[この一枚 No.61] 〜ブロムシュテット/ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》〜

この一枚

ドイツ東部を南から北に流れ、北海へと注ぐ大河エルベ、その中流の古都ドレスデンの河畔に19世紀後半ゴットフリート・センパーが設計したドレスデンのオペラハウス(通称ゼンパー・オーパー)が佇んでいる。
このオペラハウスのオーケストラ、ドレスデン・シュターツカペレの歴史はなんと1584年まで遡り、その歴史と伝統が作り出す美しい音色は「いぶし銀の響き」と高く評価されている。
第二次世界大戦後は東ドイツとなったこのオーケストラは社会主義国家にとって「大切な、ドルを稼ぐ音楽産業」であり、ドレスデンでの録音の維持管理は東ドイツのレコード公社ドイツ・シャルプラッテンにとって重要事項であった。

まもなくドイツでの戦争が終わろうとする1945年2月13日夜からの連合軍爆撃機による「ドレスデン大空襲」でドレスデンの街はあたり一面炎に包まれ、ゼンパーオペラも瓦礫の山に変わり果てた。
ゼンパーオペラから南に向かい、中央駅を挟んでほぼ等距離にある静かな住宅地の一角、ルカ広場の中央に20世紀初頭建てられたルカ教会もこの空襲で内陣は焼け、尖塔の一部が崩れ落ちたが、幸い外壁は残った。戦後、この教会は宗教的な場であると共に、レコーディングやリハーサルの会場としても使われる形で復興されていく。

オーケストラをゆったり配置できる広い平らな床、固い石の壁、高い天井に囲まれた、たっぷりした空間から産まれる豊かな響き。そして外部騒音に煩わせることのない周辺環境。クラシックの録音スタジオとして最良の条件を備えたルカ教会からは次々と名録音が産まれていった。中でも西側レコード会社が提案する専属の著名指揮者とレスデン・シュターツカペレの共演、共同制作はドル箱で、具体例を挙げるならば1970年のEMIとのカラヤン指揮《マイスタージンガー》、1973年のドイツ・グラモフォンとのクライバー指揮《魔弾の射手》など、名盤の枚挙にいとまない。

1972年にPCMデジタル録音機を世界に先駆けて開発し、独自の音源制作を進めていた日本コロムビアにとって、有名指揮者とヨーロッパの一流オーケストラによる録音は大きな願望だったが、当時レーベル契約を結んでいたチェコのスプラフォンは西側諸国でのレコード販売権が絡む事だけに、ノイマン指揮チェコ・フィルの共同制作の提案には首を縦に振らなかった。またフランスのエラートは本国でRCA傘下となり、日本でも販売権がRVCに移ろうとしていて、第1回PCMヨーロッパ録音で実現したパイヤール室内管弦楽団によるバッハ「音楽の捧げ物」、モーツァルト:協奏交響曲以降は共同制作が実現しなかった。 また、日本コロムビア独自で西ヨーロッパの著名な指揮者とオーケストラの録音を続けるための経費は、とても日本市場だけで収支が見合う額ではなかった。

そのような状況で浮上したのが、東ドイツ、ドイツ・シャルプラッテンとの共同制作だった。しかし著名指揮者や演奏家という持ち駒のない日本コロムビアは、交渉の場で「ドレスデン・シュターツカペレの録音を行いたい」と提案してもいきなりは無理で、まずは先方の順序をふまえた提案を選択するしかなかった。

そんな交渉の末の1978年6月、14ビットに向上したPCM録音機は遂にベルリンの壁を越え、東ベルリンのイエス・キリスト教会でザンデルリンクのチャイコフスキー:交響曲第4番、レーグナーのシューベルト:交響曲第(8)9番の2枚が録音された。東京のスタジオで録音済テープが再生されるとその厚く力強いオーケストラの音、豊かな響きに、録音関係者は「これはPCM録音の威力を発揮している。この音が欲しかったんだ!」という実感を強く持った。
そして翌年9月、PCM録音機はドレスデン、ルカ教会に設置され、アンネローゼ・シュミットのピアノ独奏、ケーゲル指揮ドレスデン・フィルでブラームス:ピアノ協奏曲第2番が収録された。

さらに80年からは共同制作が頻繁に行われるようになり、まずスウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン:交響曲全集の録音が始まった。第1回の交響曲第3番《英雄》はカラヤンやクライバーの録音も手掛けたシャルプラッテンの名トーンマイスター、クラウス・シュトリューベンが担当する。終わると直ちにPCM録音機材はドレスデンに運ばれ、待望のブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレによるブルックナー:交響曲第7番の録音が行われた。

