[この一枚 No.85]〜藤原真理/ハイドン:チェロ協奏曲第2番、ボッケリーニ:チェロ協奏曲〜

この一枚

1973年春、日本コロムビア録音部では前年春に開発したPCMデジタル録音機を用いた「アマチュアからプロまでが使える、全く新しいテストレコード」の企画が進んでいた。

当時、録音された音楽信号がきちんとアナログ・レコードに刻まれているか、そのレコードを正しく再生できているか?を測る手段は欧米のプロ用テストレコード数種類に頼るしかなかった。またそのレコードは測定器を用いることを前提に作られているので、普通のオーディオ・マニアには使いこなせない代物だった。
同年秋に発売される「オーディオ・テクニカル・レコード(XL-7001〜3、輸出用はXL-7004〜6)」は 3枚組で、1枚目は物理的諸特性の測定、2枚目は録音サイドにおける楽音や音楽の特性、3枚目は物理的特性の楽音や音楽に及ぼす影響の解析というマニアが自分の再生装置を診断したり、録音・再生の知識を聴きながら学べる内容にもなっており、豪華解説書付き、カートンケース入り、価格¥9,000で発売された。

2枚目「録音サイド:様々な楽器の指向性や各種マイクロフォンによる音の違いを聴いて確かめる」というマニア心をくすぐる中身を制作する為の標準マイクロフォンとして選ばれたのが、当時音響メーカーや大学などの研究所が購入していたデンマーク、ブリューエル&ケア社の測定用マイクである。しかし、このマイクは測定用のため、そのままでは録音機材に接続できず、この録音のために新たに収録用アンプを4台制作しなければならなかった。また測定用のため、どこも1個ずつしか持っておらず、録音部、研究部、そして監修を担当した早稲田大学理工学部音響研究室からかき集められた。

当時、日本コロムビア川崎工場内にあった無響室にセットされた様々な音楽収録用マイク(ノイマン、シェップス、ゼンハイザー、ベイヤー、ソニー、シュアー、エレクトロヴォイス、RCA、アルテックなど)のどれよりもB&Kマイクで収音された音質は素直であったが、プロ録音仕様でないために以降も録音エンジニア達からは使われることはなかった。

8年後の1981年6月、アムステルダム、ヴァールス教会での藤原真理/ハイドン:チェロ協奏曲の録音現場にデンマークの録音エンジニア、ピーター・ヴィルモースが新しいマイクロフォンを持ち込み、セットした。これこそがB&K社が音楽録音用に開発中の無指向性マイク4003で、世界初の録音現場への投入であった。測定用マイクのずんぐりした形状とは異なり、直径1cm強の細長くて黒く、ずっしりと重いボディは精悍な印象を与えた。

1978年第6回チャイコフスキー・コンクールのチェロ部門で藤原真理は2位に輝き、同年秋には全体的に静かな小品を集めたデビューアルバムの録音が日本コロムビアの第1スタジオで行われた。
この慎重な滑り出しから2年後の1980年秋から彼女の録音は急激に増え始める。11月に再び小品集1枚とブラームスのチェロ・ソナタ半分を収録し、翌年6月アムステルダムでハイドン、ボッケリーニのチェロ協奏曲を井上道義指揮オランダ室内管弦楽団のバックで、7月にはチューリヒでブラームスの残り半分を録音する。
さらに翌年からはバッハの無伴奏チェロ組曲を、さらに1983年は室内楽奏者として3枚のアルバム、またソロで1枚と、レパートリーが拡がっていった。

中でも、このハイドン、ボッケリーニのチェロ協奏曲のアルバムは彼女の瑞々しさと力強さが程好くブレンドされており、さらに、その独奏の音色や録音会場の響きの美しさをB&Kマイクが上手く捉えている。このアルバムの成功は演奏もさることながら、新型マイクを上手く使いこなしたヴィルモースの録音技術に寄るところが大きい。
また、このB&Kマイクはそのまま東ドイツにPCM録音機材と共に運ばれ、スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン:交響曲第5番「運命」の録音でさらに威力を発揮する。

ヴァールス教会はこの録音以降、カンントロフのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集など、80年代DENONの代表的な録音会場として使われる。 この教会はアムステルダム中央駅から徒歩10分のところにあるが、途中の道は昼間でも「とても危険!」なのである。 道すがら店のショーウィンドウを覗くと、そこには胸をはだけた派手な下着姿の国際色豊かな女性達が佇み、周囲は品定めをする男女の観光客でごった返す。時折の拍手と歓声は店から出てきた客を冷やかしつつ、称える響きである。そう、世界的に有名な「飾り窓」を通り抜けた、静かな運河沿いに録音会場はあるのだ。
しかしながら、録音会場選定はあくまでも会場の響き、利便性が優先されるのであって、決して周囲の環境を考慮するわけではないことを録音スタッフの一人として記しておきたい。

(久)


アルバム

ハイドン:チェロ協奏曲第2番、ボッケリーニ:チェロ協奏曲
※録音:1981年


藤原真理(チェロ)
井上道義指揮 オランダ゙室内管弦楽団

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