[この一枚 No.79]〜ノイマン指揮チェコ・フィル:ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》〜
1989年11月9日に始まった「ベルリンの壁崩壊、共産党一党体制崩壊」の影響はソヴィエト連邦が支配する東ヨーロッパの国々に瞬く間に拡がっていった。約20年前の1968年に起きた「プラハの春」事件でソ連の戦車が首都を制圧し、多くの市民が犠牲となった隣国チェコスロヴァキアでも無血の「ビロード革命」が起こり、民主主義国家に生まれ変わった。国家体制の変化の大波はその傘下にあったレコード会社スプラフォンも飲み込み、すくなからぬ社員は退職し、新たな会社を作った。その中の一つがボヘミア・ビデオ・アートである。 社会主義国家時代、スプラフォンにとって日本コロムビアは外貨を稼ぐ大切な契約先であり、歴代の名指揮者達とチェコ・フィル、スメタナ四重奏団やスーク・トリオなどの名演奏家のアルバムは日本市場で成功していた。 1969年にはノイマン指揮チェコ・フィルの来日機会を捉え、世田谷区民館でベートーヴェン:交響曲第5番を録音しているが、これが日本スタッフによるチェコ・フィルの初録音である。 PCMデジタル録音によるチェコ・フィルの初録音は1976年2月、プラハのドヴォルザーク・ホールで行われたデイートリヒ・フィッシャー=ディスカウ指揮のブラームス:交響曲第4番、他の録音。また同年12月3日にはノイマン指揮チェコ・フィルによるベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》を東京文化会館でライヴ録音し、年末には2枚組のレコードとして発売した。 しかし、日本コロムビアとの共同制作はここまで。スプラフォンにとって西ヨーロッパに輸出できる、大切な音源チェコ・フィルの共同制作には承認が得られず、スプラフォンの独占が続いていた。 この状況が変わったのが前述の「ビロード革命」であった。 91年に行われたクーベリック指揮チェコ・フィルによる《新世界より》は従来のスプラフォンではなくボヘミア・ビデオ・アートのチェコ人スタッフが録音を担当した。 そして93年12月のノイマン指揮チェコ・フィルによる《新世界より》初演100周年記念コンサートのライヴ録音の打合せにおいて日本コロムビアは日本人スタッフによる録音を提案し、先方はこの提案を受け入れた。スプラフォン独占の時代には考えられない、時代が変わったことを実感させられる出来事だった。 日本コロムビアはこの録音のスタッフとして、ディレクターの中里、録音にはウィーンでのインバル/ショスタコーヴィチ交響曲全集録音を担当している後藤、そしてデュッセルドルフのドイツ録音基地からは最新の20ビット4チャンネルの録音機と技術の井口をプラハに送り込んだ。 チェコ・フィルのホームグラウンドとして、またスプラフォンの数々の名録音会場として知られるドヴォルザーク・ホールはヴルタヴァ(モルダウ)河の河畔に19世紀末に建てられたルドルフィヌム(当時のルドルフ皇太子にちなんだ名前)の中にあり社会主義国家時代は「芸術家の家」と呼ばれていたが、体制が変わって旧名に戻された。 収容人員約1150名のドヴォルザーク・ホールはウィーンのコンツェルトハウスをこぶりにして、正面にオルガンを据え付けた形状で、ステージは狭いが天井が高くてよく響き、また客席も奥行が無いので、後列でもステージが近く感じられる。 ワンポイント録音を成功させるには、まず良い録音会場、次に良い曲目と演奏団体、最後に良い録音スタッフと言われている。 録音会場はチェコ・フィルのホームグラウンドで前述のように狭いステージなので、オーケストラが密集して座るため、端にある楽器が遠くて聞こえにくいということはほぼ無く、全体が美しい響きに包まれる。 次の良い曲目と演奏団体についてはどうだろう。ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界》をノイマンとチェコ・フィルはいったい何回一緒に演奏したのだろうか。オーケストラ・メンバー達はお互い聴き合ってソロと伴奏のバランスを無理なく作り、さらに指揮者は無理強いをしていない。ある楽器の音が聞こえにくいか、際立出せるための補助マイクが必要ない自然な音楽作りがステージの上で行われている。 そして録音機材とスタッフである。スタッフにとって初めてマイクを立てる録音会場は特定の音が強調されないか、悪い反射音が生じないか、電気ノイズを拾わないか、などで慎重にならざるを得ない。 後藤はこのホールを良く知っているチェコ人スタッフと共にB&Kマイクをセットし、リハーサルを迎える。イメージよりオーケストラが近いか、遠いか?木管楽器のメロディの聴こえ具合は?金管楽器が強すぎないか、ティンパニーの音は響きすぎないか?リハーサルの間に少しずつマイクロフォンの位置や高さを変えて音の変化を確認していく。 同時に、各楽器に置いた補助マイクの音もチェックする。限られたリハーサル時間を最適なマイク位置探しの為だけには使えないのだ。最新の20ビット4チャンネルの録音機の1、2チャンネルにメインマイクの音を、3、4チャンネルに補助マイクの音を収録して2日間のコンサートを終えた。 その後4チャンネル編集を終え、試聴を重ねる中で「メインマイクの音だけで、この音楽・演奏の魅力を伝えられる。マーラー:交響曲第4番に続いてオーケストラのワンポイント録音として発売できる」という確信が生まれ、最後に保坂によるマスタリングによってCDマスターが作られた。 94年夏に発売されたこのCDは感動的な演奏と強奏部分でも音が濁らず、自然で透明な奥行きが感じられる録音の良さが評価され、同年から始まった「日本プロ音楽録音賞」の第1回受賞作品の栄誉に輝いた。 日本人がプラハでチェコ・フィルによる《新世界》を録音する時代が来るなんて!喩えれば外国人が長唄を録音するようなものだろうか?ベルリンの壁が崩れた後、世界が大きく変わったことが感じられる1枚である。 (久) |
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