[この一枚 No.63] 〜スメタナ四重奏団 スメタナ:弦楽四重奏曲第1番《わが生涯より》&第2番〜

この一枚

チェコ国民にとって、作曲家スメタナはどのような存在なのだろうか?
チェコの首都、プラハの街にはスメタナの名が付けられた著名な建物が幾つかある。まず、ヴルタヴァ(モルダウ)川にかかる石造りの美しいカレル橋の河畔の一等地にあるルネサンス・スタイルの建物がスメタナ博物館で、中にはスメタナに纏わる多くの展示物や楽譜がある。以前は水道ポンプのための建物だったが、第2次世界大戦直前に博物館とされ、周囲の道路にもスメタナの名がつけられた。

音楽ファンに馴染みが深いのは美しいアールヌーヴォー様式の建築で知られるスメタナホールだろう。世界的に有名な《プラハの春》音楽祭はスメタナの命日にあたる5月12日に彼の交響詩《わが祖国》で幕を開けるが、中でも1990年、42年振りに民主的祖国に帰国した指揮者ラファエル・クーベリックとチェコ・フィルによるオープニング・コンサートはこの会場で行われている。この自由を勝ち得たチェコ国民の喜びに満ちあふれる感動的な演奏会は全世界に中継され、直後には当社よりCD、DVD化され、ベストセラーとなっている。

さらに駅の近くにある、現在ではプラハ国立歌劇場と呼ばれているオペラ劇場も1976年当時はスメタナ劇場と呼ばれていた。この劇場は19世紀末に新ドイツ劇場として建てられたものだが、第二次大戦後に共産党政権によりスメタナ劇場と名付けられた。しかし、民主化の後、旧共産党政権時代の名称を消し去る動きがあり現在の名称に変更された。

これらの様々な逸話から作曲家スメタナがいかにチェコ国民にとって「祖国の誇り」的存在であることが理解いただけるだろう。

この偉大な作曲家の名前を冠とするスメタナ四重奏団にとって、スメタナの2曲の弦楽四重奏曲の演奏が他の演奏を上回らなくてはならないのは必然であり、相当なプレッシャーではなかっただろうか。

日本コロムビアは1972年にPCM(デジタル)録音機を開発し、4月に青山タワーホールでスメタナ四重奏団によるモーツァルトの弦楽四重奏曲《狩》、KV421を録音し、同年10月第1回PCM録音レコードとして発売された。このレコードは彼らの演奏の素晴しさもあり、「音が透明で、メンバーの息遣いまでも生々しく聞こえる。」とデジタル録音の優秀さを世に認識させ、商業的にも成功を収めた。

以来、コロムビアはレーベル契約を行っていたチェコのスプラフォン・レコードに対してスメタナ四重奏団のデジタル録音の依頼を行っていく。モーツァルトのハイドン・セットの残り4曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」、そしてスメタナの弦楽四重奏曲などなど。

スメタナ四重奏団の人気が高い日本からのオファーは外貨の欲しいチェコのレコード会社にとっても、また演奏家にとっても魅力的なものであり、1975年から本格的にチェコにPCM録音機材を運んでの録音が開始された。まずは四重奏団の別荘地の教会でモーツァルト、そして翌年からはプラハでの録音となった。

76年2月、厳冬のプラハに日本コロムビアの録音スタッフが到着し、数日後1台が数百kgもあるデジタル変換機やVTR、2インチの録音用ビデオテープなど総重量1トンものPCM録音機材がスプラフォンのジシコフ・スタジオに運び込まれた。スタジオはプラハの郊外の住宅地区にあり、小さなホテルの舞踏会場が改装されて室内楽の録音に使われていた。床は木、天井、壁は漆喰で塗られ、長い残響こそ無いが親密な響きがしていた。機材搬入当時はドイツ・グラモフォンとスプラフォンの共同制作によるプラハ弦楽四重奏団のドヴォルザーク弦楽四重奏曲全集の録音セッション中で、グラモフォンのトーンマイスター達も初めて目にするデジタル録音機材を興味深く眺めていた。

翌日から始まったスメタナ四重奏団の録音は日本での録音のペースとはまるで違っていた。第1番の冒頭の和音、そしてヴィオラの主題を演奏すると直ぐさま全員が録音室に集まり、ディレクターのヘルツォークを囲んで「ああでもない、こうでもない」とお互いがチェコ語で議論を始める。特にうるさいのがヴィオラのシュカンパで、それに第2ヴァイオリンのコステツキーが反論、チェロのコホウトが違う見解を述べ、さらにヘルツォークが全体的な見地から発言する。一人、第1ヴァイオリンのノヴァークが「俺はどんな要求も受け入れるよ」と言わんばかりに静かに情勢を見守る。こんな光景がセッション中ずっと続いた。(後に同じような光景をカルミナ四重奏団の録音でも体験、いやカルミナは第1ヴァイオリンも議論に加わったが)彼らはこの曲をこれまでに何回、いや何百回と練習、演奏を行ってきたのに、さらに完璧を目指していた。

前述したプラハ弦楽四重奏団が前年日本でシューベルトを録音した時は第1ヴァイオリンのノヴォトニー一人が発言し、他のメンバーは大人しく彼に従っていたので、「同じチェコの弦楽四重奏団でもずいぶん違うな」という印象を抱いた。でもプラハ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリンが良く歌う演奏スタイルはそれはそれで、とても魅力的である。

ひとしきり議論が終わるとコステツキーが我々に近寄り、英語で「ユーキさん、アナザワさん、いまはこんなことを討議していた」と議論の中身をかいつまんで話してくれる。彼はこの四重奏団の広報官だった。このたっぷり時間をかけて行われた演奏と議論の末に生まれた音楽が悪いはずが無い。ほぼ全員が50代という円熟の時に、満を持して録音されたこの演奏は《わが生涯より》という曲のタイトルに引きずられたり、第4楽章に突然現れる耳鳴りと難聴の悲劇を強調するあまりの情熱過多となることなく、どこから見ても堂々としている。作曲者の名を抱く四重奏団だからこそなしえた決定盤といえるだろう。

この録音の半ばにスメタナ四重奏団、プラハ弦楽四重奏団共催の日本コロムビア4名、ドイツ・グラモフォン2名の録音スタッフ歓迎の夕食会がプラハ城正面の広場に面した高級レストランで催された。
宴も盛り上がった頃、ドイツ人がコロムビアのスタッフに奇妙な質問を投げ掛けてきた。「あなたはフランス人の作曲家が作った同じリズムがずっと続く曲を知っているかい?」答えはクラシック音楽に携わっている人ならば誰もが知っているRaveLの BoLeRo(ラヴェルのボレロ)。欧文のスペルを見ると判るが、両方の単語ともLとRが組み合わさっており、日本人がLとRの発音がうまくできないことを知っていて、からかいの対象としようとする質問であった。
意地の悪い人間はどこでもいるが、まるでトルココーヒーのように粉がいっぱい沈んだコーヒーを毎日差し出してくれるスタジオのおばさんを含め、チェコのスタッフ全員が暖かかっただけに、素晴しい録音の中で1点のみ後味の悪い想い出が残った。

(久)


アルバム 2010年08月18日発売

スメタナ四重奏団 スメタナ:弦楽四重奏曲第1番《わが生涯より》&第2番
※1976年録音
COCO-73096 ¥1,143+税

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