[この一枚 No.80]〜スーク・トリオ:ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第4番《ドゥムキー》〜
1960〜70年代チェコを代表するピアニストとして、またスーク・トリオのメンバーとして知られるヤン・パネンカはペルルミュテール、ピリスに次ぐ世界で3番目にPCMデジタル録音を行っている外国人ピアニストで、1974年3月に来日した機会に青山タワーホールでシューマンの「謝肉祭」と「子供の情景」を録音している。 当時は高音質のアナログレコードを作るため、PCM録音機とレコード・カッティングマシンのスピードを半分にしてより正確に音溝を刻んでゆくハーフスピード・カッティングを行っていたため、常時半分のテンポと音程で再生される音楽をPCM録音機のオペレーターは聴かなければならなかった。 シューマンの「子供の情景」の中には有名な《トロイメライ》があるが、パネンカの眠りかけている幼児に 囁くようなピアニシモで演奏されるこの美しい曲もハーフスピード再生では、ただ低音がモゴモゴ鳴っているだけで殆ど音楽には聴こえず、まるで拷問のように思えたのが懐かしい思い出である。 翌75年にはチェコにPCM録音機が運ばれ、スプラフォンとの共同制作としてスメタナ四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲2枚分と共にベートーヴェンの《大公》、シューベルトのピアノ三重奏曲第1番など2枚分をスーク・トリオでデジタル録音している。続いて 翌76年初夏にはスーク・トリオが来日した機会を捉え、荒川区民会館でチャイコフスキーのピアノ三重奏曲《偉大なる芸術家の思い出のために》をデジタル録音、また同年にはスプラフォンにブラームスのピアノ三重奏曲、ホルン三重奏曲をアナログ録音している。 さらにパネンカはソロでも11月来日の折、イイノ・ホールでヤナーチェク・スメタナ・ピアノ作品集をデジタル録音している。 77年3月パリで開催されたAESコンヴェンション(世界の音響技術者の会合)の会場で初めて14ビットにグレードアップした新しいPCM録音機(通称3号機)が発表・展示され、発表した穴澤・山本と当時PCMヨーロッパ録音の録音を担当していたピーター・ヴィルモースは世界中から集まった技術者の質問と賞賛を浴びた。この録音機はパリからコペンハーゲンに移動してオルガンの録音を行った後、プラハに運ばれた。プラハではスメタナ四重奏団のベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集やコシュラー指揮チェコ・フィルのヤナーチェクの《シンフォニエッタ》、《タラス・ブーリバ》の録音と続き、最後はスーク・トリオによるドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲全集の録音となった。今回はLP2枚分となる第1番から第3番までで、4月後半からの1週間で録音されている。 録音会場ドモヴィーナ・スタジオはチェコ・フィルの本拠地ドヴォルザーク・ホールがあるルドルフィヌムからヴルタヴァ河(モルダウ河)を少し遡った対岸にある映画館を改造したスタジオで、響きはやや少ないものの、大音量で演奏してもヴァイオリンやチェロの旋律がピアノの音に埋もれることなく聞こえ、しかも抜けが良い、ピアノ・トリオの録音に適した会場である。メイン・マイクにはノイマンのU87が2本使われ、他に残響収録用として補助マイクが置かれた。 翌78年5月にも同じ会場で第4番の録音が行われ、全集録音が完結した。 室内楽ファンの中では《ドゥムキー》の愛称で知られているドヴォルザークの最後のピアノ三重奏曲第4番だが、それまでの3曲がシューベルトやブラームスの延長にある4楽章の形式で作曲されているのに対し、この第4番は自由なスラヴ民族の舞曲(ドゥムカ)を6曲集めた、いわばピアノ・トリオによる「スラヴ舞曲集」となっている。 デジタル編集スタジオで最初にこの録音テープを聴いたたとき、その音楽のあまりの民族色の強さに少したじろいたことを思い出す。ピアノ連弾やオーケストラ作品として有名なドヴォルザーク:スラヴ舞曲集はとても洗練された、いわば国際的な仕上がりの音楽だが、この《ドゥムキー》は日本料理に喩えると外国人にも親しみやすい寿司や天麩羅ではなく、納豆や鯵の干物と言えるだろうか。 それだけに、チェコの優れた音楽家による、まるで水を得たような生き生きした独特の歌い回し、リズム感は聴き慣れると、「これがドヴォルザークの表現したかったことか」と納得できる。 ドヴォルザークは他にも《ドゥムカ》と名付けられた曲や楽章をピアノ曲やピアノ五重奏曲に用い、また2014年に発売された福間洸太朗のCD「火の鳥」にはチャイコフスキーの「ドゥムカ(ロシアの農村風景から)」が収録され、さらにショパンの歌曲やマルティヌーのピアノ曲などにも《ドゥムカ》と題された楽曲があるなど、スラブの作曲家には身近な民族舞曲であることが窺われる。 スーク・トリオはこの後ベートーヴェンのピアノ三重奏曲全集の録音が予定されていたが、ヤン・パネンカに手の不調(一説には腱鞘炎とも、また茂みのダニが媒介する病気が原因とも)が起こってピアノ演奏が出来なくなり、ソロ・トリオ共に演奏・録音活動は中断した。 この後、スーク・トリオのピアニストはパネンカからヨセフ・ハーラに替わって活動を再開し、83年に一気にベートーヴェンのピアノ三重奏全集の収録を完成させた。 この病気のため、一時はピアニストから指揮者に転向したパネンカだったが、幸い数年で回復し、再びピアニストとして活動、87年にはスメタナ四重奏団と共演してドヴォルザークとシューマンのピアノ五重奏曲を録音しているが、再びスーク・トリオに戻ることはなかった。 75年録音のベートーヴェン《大公》やこの《ドゥムキー》を聴くと、ヴァイオリンのスークやチェロのフッフロももちろん素晴らしいのだが、なんといってもアンサンブルを引っ張るパネンカの音楽と音量バランス感の良さに感心してしまう。 青山タワーホールやイイノ・ホールで接した彼は田舎のおじさんという外観だったが、ピアノの前に座ると隅々まで目配りを効かせる音楽家だった。70年代に集中的にスーク・トリオによって録音されたベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ドヴォルザークの名ピアノ三重奏曲達がいまも名盤とされていることが、その証だろう。 (久) |
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