今年(2017年)はイタリア初期バロックの大作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)の生誕450年にあたり、世界各国でこの作曲家の作品が演奏、録音されている。
「モンテヴェルディ?聴いたことないな」と呟かれる方もコンサートやオペラで全曲は聴いてないにしろ、一部分ならば必ずといっていいほど耳にされたと思う。
NHK-FM平日夜19時30分からの番組「ベストオブクラシック」において、ヨーロッパの放送局が収録した音源を放送するときに必ず冒頭で流れる勇壮なファンファーレ、あれこそがモンテヴェルディのオペラ《オルフェオ》冒頭のファンファーレである。とてもセンスの良い選曲だと思う。そして作曲者は3年後に再び《聖母マリアの夕べの祈り》の冒頭のオーケストラ部分にこのファンファーレを使い、まるでヴェルディのオペラ《アイーダ》の「凱旋行進曲」のような壮大なオープニングを作っている。
戦後日本を代表する作曲家の一人で知性溢れる著述家でもあった柴田南雄はその著書「西洋音楽の歴史・上」(音楽之友社1967年)の中で「モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》という大作は彼の全マドリガル、全オペラが失われていたとしても、この一作で彼の輝かしい天才の証となったに違いない傑作である。」と述べている。
しかし、この大作は次のような、今日では特殊楽器と呼ばれるもの、コルネット(金管のコルネットではなく、木管楽器で7個の孔があり、ホルンのようなマウスピースを使う、ツィンクとも呼ぶ):3~4、ザックバット(トロンボーンの原型):3、ショーム、リコーダー、ドゥルツィアン(ファゴットの前身)、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネ(コントラバスの前身)、リュート、ハープシコード、オルガン等!)が必要なために、オーケストラの定期演奏会で演奏される機会はほとんど無く、日本ではキリスト教会か、合唱団の演奏会で上演される機会が多い。
幸い筆者は過去2回、この曲を録音する機会に恵まれた。初めは合唱団の友人に依頼されて演奏会のライヴ録音を行い、2回目は日本コロムビアの開発営業部門(特販と呼ばれ、プライヴェート盤の制作を行う)のディレクターとしてのCD録音だった。この録音のために楽譜を眺め、楽器を調べ、演奏位置を決めてマイクロフォンをセットし(エコーの効果を狙った歌や演奏の掛け合いが多用され、音楽により拡がりや奥行を与えている)、音楽により深く接することでモンテヴェルディの魅力にすっかりとりつかれてしまった。
商業的な理由(6人の独唱者、合唱団、子供の合唱、オーケストラが必要で、セールスは300セットが上限)や録音機会の少なさから日本コロムビアのカタログにモンテヴェルディの作品は1つ、オイロディスク原盤のローター・コッホ指揮ベルリン室内管弦楽団、ベリルン放送独唱者連盟の演奏がある。1967年東ベルリンでの録音で、現代オーケストラ楽器で演奏しているため、昨今の古楽団体による演奏・解釈とはだいぶ異なり、まるで現代オーケストラで演奏するヘンデルを思わせる壮麗な音楽に仕上がっており、親しみやすく、悪くないと思う。
しかしながら、最後の長大な「マニフィカート」が解釈の理由(収録時間など商業的な事もあったのだろうか)から割愛されているのが残念である。
まるで、徒然草の物語で仁和寺の法師が石清水八幡宮の下までで帰ったことを兼好法師が「先逹はあらまほしき事なり」と諌めているように、初めてこの音楽を聴く人には薦めない。「マニフィカート」はこの音楽のエッセンスと呼べる部分だからである。
インバル/ベルリオーズ:レクイエムでも動画を紹介したが、今回もジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスト他の演奏による2014年フランス、ヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂での演奏会がフランスのテレビ局撮影の鮮明な映像・録音で教育目的としてYouTubeに挙がっていたので紹介する。中でも1時間20分過ぎの「マニフィカート」の部分では上述の様々な楽器やエコーの演奏様式などが映し出されており、一見の価値あり。
この曲は長い残響を持つ壮大な教会での演奏を意図して作曲されている。なので、残響の短い日本のホールでの演奏・録音ではテンポ感にずれが生じるため、前述のプライヴェート録音の現場では、まるでポップスの録音のようにモニタールームにエコーマシンを持ち込んで指揮者や独唱者にはヘッドフォンをかぶってもらい、長い残響が付加された音を聴きながら音楽を作っていった。そんなこんなで現場は少し大変だったが、次々と美しい音楽に包まれて終わってほしくない録音だった。
モンテヴェルディはその後ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂楽長に就任した。
柴田南雄の本を更に引用しよう。
「サン・マルコ大聖堂楽長とはまず今日でいえば、ベルリン・フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者のようなものである。いな、作曲家でもあるのだから、それ以上の地位といっても過言ではない。」(同本より)
(久)
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