[この一枚 No.83]〜有田正広/モーツァルト:フルートと管弦楽のための作品全集〜
「バッハ・モーツァルト・オーケストラとわたしの友人、アリタの指揮者としてのスタートを喜んでいます。オーケストラがその聴衆を啓発しつつ楽しませますように!」−−フランス・ブリュッヘン このメッセージは1989年4月に福岡と東京で行われた東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの結成公演(また、指揮者有田正広の本格的なデビューでもあったが)に寄せられたものである。 東京公演は御茶ノ水のカザルスホールで3日間連続しておこなわれた。まず4月21日(金)オープニング・コンサート、曲目はバッハ:管弦楽組曲第1番、モーツァルト:フルート協奏曲第2番(独奏:有田正広)そして交響曲第41番《ジュピター》、22日(土)はヴィヴァルディ協奏曲の夕べ、23日(日)はクロージング・コンサートとして、フィナーレにモーツァルト:交響曲第34番が演奏された。 同年1月から有田さんを中心とした古楽シリーズの制作録音を音楽評論家の故佐々木節夫氏と共に開始したばかりの日本コロムビアの制作スタッフは連日このコンサートに立ち会っただけでなく、裏方として2日目、3日目のコンサートのライヴ録音を行っている。初日はNHKが収録し、放送された。 初日に演奏されたモーツァルト:フルート協奏曲第2番の気迫溢れる演奏(第3楽章ロンドのカデンツァでは一瞬何が起きたか?と思わせるフルートの超高音のロングトーン独奏から始まっている。これまでに多くのフルート独奏を耳にしてきたが、この異様で素晴らしい演奏は他に聞いたことが無い)は制作スタッフの心に「いつか、この曲の録音を行わなければ」と銘じさせるものだった。 有田さんによる「モーツァルト:フルートと管弦楽作品全集」の録音は一つの目標だったが、ハードルは高かった。社内ではこの古楽シリーズ(アリアーレ)が芸術的にも、商業的にも成功する企画であるか半信半疑だったので、まずは録音経費の少ない独奏曲や室内楽で実績を重ねることが求められ、オーケストラ曲の録音は遠い夢だった。 次のハードルはオーケストラのスポンサーだった。当初、公演は福岡の資産家の寄付金に依存していたため、時代の変遷でこの支援が受けられなくなると、多数の演奏家を必要とする18世紀後半の管弦楽曲の定期的な公演を行うことが難しい時期があった。録音の為だけにアルバム2枚分の演奏家を集め、リハーサルを行い、録音会場を借りて数日間の録音を行うとなると、その経費は大きく、予想されるCDの売上だけで賄いきれるものではなく、演奏会との経費分担が必要であった、幸い東京芸術劇場の自主公演という形でこの問題は解決された。 CD1枚に収まるモーツァルトのフルート協奏曲2曲だけの録音ならばもっと早く録音できていたかもしれないが、「フルートと管弦楽作品全集」に拘ると、フルートとハープのための協奏曲は欠かせない。 ハープの独奏者として誰を起用するか?が次の問題であった。現代のダブルアクションのグランドハープではなく、18世紀のシングルアクションハープを演奏できる音楽家は限られていたが、演奏会では共演できるが、契約により日本コロムビアへの録音ができないため、断念せざるを得ない人もいた。 幸いオランダ在住の長澤真澄さんをソリストに迎えることでこの難問も解決した。この録音の後、長澤さんはモーツァルト:初期のソナタ集をヴァイオリンの寺神戸さんと共に海外盤として発売している。 1989年4月の結成公演から2006年6月の待望の録音まで17年が経過していた。結成時のメンバーでこの録音に参加しているのは4名(今回は20名がオーケストラ・メンバーとしてクレジットされている)という数字が時代の経過を物語っている。 この演奏の特徴は有田さんが書いた、丁寧なライナーノーツ(低価格盤として再発売されても、この数ページにわたる解説が転載されたことは素晴らしい)を読んでいただくのが一番であるが、聴いて直ぐに判るのが、フルート独奏部ではオーケストラも各パート一人で演奏していることだろう。そのため、時にはまるでフルート四重奏曲を聴いているような錯覚に陥る。勿論良い意味でだが。 そして音楽のあり方も「新しい時代を創る」という決意が感じられる1989年から、美しい装飾に満ちた 華やかなロココ調に変わっている。しかし、ブリュッヘンがアリタに贈ったメッセージ「オーケストラがその聴衆を啓発しつつ楽しませますように!」というテーマは一貫されている。 (久) |
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