スウェーデン人指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットにとって、PCM録音はこれが初めてではなかった。1976年1月、第3回ヨーロッパ録音の一環としてデンマークでPCM録音を行っていた機会を捉えて、デンマーク放送でのデモンストレーションが行われたが、そのテスト録音の指揮者がブロムシュテットだった。曲目はウェーバーの歌劇《アブ・ハッサン》序曲で、演奏は当時、彼が常任を務めるデンマーク放送オーケストラ。
モニタールームでPCM録音機からのプレイバックが終わり、録音エンジニアのピーター・ヴィルモースが放送局の関係者に少し得意そうにこの録音機の原理をデンマーク語で説明する中、「俺には関係ないよね」といった風情で静かに部屋を出て行った姿が印象的だった。

日本コロムビアのカタログでブルックナー:交響曲第7番といえば、マタチッチ/チェコ・フィルによる熱い演奏が高く評価されていたが、このブロムシュテットによる演奏は北欧人気質で飾らない彼の外観がそのまま音楽となっているような丁寧で、内に秘めた情熱がじわじわとこみ上げ、最後は静かな感動となる、そんな演奏であり、音創りであった。
翌1981年夏にヴィルモースはデンマークの世界的音響測定器メーカー、ブリューエル&ケア社が開発を進めていた音楽録音用マイクロフォン(B&K4003)の試作品を借り受けてくれた。
オランダでの藤原真理によるハイドン:チェロ協奏曲、スイスでのトランペット協奏曲やオルガンなど計4枚の録音を行って、このマイクの素晴らしさと使い方の難しさを実感した日本コロムビアの録音クルーは、この新兵器を携えてPCM録音機材と共にドレスデンに入った。

トーンマイスター制度によりオーケストラの録音技術が確立していたドイツで、いきなり「この新型マイクを使って欲しい」と切り出されても、ドイツ人録音スタッフが困惑したことは想像に難くない。テストとしてある楽器の補助マイクに使うならともかく、いきなりオーケストラ全体のサウンドを決定するメイン・マイクに用いることは大きな冒険だったが、日本コロムビアの穴澤はこのマイクの原理と使い方をドイツ人に説明し、メイン・マイクに採用してもらった。 こうしてブロムシュテットのモーツァルト:交響曲第40番、41番の録音が開始されたが、従来の音と聴き比べてその良さを理解するのに時間はかからなかった。 この録音の直後行われたスウィトナーのベートーヴェン:交響曲第5番《運命》は、この新型マイクの威力が発揮された迫力ある音で、「B&Kマイク」の名と実力を音楽・オーディオファンに強く印象づけることとなった。 スウィトナーのベートーヴェン:交響曲第5番、第7番の録音の後、再びドレスデンに戻ってブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》の録音が行われた。

一人、編集スタジオで楽譜に書き込まれた編集箇所で録音されたテイクを繋ぎ合わせる作業を行っていると、作業の途中で「これは素晴らしい演奏だな」と感じることがある。 ピリスのモーツァルト:ピアノ・ソナタK331《トルコ行進曲》の第3楽章のチャーミングな演奏、ホリガーがオーボエ独奏をするイサン・ユンの「ピリ」や高橋悠治のジョン・ケージ:プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュードなどが挙げられるが、このブロムシュテットの演奏もそんなアルバムだった。 第1楽章冒頭から静かな弦楽器のトレモロの上にゆったりと、深くホルンがテーマを吹く。少しずつ各楽器が現れるが、どれもルカ教会の中で良く溶け合って、澄んでいながらも厚く深くなってゆき、オーケストラのフォルテシモでも音が濁ることがない。まさに演奏とB&KマイクとPCM録音の実力が最高度に発揮された音源で、編集作業を終えるのが惜しくなる一方で、この感動を多くの人に早く伝えたい、という気持ちが湧いていた。 日本コロムビアが世界中にCDを輸出し始めた当初、各国で前述のピリスのモーツァルト等と共に高い評価を得たのは、このブロムシュテットのブルックナーだった。続いて8番や9番も録音できたら! このコンビのブルックナーが2枚のみとは、今でも少し惜しいと気持ちをおさえることができない。

(久)


アルバム 2010年09月22日発売

ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》
※1981年録音
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アルバム 2010年09月22日発売

ブルックナー:交響曲第7番
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