[この一枚 No.71]〜ヘスス・ロペス=コボス/ファリャ:恋は魔術師(オリジナル版 1915年)、他〜

この一枚

ここには煙草工場で働く前の、若く恋するジプシー女カルメンがいる。

1989年に起きた2つの出来事はその後の日本コロムビアのクラシック制作に大きな影響を与えた。
まず最初は6月の美空ひばり死去。彼女の追悼盤は高額にも拘らず飛ぶように売れ、会社の業績に多大な貢献をした。次は11月のベルリンの壁崩壊。東ドイツという国家が無くなったため、それまで共同制作の相手であったドイツ・シャルプラッテンも機能不全となり 、折りしも病気がちであった指揮者オトマール・スウィトナーの以降の録音計画は消滅した。隣国チェコスロバキアでも翌年のビロード革命により共産主義体制が転覆し、チェコのレコード会社、スプラフォンは解体、チェコ・フィルやその他音楽家の新録音計画は頓挫した。こうして東欧のレコード会社との共同制作が無くなったため、日本コロムビアはいっそう自主音源の開拓を迫られた。 そこで追い風となったのは「ひばり効果」とも呼ぶべき会社の業績の好転と世界的CD生産の急拡大であり、欧米のCD販売会社からは「CD店に誰も知らないDENON(日本コロムビア)のCDを置いてもらうためには、まず、西ヨーロッパで著名な音楽家の録音。そして珍しい曲目の録音」という要望が貿易部を通じて洋楽部に寄せられていた。

インバルより4歳若いスペインの指揮者ヘスス・ロペス=コボスはこの頃西ベルリンのベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督、米国のシンシンナティ交響楽団やスイスのローザンヌ室内管弦楽団の首席指揮者を務める等、欧米各国で活躍しており、CDもテラーク・レーベルに録音したシンシンナティ交響楽団とのアルバムが好評だった。母国スペインでは88年までスペイン国立管弦楽団の音楽監督を務め、近現代スペイン作曲家達の作品解釈に新しい光を当てていた。

当時、著名な指揮者やソリストの録音は欧米メジャー・レコード会社の専属契約にも阻まれ、難しかったが、多くの次世代音楽家達は極東のレコード会社DENONの録音提案に積極的で、ロペス=コボスもその一人だった。 まず、1991年2月からローザンヌ室内管弦楽団と共にハイドンの「タイトル(通称)付」交響曲集の録音が美しい響きで知られるスイス、ラ・ショー・ド・フォンのムジカ・テアトルで開始された。第1回は交響曲集「朝、昼、夜」。以降、この交響曲シリーズは年2回の録音ペースで継続され、最終的に7CD、19曲が残されている。
そして、翌92年3月にはロペス=コボスの本領を発揮する母国の作曲家、マヌエル・デ・ファリャの「恋は魔術師(オリジナル版、1915年)の録音が制作アルブレヒト・ガスタイナー、録音イョルク・イェックリンというスイス人チームにより行われた。

1974年に第1回PCMヨーロッパ録音が開始された時から、いや1972年、歴史的なスメタナ四重奏団の録音から日本コロムビアはPCM(デジタル)録音の特徴である澄んだ響きを得るため、マイクロフォンの数を減らしてマイク相互の干渉による音の濁りの少ない録音をポリシーとしてきた。どの共同制作の時も、外部スタッフに全て任せるときもこの録音ポリシーを理解してもらうように訴えてきた。相手が有名なトーンマイスターであろうとも。

スイスのバーゼル放送局に籍を置くイェックリンは、まるでヘルメットのような独特の形のヘッドフォンを開発したり、ステレオ録音技術では必ず紹介されるイェックリン・ディスク(2本の無指向性メインマイクの左右の音の分離を良くするためにマイク間の中央を仕切る直径30cm、厚さ1cm弱で吸音材が貼られた円盤)を考案するなど、常に良い録音再生を求める世界的に著名な録音技術者である。制作のガスタイナーはザルツブルクで音楽を専攻したことから音楽とオーディオに造詣が深く、当時、デジタル・オーディオ機器規格審査会のスイス代表でもあった。

1991年12月インバルのチューリッヒ歌劇場でのライヴ録音を依頼するためにバーゼルに向かう機中では「このスイス人チームにDENON(日本コロムビア)の録音ポリシーは理解してもらえるだろうか?頑迷なトーンマイスターだったらどうしよう?」とまるで、大学の口答試験を受けるような気分だったが、二人とも「DENONの録音ポリシーは自分たちのポリシーでもある」と暖かく迎えてくれた。

翌年は年頭からDENONドイツ録音チームは毎週のようにヨーロッパ各地でインバル、カントロフ、ダルベルト、アファナシェフ、クリヴィヌと様々な新録音を行い、その目まぐるしさにスタッフは悲鳴を上げていた。これ以上の録音点数の増加には機材も人間も追いつかず、外部の録音チームに委嘱するしかなかった。結果、3月末のファリャの録音はチューリッヒ歌劇場の仕事に続いてこのスイス人チームに委ねることになった。

「恋は魔術師(オリジナル版1915年)」は後の1925年のバレエ版と音楽こそ一部同じであるが、曲順は異なり、ストーリーは大きく違っている。1915年版は解説書のト書きとセリフ、歌詞を追っていくと、不実な男に恋い焦がれるジプシー女が魔術の力を借りてその男を呼び寄せ、足元にひれ伏させるという物語であることが解る。後のバレエ版に登場する伊達男カルメーラや恋路を邪魔する亡き夫や、女友達のルシアは登場せず、そこには若きファリャが描く、吹き上がるように情熱的で、原色が飛び交うアンダルシアのジプシー女の世界が出現する。
ロペス=コボスは「これがスペインだ!これがファリャだ!」といわんばかりにドライヴし、冒頭のセリフから聴く者を一気に音楽に引きずり込む。圧巻は第一場、トラック(4)一日の終りの踊り(後の火祭りの踊り)から次の(5)情景に移る部分で、この一気呵成に畳み掛ける眩しい演奏と迫力ある録音には思わず息を呑込んでしまう。
カップリングされているルチアーノ・ベリオ編曲の「七つのスペイン民謡」もまるでファリャ自身がオーケストレーションを行ったかのように色彩豊かで違和感は無い。

前述のイェックリン・ディスクに仕切られた2本のB&K無指向性メインマイクで全体の音を捉え、木管とコントラバス、そしてヴォーカルに少し補助マイクを用いるスタイルで録音は行われた。
ホールに響き渡る素晴らしい演奏をスイス人録音チームは鮮烈で、色彩豊かだが濁りのない音で捉えている。この録音に立ち会ったコロムビアのディレクター岡野が翌年予定されている田部京子のメンデルスゾーンの録音を同じ会場で、イェックリンに依頼したのも肯ける1枚である。

ただ残念なのはCDジャケットと音楽の中身の乖離。 ジャケットに使われているルドンの「花の中のオフィーリア」はあまりに静謐で、このジプシー女の燃えさかる恋心と魔術を用いて不実な男に仕返しする情念が迸るスペイン音楽の世界とは異なるように思える。

(久)


アルバム 2010年12月22日発売

ヘスス・ロペス=コボス/ファリャ:恋は魔術師(オリジナル版 1915年)、他
録音:1992年3月25〜27日
COCO-73233 ¥1,000+税

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