[この一枚 No.55] 〜藤原真理/風―Winds〜ナウシカの思い出に捧げる〜
藤原真理さんが第6回チャイコフスキー国際コンクール、チェロ部門で第2位に輝いたのは1978年。
そして、翌年2月には日本コロムビアからデビュー・アルバム「ロマンティック・チェロ・ミニアチュアーズ」が発売された。以降、再度の小品集、ハイドン/ボッケリーニのチェロ協奏曲集、バッハ/無伴奏チェロ組曲全集とチェロ音楽の王道が録音され、順次発売されていった。
「次回作はベートーヴェンのチェロ・ソナタ集」と音楽ファンならば誰もが予想しただろうが、でもそうはならなかった。無伴奏チェロ組曲の録音の途中から彼女はフルートのニコレやヴァイオリンのカントロフと共に様々な室内楽のチェリストとして録音に参加していった。途中、ソリストとしてもドビュッシーのチェロ・ソナタやベートーヴェンの三重協奏曲の録音を行ってはいたが、やや地味な曲目でもあり、周囲に強い印象を与える物ではなかった。 1962年アメリカの生物学者レイチェル・カーソンが発表した1冊の本「沈黙の春」は初の「人間が作り出した農薬による環境破壊を告発する本」として、世界中に衝撃をもたらした。 また、70年代からヨーロッパでは石炭を燃やすと発生する硫化ガスや自動車の排気ガスによる酸性雨が文化財や森林を破壊するとして、大きな問題となり、ドイツや各国で環境保全を訴える「緑の党」が誕生していた。 日本でも水俣病や四日市喘息、全国的には排気ガスや粉塵公害が大きく取り上げられ、1984年のアニメ映画「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)では「自然破壊」を強く訴えていた。 世界中で環境問題、自然との共生を考えることが大きなムーブメントとなっていた。 87年、藤原真理の次回作はプロデュース・編曲に久石譲を迎えて「自然との共生」をアルバム・コンセプトとし、クラシック、ポピュラーという音楽ジャンルを問わず、自然の素晴らしさを伝える曲で構成されることになった。 当時、日本ではクラシックの演奏家がポピュラー音楽を演奏することに対して周囲に大きな抵抗があったし、世界的にもそうだったかもしれない。有名な三大テノールが登場したのは1990年のイタリア・ワールドカップ大会で、チェロのヨーヨー・マがポピュラー歌手ボビー・マクファーリンとの共演アルバムを発表したのは1991年、ヴァイオリンのクレーメルがタンゴの巨匠ピアソラの作品集を発売するはまだ先の話だった。 このアルバムディレクターの川口は以前にも神戸で活躍する古楽のダンスリー合奏団と坂本龍一との共演やカントロフ率いるパガニーニ・アンサンブルでポピュラー音楽を録音するなど、音楽のジャンルの境界を越えて制作活動を行っており、チェロで「ナウシカ」を演奏することはまさに時代を先取りする企画だった。また、久石さんは81年のアルバム「ムクワジュ」以来の日本コロムビアとの仕事だった。 録音は赤坂の日本コロムビアのスタジオと六本木ヒルズができる前のテレビ朝日通り沿いのビルの地下にあった久石さんのスタジオ、ワンダーステーションでチェロ、ピアノ、そしてシンセサイザーとの組合せで行われた。 川口ディレクターから「このアルバムの宣伝・販売の参考に」、と宣伝・営業担当者にラフ編集のテープと「風の谷のナウシカ」、「スノーマン」のビデオ・コピーが渡された。初めて見る「ナウシカ」の物語は「自然破壊と共生」について深く考えさせられたし、「スノーマン」は無条件に楽しかった。また、ラフテープで聴く「ナウシカ組曲」はチェロとピアノのシンプルさが心地良かったし、シンセサイザー伴奏の「鳥の歌」は、より高く、広い空を感じさせた。 しかし、このアルバムをどう宣伝すればよいのだろうか?例えば、マスメディアの担当部署はクラシックだろうか、ポピュラーだろうか? まず、全国紙のクラシック担当記者にデモテープと資料を持って行った。中には記者もどんな原稿を書けばよいか、困惑し、芸能や家庭欄の記者を紹介する新聞もあったが、大半は企画意図に好意的で藤原さんのインタビューが数多く行われた。まず「どうしてクラシックの演奏家がこのようなアルバムを作られたのですか?」に始まり、「チェロで自然との共生を訴えることは素晴らしいですね」に終わるもので、毎回同じような質問に藤原さんは、ドイツの酸性雨による森林破壊の現状などの話も交え、丁寧に答えて頂いた。ちょうど「となりのトトロ」が公開中で、宮崎監督や映画音楽を担当した久石氏に注目が集まっていたのも幸いしたのだろうか。ただ、紗幕がかかったような不鮮明なジャケット写真は「モノクロの新聞掲載に向かない」、と不評で、アーティスト写真は撮り直されたところが多かった。 同時に、音楽関係だけでなく、女性誌、家庭誌、育児誌など幅広いメディアへのプロモーションが仕掛けられた。これには数年前に鮫島有美子さんのプロモーションで築き上げた宣伝担当の及川さん(現、及川音楽事務所)の人脈が活用された。 また、営業は春のクラシック主要店担当者を集めた説明会で藤原さんの生演奏を行い、従来のクラシック商品とは異なる販売手法を依頼した。 クラシック音楽では異例の、新しい試みではあったが、関係者の尽力もあり、結果、多くのメディアで取り上げられ、クラシック音楽ファンのみならず、幅広い年齢層の人々がCDを購入してくれた。そしてアニメの力、熱心なアニメファンの存在を知ったのもこの時だった。 以降、この「自然との共生」をコンセプトとしたアルバムは「風のメッセージ」、「風のかたみ〜宮沢賢治へのオマージュ」と制作され、「風三部作」と呼ばれて彼女の代表作となる。また、彼女の宮沢賢治への思いはずっと続き、今年も賢治自身のチェロを演奏した、とある新聞で紹介されていた。 また、邦人クラシック・アーティストの幅広い音楽活動はその後、コロムビアが先駆けとなって開拓したJ-クラシックにつながってゆき、様々な方面から「クラシック音楽」と「ポピュラー音楽」の垣根が低くなり、「良い音楽」と「共感できない音楽」に変わっていった。 この夏、藤原さんはある雑誌に「無人島に持ってゆく物」としてエッセイを寄せている。その中で「多くの人は私が無人島にチェロを持ってゆく、と思われるでしょうが、無人島まで来てチェロは練習したくない。カントロフの素晴らしいストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲のCDを持って行き、聴きたい」と紹介している。 80年代、カントロフとの多くの共演体験が、今年末、カントロフを指揮者からヴァイオリニストに戻し、再度日本で共演する熱意を生んだのだろうか。 繊細で、しかも剛胆な藤原さんの一面を良く現しているエッセイで読んで思わずニヤリとさせられた。 (久) |
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