[この一枚 No.64] 〜クリヴィヌ/フォーレ:レクイエム〜
フランス第2の都市で、美食の街としても知られるリヨン、その北東約40kmの丘の上に、空からみるとまるで赤茶色のかたつむりの殻のように城壁と屋根が連なる、小さな村ペルージュがある。どれくらい小さいかというと、村の端から端まで東西が200メートル、南北がわずか100メートルで、国立競技場の中にすっぽり入る広さといえば想像できるだろうか。中世の頃は絹織物職人の村として栄えていたが、近代文明から取り残され、一時は村民が50人足らずまで寂れたという。近年は「まるで中世にタイムスリップしたようなフランスの美しい村」として、ガイドブックに紹介され、観光や映画のロケ地としても注目を集めている。 この村への入口の門の隣に今回のCDの録音会場となったサント・マリ=マドレーヌ・フォートレス教会が佇んでいる。15世紀に建てられた、村でただ一つの教会の片側の壁は城壁にもなっており、厚い石の壁が天井まで連なって、そのままゴシック式の天井のアーチを形作っている。内陣は装飾の無い質素な石壁がむきだしになっており、フォーレの音楽に似つかわしい、深い静かな祈りを捧げる空気を漂わせている。 1947年、ロシア人の父とポーランド人の母の間にフランスのグルノーブルで生まれたエマニュエル・クリヴィヌは当初ヴァイオリン奏者として期待されていた。しかし、ヴァイオリン奏者にとって致命的な腕の事故やカール・ベームとの出会いもあって指揮者に転向し、70年代後半からフランスを中心にその評価を高めていた。 デンオンへは85年にヴァイオリンのジャン=ジャック・カントロフ、チェロの藤原真理、ピアノのジャック・ルヴィエをソリストに迎えたベートーベン:三重協奏曲の指揮者としてデビューしているが、この録音でクリヴィヌは「インバルの次に探していた指揮者」として、ディレクターの川口の心を強く掴む。川口は91年のモーツァルトの没後200年記念イヤーに向けた後期交響曲シリーズ録音の指揮者に選び、イギリスのフィルハーモニア管弦楽団との録音を企て、同時に東京都交響楽団の定期公演の指揮者として売り込んでいった。 また87年から彼が音楽総監督に就いている国立リヨン管弦楽団との録音企画も同時並行で進められ、第一弾としてフォーレのレクイエムが選ばれた。 コンサートでこの曲を聴いた方なら「そうだね」と、ステージの光景を思い出され、納得されるだろうが、このレクイエムの7つの楽曲はそれぞれ非常に特異な楽器編成となっている。 まず、通常のオーケストラ・コンサートではチューニングのAの音を出すオーボエ奏者の姿が無い。次に、演奏が始まって最初の15分、つまり第2曲目まではヴァイオリン奏者は楽器を片手に持ったまま、じっと3曲目からの出番を待っている。ひたすら出番を待つのはヴァイオリン奏者だけではない、フルートやクラリネット、トロンボーン、ティンパニの各奏者も後半の出番のために静かに待っている。また、独唱者もバリトンとソプラノの2名で、バリトンは2曲目と6曲目、ソプラノは4曲目に登場するが、声の魅力を競い合う独唱者達のデュエットは無い。 ひたすらヴィオラ、チェロ、コントラバス、そしてオルガンが醸し出す中低音の落ち着いた響きがこのレクイエム全曲を覆っている。 それゆえに、この曲を演奏会のライヴで無く、セッション録音する場合、楽器の手配と演奏者を待たせないために何日の何時から何時にどの曲を録音する、というタイムスケジュール作成が録音前の大切な仕事となる。 また録音チームにとっても、この特異なオーケストレーションの曲は独唱者、合唱団、オーケストラという全体のバランスが非常に掴みにくいので、全曲リハーサルからマイクテストを慎重に行うことが肝心となってくる。 次に独唱者がオーケストラの前で歌うのか、後ろで歌うのか、その立ち位置が重要となってくる。多くのCDでは独唱者はオーケストラの前、最前列に立ち、美声を響かせるという作りだが、この録音では独唱者はオーケストラの後方に立ち、まるで合唱団の一員が歌っているような美しい響きに包まれて歌っている。また、合唱も教会の豊かな響きの中で濁ることなく収録されている。録音担当の後藤は音の濁りの原因となるマイクロフォンの多用を避け、最適なメイン・マイク位置を探して全体がバランス良く澄んだ響きとなる録音を心がけているが、これは彼の最良の1枚と言えるだろう。 結果、レクイエム全曲が落ち着いたトーンに包まれ、フォーレの意図した「劇的な死の苦しみではなく、幸せな解放、来世での幸福への願望」の音世界を創り出している。 この88年秋に6日間かけてペルージュの教会で行われた録音セッションは、どの曲を何時録音するため、楽器と演奏者の運搬をどのように行わなければならないか、オーケストラ事務局と録音スタッフにとってパズルを解くような問題が山積し、連日、計画と現実とのズレに悩みながらも無事に終了した。 この裏方の頑張りもあって、翌年発売されたこのCDはクリヴィヌの卓越した指揮、そして国立リヨン管弦楽団の音楽性、さらに合唱指揮のテテュとその合唱団の素晴しさに日本国内のみならず、海外からも高い評価が贈られた。 しかし、デビューアルバムで高い評価を得ながら、次回の録音はなかなか決まらなかった。その、いくつかの理由のひとつは録音会場にあった。レクイエムで用いたペルージュの村は食事は美味しかったが、リヨンから遠く、オーケストラ奏者と楽器の運搬に問題があり、また教会は大編成のオーケストラには狭すぎた。一方でオーケストラのホームグラウンド、モールス・ラヴェル・オーディトリアムは座り心地の良い、吸音材のような椅子がたっぷり敷き詰められており、結果、響きが少なく録音に不向きであった。事務局は他の録音会場を求めてリヨン周辺を捜したが、響きが豊かで、オーケストラが録音に自由に使える所は見つからず、結果、91年秋から残響を増やすためステージや客席に反射板を大量に敷き詰めてオーディトリアムで録音が行われていった。 90年秋、日本コロムビアのオーディオ機器の欧州販売拠点、ドイツのDENON Electronic GmbHの立ち上げ時から奮闘した社員が病に倒れ、翌年5月現地で帰らぬ人となった。 スポーツマンで、頑張り屋で誰からも愛された男の早すぎる死は会社にとって大きな損失で、また、これから彼と一緒に働けると思っていた私も少なからずショックを受けた。 葬儀にあたり、現地会社社長から「宗教色の無い、参列者は献花で故人を弔う形の葬儀にしたいので、献花時のBGMを選んで、用意してくれないか」との依頼があった。「宗教色を感じにくい、あれこれ寄せ集めなくてもよい音楽?」、様々なタイトルが頭をよぎったが、邦人にも欧米人にも違和無く感じられるものとして、このフォーレのレクイエムから3曲目「サンクトゥス」、4曲目「ピエ・イエズ」、そして7曲目「天国にて(イン・パラディスム)を連続して再生することにした。DENONの倉庫の一角にあるCD保管庫からクリヴィヌの1枚を選び、会場に再生機器と共にセットした。 デュッセルドルフにある日系ホテルの地下ホールで行われた葬儀では現地邦人のみならず、現地従業員、また各国から多くの人々が参列して長い献花の列が続き、悲しみの嗚咽と共にこの曲をくりかえし何度も聴いた。 今でも、この曲を聴くたびに大きな目と太い眉を持ち、生き生きと話しかける彼の姿が甦ってくる。 (久) |
|||
|
|||
[この一枚] インデックスへ |