[この一枚 No.77]〜カントロフ/パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番《ラ・カンパネッラ》〜

この一枚

世の中に「歌うオーケストラ」ではなく、「しゃべるオーケストラ」が存在すること、またロッシーニのオペラは歌手だけでなく、オーケストラもしゃべることでその音楽が実に生き生きとすることを1981年秋のクラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座の「セヴィリヤの理髪師」来日公演は教えてくれた。

2009年9月の「この1枚」ではジャン=ジャック・カントロフが演奏したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ集」を取り上げ、以下のように紹介している。「カントロフは1974年の第1回PCMヨーロッパ録音に於いて、パイヤール室内管弦楽団によるモーツァルト:2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネK.190の第2ソリストとして登場して以来、約20年にわたりDENONレーベルのメイン・ヴァイオリニストとして様々なヴァイオリン名曲を録音してきた。(中略) 彼の演奏は非常に繊細で、録音セッションでは、かすかなキズでもすぐに演奏を止め、再度のテイクを要求した。そのため、膨大な録音時間と録音テープが必要で、結果、多くの編集個所が録音スタッフに突きつけられた…」

確かに、彼の録音は微細なミスも許さないものであったが、同時に常にテクニックの限界に挑戦し続ける大胆さも持ち合わせている。1983年に録音された自身率いるパガニーニ・アンサンブルのアルバム「煙が目にしみる」ではカントロフはクラシツク、ポピュラーの名曲をまるで曲芸のような超絶技巧で聴かせているが、その中にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の第三楽章「ラ・カンパネラ」も収録されている。

日本コロムビア・デジタル録音のカタログにパガニーニの曲が初めて登場したのは1978年、チェロのヤーノシュ・シュタルケルの演奏による「モーゼ幻想曲」ではなかっただろうか。本来はヴァイオリンと管弦楽のための作品だが、チェロとピアノ用に編曲された難度の高い変奏曲をシュタルケルは次々に攻略している、音符がぎっしりと書かれている楽譜を見ながら、そういう印象を抱いて編集した記憶がある。

パガニーニは「悪魔に魂を売ってヴァイオリンのテクニックを手に入れた」と伝えられているほど凄い腕前の持ち主で、自身が開発したテクニックを他の演奏家に盗まれないように自作のヴァイオリン協奏曲のリハーサルは独奏抜きで行い、本番で始めてソロ・パートを演奏し、聴衆を興奮させたという。
19世紀初頭にヨーロッパの音楽界を席巻していたのはモーツァルトやベートーヴェンでは無く、共にイタリア生まれで、10才しか違わないパガニーニのヴァイオリン曲とロッシーニのオペラだった。二人は同じイタリアの空気を吸い、どんな音楽が聴衆を興奮させるかを感じ取っていた。
パガニーニの協奏曲は、前奏はまるでロッシーニのオペラのように賑やかにシンバルを打ち鳴らしてソリストの登場まで聴衆を煽り立て、ソロ部分はオペラのアリアのように魅了し、最後はロッシーニ・クレッシェンドのように、聴衆を興奮のるつぼに突き落として熱狂させる。そんなスタイルで作られているからソリストもオーケストラも単に丁寧に演奏しただけではちっとも面白くない、そこには見栄を張る芝居心が求められる。

1964年、カントロフは19才でイタリアのパガニーニ国際コンクールの1位に輝いている。そんな経歴もあり、日本コロムビアの制作・営業は彼にパガニーニのヴァイオリン協奏曲録音をリクエストしていたが、なかなか承諾が得られなかった。しかし、指揮活動を始めた1980年代半ば頃からコンサートでパガニーニを取り上げるようになり、風向きが変わってきた。パガニーニの協奏曲は作曲者自身がそうであったように、ソリストと指揮者が二人で音楽を作るのではなく、ソリストが指揮も兼ねて音楽を自在に作り上げることでその素晴らしさがより引き出せると考えたのではないだろうか。

フランス第2の都市リヨンからさらに南西に下ると、そこはオーヴェルニュ地方。ミシュラン・タイヤとミネラルウォーターのヴォルヴィックで有名な古都クレルモン=フェランが名高いが、録音は1990年4月、その郊外の小さな街、サン=ジュネス・シャンパネルの協会会館で行われた。ディレクターは長年カントロフのディレクションを行ってきた川口義晴、録音エンジニアは北見弦一。彼はデジタル編集からアニメ・ポップスの録音エンジニアとして活躍し、前年の有田正広のJ.S.バッハ:フルート・ソナタ集で本格的にクラシック録音を担当した若手のミキサーである。録音機材はDENONドイツから運ばれ、技術としてホルガー・ウアバッハが参加している。

この曲のカントロフ盤は演奏も録音も他の競合盤と比べるとひと味違う。まず演奏だが、カントロフが独奏・指揮を兼ね、しかも手兵オーケストラとの共演だから、音楽の造り方が下品に堕ちる一歩手前、と思えるほど自由闊達で生き生きしている。ソロ部分はまるで超一流のアスリートのように難度の高い技をスピードに乗って繰り広げ、限界まで攻めている。録音も呼応するかのように、オーケストラの音色は芝居小屋のジンタを思わせるように明るく、ヴァイオリンは高音用スピーカのテスト音源に最適、と思えるほど歪みが少なく、響きを押さえてシャープに捉えられている。
全体にカントロフの熱い想いが伝わってくる1枚となっている。

この盤を聴く度に81年のアバドのロッシーニ体験がオーバーラップされてくる。共に19世紀初頭のイタリアの空気を、しゃべる音楽の楽しさを教えてくれた。

(久)


アルバム 2010年08月18日発売

ジャン=ジャック・カントロフ/パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番《ラ・カンパネッラ》
※録音:1990年・PCMデジタル録音
COCO-73100 ¥1,143+税

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