[この一枚 茶話-5]〜オルガン録音とマイクロフォンスタンド〜
1974年12月第1回PCMヨーロッパ録音の一環としてドイツ、シュトゥットガルトの福音派記念教会で行われたヘルムート・リリング演奏のオルガン録音(J,S,バッハ:オルガン名曲集、J.S.バッハ:教会暦によるオルガン・コラール集)はその後約10年に及ぶヨーロッパ各地でのオルガン録音の始まりであった。
この録音を担当したデンマーク人のフリーのプロデューサー/録音エンジニアのピーター・ヴィルモースは彼の録音人生のきっかけが恩師のオルガン演奏の録音であったことから、オルガン音楽とその録音に造詣が深く、これまでにもヨーロッパ各地のオルガンをマリー=クレール・アランなどの名オルガニストと共に録音していた。 ヨーロッパ出張録音では1回に効率よく多くの録音を行いたいが、著名な演奏家は多忙で録音日程は指定されており、時には演奏家Aの録音から演奏家Bの録音まで2週間のブランクがあった。その間ヨーロッパでスタッフと機材を遊ばせておく訳にもいかない、と困った時にオルガン録音は救いの神であった。 ヴィルモースに相談すると「あそこに良いオルガンとオルガニストがいる。格安で録音できるよ」と二つ返事で録音をアレンジしてくれた。 また、録音技術の面からも歪みの少ないPCMデジタル録音の威力を発揮できるのがオルガン録音であり、さらに日本では歴史的なオルガンの録音ができないので、レコードカタログの充実の面からも願ったりの企画であった。 こうして以下のオルガン録音カタログが積み上がっていった。 (1)1976年1月デンマーク、ソーレー修道院教会 (2)7月デンマーク、コペンハーゲン、ホルメンズ教会 (3)7月ソーレー修道院教会 (4)1977年3月デンマーク、コペンハーゲン、ホルメンズ教会(2枚分) (5)1977年3月デンマーク、コペンハーゲン救世主教会 (6)1978年6月オランダ、シーダム聖ヨハネ教会 (7)7月フランス、ウダン聖クリストフ教会 (8)1979年10月東ドイツ、フライベルク大聖堂 (9)1980年7月東ドイツ、ベルツィヒ、マリア教会 (10)1981年7月スイス、フラウエンフェルト聖ニコラウス教会 (11)1981年7月オランダ、カンペン聖ニコラウス・ボーベンス教会 (12)1982年8月西ドイツ、シュターデ聖コスメ教会 (13)1983年7月ランツベルク聖十字架教会 (14)1983年12月オランダ、アムステルダム、ヴァールス教会 (15)1985年7月フランス、オルレアン聖十字架大聖堂 (16)1986年7月スイス、ムーリ、クロスター教会 1987年以降オルガンの録音が行われていない理由はまず、西ドイツ、デュッセルドルフに日本コロムビアの録音基地を設け、録音エンジニアを駐在させることで、ヨーロッパ内の人・録音機材の移動を無駄な時間を作らず、効率よく行えるようになったこと、17世紀、18世紀のオルガンの主要曲はおおよそ録音できたこと、オルガンCDの市場が小さく、録音経費は安くても費用対効果が悪くなってきた、ことなどが挙げられる。 冒頭で述べた1974年12月のオルガン録音で日本コロムビアの録音スタッフ、穴澤、飯田が初めて目にした録音機材があった。それは10mの高さまで伸びるマイクロフォンスタンドであった。 日本の録音や放送スタジオで目にするマイクロフォンスタンドは、ノイマンのU-87、M-49などの重いマイクロフォンも取り付けられる高砂製作所の大きくて重い、移動用車輪のついたブームスタンドか、AKGのGSスタンドと呼ばれる小型のスタンドのみで、いずれも高さは数メートルどまりであった 。 ヴィルモースが使ったマイクロフォンスタンドはイタリアの写真機材メーカー、マンフロット社製で、元々は教会の天井画など、高い所の絵を照らすために撮影用ライトを取り付けるための三脚であった。 この三脚はアルミニウム製で、軽く、しかも畳むと全長は2m以内、ワゴン車に積んでどこでも移動可能な機材で、照明機材と録音機材の取り付けネジが互換性のあることから、ホールや教会でのクラシック音楽録音のメインマイクロフォンスタンドにも使われていた。 ヨーロッパの教会でのオルガン録音は日本ではなかなか体験できないことの一つである。 多くのオルガンは教会正面の祭壇と相対する入口の真上の箱に収められており、左右幅10m以上、奥行数メートルの箱の中には様々な種類と大きさの数千本のパイプが収められている。 更に北ドイツ型のオルガンではオルガン演奏台の前に「リュックポジティフ」と呼ばれる小型のオルガンも設置されている。 例えて言うならば、床から数メートルの高さのステージに小さなアンサンブル(リュックポジティフ)がいて、その後ろの少し高い所に指揮者(オルガン奏者)が佇み、指揮者の前上のさらに高いステージに数多くのオーケストラ奏者(数々のパイプ群)が前後左右にいる、といったイメージである。よってこの複雑な高さと幅で奏でられる演奏と音をバランス良く録音するためには床から10m近い高さの最適な位置にマイクロフォンを置かなければならず、そのために高く伸びるマイクロフォンスタンドが必須となる。 ヴィルモースは10mの高さの先にあるマイクロフォン部分をできるだけ軽くして、スタンドがしならずにマイク正面が正しくオルガン方向を向くよう、マイクロフォン製造メーカー、ショップスが開発したマイクカプセルとマイクアンプを分離し、その間を数メートルの特殊コードで結ぶマイクロフォンを用いていた。 このマイクを用いれば、先端のマイクカプセル部の重さを軽くし、重いアンプ部分を垂直に垂らしてスタンドのしなりが抑えられる。 また、教会を録音のため数日間抑えているとはいえ、日曜のミサ、結婚式、そして突然のお葬式には録音を中止しなければならず、撤収、再セットがやり易いこのスタンドは優れものだった。 第1回ヨーロッパ録音を終えて帰国した穴澤は早速このスタンドの購入を会社に進言し、翌年の第2回ヨーロッパ録音の中でヴィルモースの紹介した代理店でスタンドを購入し、日本に送った。 当時、マンフロットの機材は日本にも輸入されていたがいずれも低い高さの照明用三脚で、高い三脚は日本での需要は無く、輸入されていなかった。 今日でもこのスタンドはコンサートホールでのクラシック録音のメイン録音スタンドとして活躍しているだけでなく、時にはライヴ録音で3点吊りマイクの微妙な位置修正用にステージから振り回す長い修正棒として使われるなど非常に重宝されている。 この10数枚に及ぶオルガン録音のカタログ(一部は東ドイツ、ドイツシャルプラッテンとの共同制作だが)とマンフロットのマイクロフォンスタンドはピーター(我々は親しみを込めてヴィルモースをこう呼んだ)から日本コロムビアへの贈り物となった。 (久) |
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