[この一枚 No.70] 〜インバル/ラヴェル:オーケストラ作品全集〜
パリで遊覧船に乗りセーヌ河を下ると、左岸にエッフェル塔、中州に自由の女神を見るあたりの右岸に円形の白い巨大な建物が見えてくる。ここが今回の録音会場、104スタジオがあるラジオ・フランスである。 1963年に建てられたラジオ・フランス104スタジオはスタジオと呼ばれているが、実質は1000名以上の客席を持ち公開放送もできるコンサートホールで、フランス国立管弦楽団(旧名:フランス国立放送管弦楽団)のホームであった。ステージは奥が段々高くなるひな壇形で、その背後には巨大なパイプオルガンが備え付けられている。1970年代初頭、日本コロムビアから発売されたエラート・レーベルのジャン・マルティノン指揮フランス管弦楽作品LPの背表紙にこのスタジオで撮影されたオーケストラの写真が使われていたので懐かしく思い出される方もあるだろう。 客席はドイツやオーストリアのような固い木の椅子ではなく、まるでフランスの乗用車のようにふかふかのクッションが用いられ、(リヨンのホールも、パリのパレ・ド・コングレもそうだった)結果、低音が吸収されて軽い、やや乾いた響きがする。 インターネットで調べると、このホールも最近改修されたようで、名物のオルガンは撤去され、スタジオの名前も「オリヴィエ・メシアン・ホール」となり、より多様な音楽の収録に対応できるようになっている。 1985年から録音が開始された日本コロムビアとドイツ・ヘッセン放送との共同制作、インバル/マーラー交響曲全集は翌年春に発売された「交響曲第4番」、同年秋の「第5番」が国内外で大ヒットとなった。 結果、東ドイツのドイツ・シャルプラッテンに曲目選択権のあるスウィトナーやブロムシュテット、またチェコ・スプラフォンのノイマンなどの指揮者とは異なり、インバルは日本コロムビアが録音レパートリーを自主的に決められる、商業的にも売れる指揮者となった。しかし、経費が膨大なオーケストラ録音はまだ海外の放送局との共同制作に頼らざるを得なかった。 マーラー交響曲全集の次に持ち上がったインバルの企画はラジオ・フランスとの共同制作によるラヴェル:オーケストラ作品集であった。 当時、ラジオ・フランスの録音部長はコロムビアの西ヨーロッパでのPCM録音を担当していたピーター・ヴィルモースの弟子ともいえる前エラートの録音エンジニア、ピエール・ラヴォワで、日本コロムビアの録音チーム、制作の川口、録音の高橋が放送局に行くとラヴォワ自らが出迎えてくれた。 ラジオ・フランスの録音チームは制作がギィ・シェネー、この人は昔EMIの録音エンジニアとして名録音を残している人物である。録音はミシェル・ルパージュ、共に温厚ではあるが、多くのフランス人のように英語がうまく話せない人々であった。 前述のマーラーの録音では開始時までにヘッセン放送チームと録音方式に合意ができず、最初の数枚は別々のマイク・セッティングを行ったこともあったが、今回はヴィルモースからラヴォワに事前に録音方式の説明があったのか、最初から「日本コロムビアがマイク位置を決めて良いよ」と録音の主導権を渡してくれた。 これは殆ど知られていない話だが、当初、この録音は104スタジオではなく、カルチェ・ラタンにあるリバン教会で行われる予定だった。リバン教会は1974年12月、PCM録音機材がここに運び込まれ、パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集がヨーロッパ初のデジタル録音として行われた場所である。この教会はゴシック様式の石の柱と壁、そしてアーチ形の高い天井を持ち、残響の長い、豊かな響きを持っているため、バロック音楽や宗教曲、さらに室内楽、独奏曲の録音には最適であるが、大太鼓やシロフォン、チェレスタなど様々な打楽器を早いテンポで打ち鳴らすラヴェルの幾つかのオーケストラ曲では長い残響の中で音が混濁し、マイク位置を変えても、楽器の場所を変えてもレコード録音として使える物にはならなかった。初日に幾つかの曲を録音し、指揮者もオーケストラも録音チームもこの会場でのこれ以上の録音を断念した。 そして、ラジオ・フランスのスタジオ104に会場を移して録音は再開されたが、前述したスタジオの音響特性とインバルの音バランス双方が相まって「たっぷりの低音に支えられた、ピラミッド型のオーケストラ・サウンド」ではなく、「低音から高音まで同じバランスで響く、いわば円柱型のオーケストラ・サウンド」の録音となった。 さらにインバルの演奏は音楽の持つ弱音から強奏音まで細部に拘ったもので、幅広い録音レベルが要求された。最強音の物理的なピーク値をつぶすことなく録音したことで、平均した音楽の収音レベルは低いものとなった。 国内外の数々の音楽・録音賞を受賞したインバル/マーラー交響曲全集に続く作品を多くの音楽・オーディオファンは期待していた。そこに第1回ラヴェル:オーケストラ作品集として発売されたのは《ダフニスとクロエ》全曲。1912年にロシア・バレエ団により初演された合唱付きのバレエ曲である。 マーラーのCDジャケットはマーラーの肖像画をメインに大胆な色の線が飛び交う、一目でインバル盤と解る個性的なジャケットデザインであったが、ラヴェルでは幾何学的なタイトル部分と数種の鳥が描かれ、これはこれで個性的なデザインであったが、音楽雑誌編集者、新聞記者、評論家、レコード店など外部からは「音楽の中身と鳥とはどんな意味があるのですか?」と、のきなみ評判が悪かった。 さらに、インバルのダイナミックな演奏を忠実に録音したCDは「冒頭の音が聴こえない」、「弱音箇所が聴こえるようにしたらフォルテ部分ではアンプのヴォリュームを絞らなければならない」とクレームが聞こえてきた。極端に言えば、有名な「第3部(第2組曲の部分)に辿りつくまでに、30分以上も派手さのない、聴こえにくい部分が続くことへの欲求不満だった。 こうして、音楽・オーディオファンが抱くラヴェル=明瞭で派手な音楽という印象を裏切ったインバルの音楽と録音は国内ではその真価が理解されないまま、売れないCDとの刻印を押されてしまった。 さらに、2000年初頭、リップルウッド・ファンドの傘下時に、米国の販売子会社がオランダのブリリアント・レーベルにクラシック・カタログを提供してしまった。ブリリアントはこの音源でラヴェルのサインをあしらった4枚CD入りのカートンボックスを作り、全世界に超廉価で販売した。日本にも大量に輸入され、それを購入した音楽ファンがインバルの演奏・録音の素晴らしさに気付くという皮肉な現象が起きた。 現在、日本コロムビアのカタログからはインバルが指揮したラヴェルの大半の作品が消えてしまったが、改めてこの4枚を聴き直すと様々な思いが浮かんでくる。「全集3枚目の〈マ・メール・ロワ〉は演奏・録音の面白さ・素晴しさが解りやすい。最初にこのアルバムを出していれば?」とか、「もう一度全アルバムのマスタリングをやり直して平均音量レベルを他社盤と同等にすれば、この音源の真価を伝えられるのでは?」など。 リバン教会での録音を行った高橋は「このとき録音した〈スペイン狂詩曲〉や〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉の長い残響の中から湧き出てくる神秘的な響きにかってない曲の魅力を感じました」と感動を述べている。残念ながら、この録音テープは現存していないが、リバン教会での〈パヴァーヌ〉、一度聴いてみたかった。 (久) |
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