[この一枚 No.72]〜パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団/J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全曲)〜
パリ中心地から南東方向に約40km向かった所にバラ栽培が盛んな小さな村グリジー=スウィヌがある。 1973年5月、この村に数年前に建てられた、三角錐の鐘楼が中央にそびえるモダンなデザインの教会で日本コロムビアとフランス、エラート社による日仏共同制作のJ.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲の録音が行われた。演奏はジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団とフランスを代表する管楽器のソリスト達である。 豪華な各曲のソリスト達を眺めてみよう。 多くの管楽器が活躍する第1番ではピエール・ピエルロ、ジャック・シャンポン、クロード・メゾヌーヴという三人のオーボエ奏者にポール・オンニュがバスーンで加わり、そして驚くことは世界的なトランペット奏者、モーリス・アンドレが第1ホルンを、ロベール・タサンが第2ホルンを吹いている。 トランペットとホルンでは楽器も、そしてマウスピースの形状も非常に異なるので、趣味のレベルならともかく、録音でトランペット奏者がホルンを吹くなんて驚きである。 さらにこの曲で指示されている通常のヴァイオリンより短三度高く調弦されたヴィオリーノ・ピッコロ独奏はコンサートマスターのジェラール・ジャリである。 余談だが、この曲でソロを吹いているオーボエのピエルロとバスーンのオンニュは翌年パリ・バロック・アンサンブルの一員として来日し、コロムビアに2枚のアルバムを録音している。 続く第2番ではジャリのヴァイオリン、ピエルロのオーボエ・ソロと共に、アンドレが本職のトランペット・ソロを吹いている。これまでに現代楽器、古楽器を含めて、多くの名だたるトランペット奏者がこの難曲を録音しているが(中にはトランペットからホルンに替えて録音したものもある)ここに聴かれるアンドレほど輝かしく、しかも楽々と演奏している例を知らない。この演奏だけでも一聴の価値があると言えるだろう。 パイヤール室内管弦楽団の弦楽器奏者達で演奏される第3番に続く第4番だが、バッハはヴァイオリンと2本のリコーダーをソロに指定している。しかしここではリコーダーを用いること無く、ジャン=ピエール・ランパル、アラン・マリオンという何れもコロムビアにソロ・アルバムを録音している名フルート奏者が共演している。 「世界最初の鍵盤楽器協奏曲」とも呼ばれる第5番ではアンヌ=マリー・ベッケンシュナイダーのハープシコードに加えて横笛の指定なのでフルートのランパルが、そしてヴァイオリンのジャリがソロを行っている。 最後の第6番でのバッハの楽器指定はヴィオラ・ダ・ブラッチョ2本とヴィオラ・ダ・ガンバ2本、チェロ、そして通奏低音となっているが、ここではヴィオラとチェロに置き換えられて演奏されている。 こうして3日間ずつ2回に渡って行われた録音は終了した。エラートのドリーム・キャストが集結したこのアルバムはアンドレがトランペットのみならず、ホルンを吹くなどの話題もあり、音楽的にも、セールス的にも好評となった。 この録音に日本コロムビアからは音楽雑誌の取材も兼ねて洋楽部、編成課長の増田が立ち会っていた。増田は1960年代前半にクラシック音楽雑誌「ディスク」の編集と評論に携わり、多くの音楽関係者、マスコミに知己を得ていたことから、その流れでコロムビアに入社した。 この録音の半年後にイイノホールで録音されたマリア・ジョアオ・ピリスのモーツァルト:ピアノ・ソナタ全集で増田は結城亨、川口義晴と共に制作担当としてクレジットされるなど、制作にも大きく関与している。 この増田の立会いは単に宣伝素材の収集だけでは無かった。1970年にパイヤール室内管弦楽団によるヴィヴァルディの「四季」から始まったエラートとの共同制作を推し進めることに加えて、1年半後に予定されている第1回PCMヨーロッパ録音の事前調査を行うことが含まれていた。 この録音以降のエラートとの協力関係として、まずピリスのモーツァルト:ソナタ・アルバムをエラートがヨーロッパで発売すること(これは76年のフランス:ADFディスク大賞、77年のオランダ:エディソン賞として結実する)、次に74年5月から始まるジャリ独奏、パイヤール室内管弦楽団によるモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集の共同制作(11月に行われた第1番、第2番、協奏交響曲からPCM録音が始まった)、続いて74年12月に同じくパイヤール室内管弦楽団でJ.S.バッハ:音楽の捧げ物の録音が決まった。 そして、1年半後に予定されている第1回PCMヨーロッパ録音の準備として日本から依頼されたのは優れたフリーの録音エンジニアを探し出すことだった。それも単にフリーであるだけでなく、PCM録音に理解を持ち、協力的で、時には現地でのコーディネーターともなってくれる人物である。 グリジー=スウィヌの教会のモニタールームでディレクターのミシェル・ガルサンと共に働いていたエンジニアはデンマーク人のピーター・ヴィルモースと名乗った。彼は7ヶ国語に精通し、これまでにイタリア、コンタリーニ宮でのヴェニス合奏団、マリー=クレール・アランのオルガン、グシュルバウアー指揮バンベルク交響楽団など数々の名録音をヨーロッパ各国で行っており、経験豊富でしかも進取の気があった。母国デンマークでピーター・ヴィルモースといえば子供でも知らない者はいない19世紀海軍の英雄で、彼はその末裔であることを常に誇りとしていた。 翌年から始まった、大きく重くて、その性能が理解されていないPCM(デジタル)録音機を携えた日本人録音チームのヨーロッパ各地での活動を単に好奇の目で見られることなく遂行できたのはヴィルモースの存在、協力が大変大きい。増田の判断は正しかった。 この録音から16年後、日本コロムビアの古楽シリーズ、アリアーレが有田正広のJ.S.バッハ:フルート・ソナタ全集の発売で開始された。以降、ヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトなど数々の名曲がオリジナル楽器で録音されていったが、このブランデンブルク協奏曲全曲だけは常に録音候補曲として挙がりながら、第1番、第2番のホルン、トランペットのソリストに出会えていないことから制作に動き出せていない。制作スタッフにとってハードルの高い、夢の曲目となっている。いつの日か、邦人でモーリス・アンドレのようなトランペッターが現れるだろうか? (久) |
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