遠された次第である。

ダルベルトの演奏は格段に遅いテンポで演奏するアファナシェフほどではないが、いわゆる「優しく、ロマンチックな、鄙びたウィーン風の」といった他の演奏家の音楽とは異なっていた。
生涯、シューベルトは「シューベルティアーデ」と呼ばれる、気心の知れた友人達との輪の中で過ごし、ウィーンから一歩も出なかった人だったが、ダルベルトのそれはまるで「シューベルトがショパンのようにパリを訪れ、華やかな貴婦人達に囲まれた都市のサロンで演奏している」ように、ピアノの音は研ぎ澄まされ、高音は華やかで、フォルテは時に攻撃的で大音量。まるでドビュッシーかプーランクのような明晰なシューベルト像が創り出されていた。
ダルベルトの趣味の1つにスキーがあり、冬はアルプスのスキー場をしばしば訪れるが、この人はおそらく、ゆるいスケートボードではなく、スキー板のエッジをきかせて、シャープにポール際を攻める滑降が好きなのでは?と、その演奏から想像させられる。

1989年秋のデビュー・アルバム発売に向けて、プロモーションのためにテスト盤とアーティスト写真、宣伝資料など一式を持って音楽雑誌編集部や日刊紙の音楽記者を訪ねたが、何れからも「フランス人のシューベルト:ピアノ・ソナタ全集録音開始?来日予定があれば、その時特集を組みましょう。何時頃来日ですか?」と、日本ではほぼ無名のピアニストのデビューはその価値を計りかね、やんわりと断わられ続けていた。

その頃はバブル絶頂期で、音楽専門誌、日刊紙の次に影響があったのは20代後半から30代前半のOL達をターゲットにした女性誌であった。中でも護国寺の光文社の「クラッシィ」と京橋、中央公論社の「マリ・クレール・ジャポン」は双璧だった。
「クラッシィ」編集部を訪れると、撮影用に借りてきた華やかなドレスや靴、小物が周囲を取り囲み、「いかにも女性誌の編集部」といった様相を呈し、並河編集長はいつもスーツにネクタイとうダンディな出で立ちで、黒田恭一氏に依頼する原稿案を練っていた。

対照的だったのは「マリ・クレール」編集部だった。当時、まだ携帯電話やメールが普及していなかった時代に、副編集長で音楽記事担当の安原氏と会う約束を取り付けるのは至難の業だった。
安原顯(やすはらけん)、業界では「ヤスケン」と呼ばれていた編集者はいったい、何時会社の机に向かって仕事をしていたのだろう。平日夕方4時から8時の間に電話しても電話口に出た他の社員から「まだ出社していません」と冷たく言われることが殆どだった。希に電話口で当人を捕まえ、プロモーションの話をしても「じゃあ、資料一式送っといてよ」と電話を切られてお終いだった。

しかし、ダルベルトの場合は違って、ヤスケンが食いついてきた。本がうず高く積まれた編集部の一室でヤスケンと向かい合いながらダルベルトのシューベルト:ピアノ・ソナタ全集の話をすると「じゃあ、電話インタビューで記事が作れる?」との返事が返ってきた。
川口ディレクターを通じてパリの音楽事務所に連絡し、インタビューは日本時間の夜(パリの午後)と決まった。電話インタビューの録音装置が備え付けられた番組制作用スタジオやフランス語の通訳を予約し、インタビュー内容をヤスケンと詰めた。カラー4ページ分、知的な女性向けの質問には何を聞けばよいのだろうか?甘いマスクを打ち出すならば普段の生活について、音楽の好みならば、フランス音楽とシューベルトについて分かり易くかな?と悩まされた。
幸い、電話の向こうのダルベルトは知的でよく話してくれた。パリが本家のマリ・クレールについて「どんな雑誌か」を知っていたからだろう。

後日、インタビュー翻訳原稿と多くの未使用宣伝写真を携えて編集部を訪ね、ヤスケンとインタビューの様子やその他、業界の四方山話を交わした。その会話の中で「どんな本を読んでいるか」の話題になり、「同世代の村上春樹のノルウェイの森も読みました」などと話すと、「あんな本なんか最低だ」というニュアンスの言葉が返ってきて大変に驚き、「どうして?」と思いつつも、その話題はそこで終わった。

マリ・クレールのカラー特集も効果があったのだろうか。数年後、ダルベルトのカザルスホールでの初来日公演は女性客で一杯だった。シューベルトと同じように時折顕れるフォルテがとても強靱な演奏スタイルのベートーヴェンやドビュッシーに少し戸惑ったことを憶えている。

1995年6月、最後のソナタ21番の録音で6年半を費やしたCD14枚の録音が終了し、1997年の「シューベルト生誕200年」を記念しての全集発売となった。
89年の販売開始時、DENONレーベルでの新録音CDはフランス語圏では特選盤に選ばれ、セールスの出足はまあまあであった。しかし、シューベルトのピアノ曲のうち、売り上げが期待できる有名曲は、最後の三大ソナタと「さすらい人幻想曲」、「楽興の時」など数枚分だけ。そのほかのアルバムは日本ばかりか世界的にも大苦戦で、制作費が安いとはいえ、制作中止にならないのが不思議なくらいだった。
でも、小品がほんの少し抜けてはいるが、これほど多くのシューベルトのピアノ曲を網羅した全集は他に例がない。シューベルトの音楽に癒されたい人にはファースト・チョイスではないかもしれないが、その音楽の中に多面性、現代性を求める人にはお薦めできる演奏、録音である。

ダルベルトは日本コロムビアにシューベルト:ピアノ・ソナタ全集14枚、モーツァルト:変奏曲集2枚、リスト:ピアノ曲集2枚、グリーグ:ピアノ協奏曲1枚、シューマン:ピアノ協奏曲1枚、ベルキンとのブラームスのヴァイオリン・ソナタ集1枚の計21枚を残し、ピアニストの中で重要な位置を占めているが、残念ながらショパンは1枚も無かった。ショパンを演奏したら、もっと人気が出ただろ
うに。

1991年に中央公論社を退社したヤスケンとはその後接点は無かったが、2006年春の「文藝春秋」の広告「ある編集者の生と死-−−安原顯氏のこと:村上春樹」を見て驚いた。
そこには、過去、安原氏が村上春樹担当の編集者で、いつの頃からか、袂を分かつことになった事が記されていた。そこで中央公論社の編集部でのヤスケンの罵倒の謎が少し解った。

(久)


アルバム 2008年03月19日発売

ダルベルト/シューベルト・ピアノ・ソナタ全集
※1989年〜1995年録音
COCQ-84414-27 14枚組 ¥7,600+税

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アルバム 2006年12月20日発売

ダルベルト/モーツァルト変奏曲集
※1991年、1993年録音
COCO-70865-6 ¥1,500+税

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アルバム 2008年12月17日発売

ダルベルト/リスト作品集
※1990年、1992年録音
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