[この一枚 No.62] 〜メイエ フレンチ・クラリネット・アート〜

この一枚

1985年2月、ドイツ、フランクフルトのアルテオーパーでインバル/フランクルフルト放送交響楽団によるマーラー交響曲全集の録音が開始された。これは、これからずっと、数ヶ月毎に行われるインバルのコンサートと録音の度ごとに日本コロムビアの録音スタッフとPCM(デジタル)録音機材がほぼ1週間フランクフルトに据え置きになることを意味していた。
それまで、オランダ、アムステルダムを中心にヴァイオリンのカントロフやピアノのルヴィエなどの録音が行われていたので、約500km離れたフランクフルトへ1週間だけの人と機材の移動は効率の悪いものだった。その機会に何か別の録音がフランクフルト近郊で出来ないか?スタッフは室内楽の録音会場を探していた。

フランクフルトの中心街から北東約7kmの閑静な住宅街に’69年に建てられたフェステブルク教会がある。この教会は数百人を収容できる小ホールといった規模の広さで、地域の宗教的中心であると共に、度々コンサートが開かれるなど、音楽文化の中心ともなっていた。そして、会場の響きの良さと外部騒音に煩わされないこと、さらに室内楽の録音では絶対に欠かせない条件、良いピアノと調律師の確保が易しいこと、付け加えてフラクフルトはヨーロッパ各地から直行便があり、人の移動や宿泊が確保しやすいなど好条件が揃っていることから、録音会場としても知られていった。

日本コロムビアによる最初の録音は’86年4月、マーラー交響曲第6番《悲劇的》の録音の直後に行われたトリオ・フォントネによるラフマニノフ・ピアノ三重奏曲である。
以降、この会場では鮫島有美子のモーツァルトやシューマンの歌曲集、ラファエル・オレグのシューベルト:ヴァイオリン作品集、ミシェル・ベロフのドビュッシー:ピアノ・ソロ作品集など、多くの室内楽が録音されていく。

‘80年代後半、世界中がアナログ・レコードからCDへ移ってゆくと日本コロムビアのCD輸出は拡大し、各国の販売代理店からは多くのカタログ、珍しい作品の録音、自国で有名なアーティストの起用など様々な要望が寄せられるようになった。その要望に応えようと米国ではジャズ、ヨーロッパではクラシックでの自主録音数が急速に増え、録音の度ごとに日本から録音技術者が出向くのではなく、本格的な録音拠点の構築と技術者の駐在、現地スタッフの育成に迫られた。

‘90年、ドイツ、デュッセルドルフ近郊のDENON(デノン)エレクトリックGMBHに録音技術者として駐在していた高橋は最初のドイツ人トーンマイスター、ホルガー・ウアバッハを採用する。彼は’61年生まれで、デュッセルドルフ工科大学で録音技術を、デュッセルドルフ音楽大学でトランペットを専攻して音楽を学び、トーンマイスターの資格を得ていた。続いて’60年生まれのゲルハルト・ベッツが入社する。彼は以前このコラムでも紹介したが、デットモルト音楽大学で録音技術を学び、トーンマイスターの資格を取得、その後日本にも滞在して、日本語も堪能であった。

高橋は二人にDENONの録音ポリシーや機材の操作方法、そしてB&Kマイクの使い方を指導した。彼らはディレクターとして、また録音エンジニアとして、さらにドイツでのCD拡売要員、CD解説書のドイツ語翻訳や校正など、一人何役もこなした。
二人は共に優秀で、ウアバッハが包容力に富み、ベッツは鋭い切れ味が個性だったので、録音するアーティストや音楽によりどちらかがディレクターを、もう片方が録音を担当した、また、時には一人で両方をこなした。

メイエのデビューアルバムのディレクターはウアバッハが、録音はベッツが担当し、フェステブルク教会で行われた。’65年生まれのクラリネット奏者ポール・メイエ、’64年生まれのピアニスト、エリック・ル・サージュと、ほぼ同世代の4人が集まった録音は真剣な中にも和気藹々とした雰囲気の中で行われたようだ。この録音から帰ってきたばかりのウアバッハにDENONのオフィスで「メイエの録音どうだった?」と尋ねたところ、「ファンタスティク!素晴らしかったよ」という返事が返ってきた。
演奏家はフランス人、制作はドイツ人達だけどうまくいくの、気質が違うのでは?という心配はご無用。現代ヨーロッパの音楽家や制作スタッフにとって隣国や北米で働いたり、住む事はごく自然なことになっている。

素晴らしい音楽性とテクニックを駆使し、エスプリを利かせながらも節度あるメイエのクラリネットと機知に富んだピアノで盛り立てるル・サージュのコンビが紡ぎだすサン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーランク、オネゲルの魅力的な作品たち。このアルバムを聴くと、いかに多くのフランス近現代作曲家達がクラリネットに魅了され、美しい作品を残したか!またアメリカのジャズが作曲家に刺激を与えたか!という事に気付かされる。

メイエとウアバッハはこの録音ですっかり意気投合し、強い信頼関係を構築した。以降メイエはウアバッハのディレクションの下、ウェーバーやモーツァルト、コープランド、クロンマーなどの協奏曲やシューマン、メシアンの作品など数多くの、高い評価を受けたアルバムを録音している。
また、この録音では単なる伴奏者ではなく、メイエと対等な共演者として豊かな音楽を創り出しているピアニストのル・サージュの貢献も忘れてはならない。前述のルヴィエもそうだが、フランスからはソロも室内楽も優秀なピアニストが輩出している。彼はこの後DENONにメイエと共にシューマン、ドイツ・ロマン派、またクラリネット・コンコルディアなど3枚のアルバムを録音した。
その後メイエ達とのアンサンブルやソロ・ピアニストとして世界中で多くのレコード賞を受賞したプーランク:ピアノ協奏曲全集、室内楽全集の録音を行うなど、幅広い演奏活動を行っている。

2012年、メイエは久方ぶりにDENONに帰ってきた、今度は指揮者として。東京佼成ウインドオーケストラを指揮してサン=サーンス、ミヨー、デュカス、ラヴェルという得意のフランス音楽のライヴ録音である。ミヨーの《スカラムーシュ》では相変わらず素晴しいクラリネット・ソロも披露している。

‘90年代後半、ヨーロッパでの録音点数の減少に伴いドイツのDENON録音チームは解散となり、最後まで留まってくれたウアバッハとベッツはそれぞれフリーのトーンマイスターとして独立した。
ウアバッハは当時ケルン放送交響楽団の指揮者であったセミョン・ビシュコフのディレクターを務めるなど、メイエ同様、多くのアーティストに信頼され、世界各地を飛び回っている。最後にウアバッハの人柄を伝えるエピソードを紹介しよう。とても個人的な事だが、彼は今でも私の誕生日を覚えていてくれ、毎年お祝いの電話をくれる。20年もの間。「ハイ、ホルガー・スピーキング!フロム・ジャーマニー」

(久)


アルバム 2010年08月18日発売

フレンチ・クラリネット・アート
※1991年録音
COCO-73092 ¥1,200(税込)

★商品紹介はこちら>>>

アルバム 2013年02月20日発売

東京佼成ウインドオーケストラ / メイエのボレロ
※2012年録音
COCQ-85001 ¥2,000+税

★商品紹介はこちら>>>

[この一枚] インデックスへ

ページの先頭へ