[この一枚 No.66] 〜ラリュー/(伝)ヴィヴァルディ(ニコラ・シェドヴィル):《忠実な羊飼い》〜

この一枚

1975年1月に発売されたLPレコード“ヴィヴァルディ:フルート・ソナタ集《忠実な羊飼い》Op.13”の帯に書かれた宣伝文句には「PCM+オルトフォンDSS731ニューサウンド」と記されていた。
当時はデジタル録音をPCM録音と呼んでいたので“PCM”という言葉はお解りだろう。しかし、“オルトフォンDSS731”とはいったい何だろう。

レコードの音質を大きく左右するレコード針(オーディオの世界ではカートリッジと呼ぶのが適切かもしれない)で米国のシュアーと並んでデンマークのオルトフォンはマニア垂涎の製品であった。
この再生カートリッジ・メーカーとして世界的に名高いオルトフォンだが、第二次大戦直後はレコード原盤(ラッカー盤)に音溝を刻むカッター・ヘッドと呼ばれる機器を作っていた。
そしてこの自社製カッター・ヘッドで正しく(良い音が)ラッカー盤に刻まれたか、を調べるために原盤を再生するカートリッジを開発したところ、この音質が評判となり、世界中のレコード愛好家が競って買い求める製品となった。 オルトフォンはその後もカッター・ヘッドの製品開発を進め、70年代初頭にはビクターが実用化した4チャンネル・レコードCD-4の原盤を作るため20kHz以上まで周波数特性が伸びている革新的なカッター・ヘッドDSS731を製品化した。
日本コロムビアでは他社で高音質カッター・ヘッドとして宣伝されていたノイマンのSX-74に対抗すべく、このオルトフォンのカッター・ヘッドを購入し、透明感のある音を作るエンジニア、保坂の第3カッティング室に設置した。

PCM録音がヨチヨチ歩きを開始した72年頃は来日した演奏家を捕まえて録音を行っていたが、その中でもフランスのフルート奏者ランパルとラリューは録音に協力的だった。
当時、マクサンス・ラリューはランパルに続くフランスのフルート奏者として人気が高く、ランパルが豪放なフルート奏者ならば、ラリューは繊細で爽やかな音色が魅力と対照的であった。ラリューは73年にはランパルとのデュオ・アルバムを、そして翌74年にはパリ・バロック・アンサンブルの一員として来日し、武蔵野音楽大学ベートーヴェン・ホールでアンサンブルのアルバムを1枚、そして当時の日本コロムビア第1スタジオでこのソロ・アルバムをPCM録音している。

74年頃の第1スタジオは穴あきボードの壁に囲まれ、天井の高いガランとした体育館のような空間で、中央奥に小音量の楽器や歌手が大音量の楽器から隔離できる目的用に後から作られた小さな2つの小屋(ブース)が設けられているだけだった。
フルートとハープシコードの録音にとっては充分な広さだった。

ハープシコード奏者のヴェイロン=ラクロワは68年にランパルとエラート・レーベルにこの曲を録音していて、今回のラリューとの録音は彼自身にとって2回目にあたり、新たなレアリゼーションを携えていた。
美しい旋律が次々繰り広げられるこの曲は最後の第6番のソナタを除けば難易度も高くないので、ラリューにとっては手慣れたもの。音楽バランスも早々に決まり、川口ディレクター、林エンジニアのコンビにより録音はテンポ良く進められ、2日で終了した。今聴けばハープシコードの音色がやや金属的で時代を感じるが、当時は録音に使える楽器はこの程度しかなかった。

録音終了後、オーケイ・テイクを繋ぎ合せて2インチ幅のマスターテープを作る音楽編集もハープシコードの音が捉えやすく、編集点が明確なため順調に進み、カッティングを迎えた。
このメルマガNo.46でも触れたが、カッティング・エンジニアの保坂はコロムビア時代のエラートの音作りを一手に引き受けており、いわばエラートのアーティスト達によるこのアルバムのカッティングには適任者であった。またオルトフォンの最新カッター・ヘッドも導入されたばかりで、その威力を発揮するチャンスであった。
PCM録音機からアドバンスヘッド(音の強さを1秒前に検知し、レコード溝間隔をコントロールするための装置)用の音声出力、主音声出力の4本の信号ケーブル、それにインターフォンが廊下をまたいで第3カッティング室に曳かれた。PCM録音が捉えたラリューの爽やかで伸びのあるフルートの音をオルトフォンのカッター・ヘッドでいかにラッカー盤に刻むかがポイントで、保坂の指示で繰り返し入念なテスト・カットと音質チェックが行われた後、原盤が作られた。
これで、冒頭のLPレコードの帯の宣伝文句の意味がお解りいただけただろうか。
86年のCD化にあたっても保坂が担当し、LPの音創り(カッティング台帳に音質調整データは記載され、保存してある)を参考にして行われたので、爽やかなLPの音はそのままCDに引き継がれている。

今回、この原稿を書くためランパルの68年録音のCDを聴き返したところ、何か所かで、演奏が始まる直前に小さなゴースト音(プリエコー)が聴こえた。 アナログ録音の時代、このゴースト音はマスターテープ上で強い磁気の転写により発生したもので、音を濁らせる原因となっており、ランパルのゴーストもこれに起因する。
また、レコードでも製造時に隣接する溝が熱で変形してゴーストが発生し、同じように音を濁らせる要因となっていた。 デジタル録音となってこのマスターテープでのゴーストが無くなり、再生メディアがレコードからCDに移って盤製造時のゴーストも無くなったことで再生音の濁りが一つずつ減っていった。

1989年、日本初の古楽専門のアリアーレ・シリーズを立ち上げたとき、フラウト・トラベルソ奏者の有田さんとコロムビアのスタッフが「今後の計画として、いつ、何を録音するか?」を話し合った時があった。
その折、この(伝)ヴィヴァルディの《忠実な羊飼い》を提案してみた。
その時の有田さんからは「あの曲はヴィヴァルディではなく、偽作だから録音はちょっと」と否定の返事が返ってきた。 確かに、18世紀フランスの偉大なフルート奏者ブラヴェが活躍していた頃、オペラのオーボエ奏者ニコラ・シェドヴィルが金儲けの手段として、自らが作曲した《忠実な羊飼い》の楽譜を当時人気だったヴィヴァルディの新作と偽って発売したのが真相である。 しかし、ロココ趣味に彩られた、美しいメロディに溢れるこの6曲の佳作を優れたフラウト・トラヴェルソ奏者の演奏で聴いてみたい、と思いませんか?
J.S.バッハの偽作も多くの新録音がなされているではありませんか。
その時は新譜注文書の作品記載をヴィヴァルディ(伝)、そして小さくシェドヴィルと表記しないと!
シェドヴィルでは過去の売上データにひっかからず、誰も注文してくれないかもしれませんよ。

(久)


アルバム 2004年03月24日発売

ラリュー/ヴィヴァルディヴィ:フルート・ソナタ集《忠実な羊飼い》
※1974年録音
COCO-70691 ¥1,000+税

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