[この一枚 No.86]〜イタリア合奏団/ロッシーニ:弦楽のためのソナタ集〜

この一枚

1975年3月、二人の音響工学専攻の大学生が春休みを利用して上京し、日本コロムビア録音部で「企業実習」を行ったが、そのうちの一人が後に日本コロムビア録音部で上司からは「タカユキ」、後輩からは「タカユキサン」と周囲に愛称で呼ばれる高橋幸夫氏だった。
彼はこの実習中に初めてプロ用PCM(デジタル)録音機に接し、この録音機を携えての海外録音の話を聴き、またデジタル調整卓や光オーディオ・ディスク(後のCD)の開発現場で実習することでデジタル・オーディオの将来性や自分の進路を強く確信し、翌年日本コロムビア録音部に入社する。

当時各大学から優秀な卒業生が集まった録音部の技術スタッフは大変な忙しさで、赤坂の開発現場はまさに「不夜城」と化していた。急務は16ビット、4チャンネルのPCM録音機の開発だった。これまでの2インチVTRはあまりに大きく、海外の出張録音への輸送や現場への投入は大きな負担であったし、また他社が16ビット、2チャンネルで、小型のUマチックVTRを用いたPCM録音機を開発しており、それを上回る録音機が要望されていた。次に光オーディオ・ディスク用マスターテープを作るための周辺機器の開発。更にハードディスクを用いたデジタル編集機の開発。欧米のレコード制作者・アーティストが要望するアナログテープ並か、それ以上の編集精度を極めるためにはトイレットペーパーのような2インチテープを直接切って貼り合わせることでは無理がきていた。

当時、米国の軍用レーダーが主応用分野であったデジタル信号処理をオーディオ分野に転移すべく、また日本ではまだ理論レベルでしかなかったデジタル信号処理をオーディオにおける実務技術として実用化すべく、文献として発表される論文にはくまなく目を通し、休暇を取っては米国の有名大学で専門書籍を買い込んで日本に持ち帰り、それらを読んで実現化への道を探るというとてつもなくハードだが実りの多い日々の中でスタジオ全デジタル化の夢は現実のものになりそうな視野に入ってきた。
一方ヨーロッパでは東ドイツとの共同制作が始まり、北米ではニューヨークでジャズの録音が開始されるなど、DENON海外制作の本格展開の中で技術陣はPCM録音機と共に海外録音現場への出張が日常茶飯事となっていた。

CDの時代になり、市場にCDが急増してきた1984年頃から「デジタル録音点数を増加せよ」という社命に従い、タカユキには数ヶ月ごとにヨーロッパの録音現場と日本の開発現場を往復するハードな日々が続いていた。さらにDENON業務機器担当部門より「欧米でデジタル編集機を売り込みたいので、協力してほしい」との要請が寄せられ、翌年にはドレスデンではゼンパーオパー復興公演ライヴ録音、フランクフルトではインバルのマーラー交響曲全集の録音も開始されるなど、さらに日本との移動が頻繁になっていた。
なにしろ昼間は録音現場技術者で夜は次世代機器開発エンジニアという2足の草鞋を履いたメンバーにおいては、欧州の滞在先では、録音セッションが終わった後、ホテルの自室で設計中の次世代機器の図面を書くというのが日課というまるで眠る時間のないハードな毎日であった。

そのような中、社の上層部は日本のレコード会社として初めての録音編集基地をドイツに設けることを決定する。初代駐在員としての命を受けタカユキは東京を離れデュッセルドルフ近郊にあるDENONのドイツ販売会社(DENON Electronic GmbH)に活動の場を移すことになる。まず、録音活動の拠点として販売会社の倉庫の片隅に小さな編集スタジオを設けるが、当初は一緒に働く部下もいなく、新スタジオ建設とともに全ての出張録音を一人でこなしていた。何しろ年間5か月半を旅先のホテルで過ごすというサーカス団のような生活であったため、自宅の住宅を借りたものの(ドイツの借家には照明器具は殆どついておらず、自ら購入してとり付けなければならない。また店の営業時間は土曜は半日、日曜は閉店)出張が続いて、たまの週末に帰ってきても店が開いていないため、照明器具が買えず、長い間家の中は暗い状態であったとか。(このような殺人的な忙しさのなかでも任務を確実に遂行できたのは、10000km離れた東京本社からの迅速で正確なサポートがあったからだと高橋は述懐する。一人の兵を支えるためには3人の優秀な後方支援者がいてくれるということを実感したという。)

そんな過酷な日々を癒してくれるのがすばらしい仲間とのツアーと録音先での食事である。タカユキが初めて欧州を訪れて以来毎回旅をともにしているデンマークの巨匠ミキサー、ピーター・ヴィルモースは「音の探求」とともに「味の探求」を教えてくれた。中でも毎夏、イタリア、パドヴァ近郊のコンタリーニ宮でのイタリア合奏団の録音後に訪ねるトラットリアの素朴な食事のおいしかったこと!(そのトラットリアは彼の秘密の手帳「タカユキ・ホテル・レストラン・ガイド」でずっと1位を獲得しており、その「食の伝統」は後のDENONチームにも引き継がれた。)

話を本題に進めよう。
1986年夏から開始されたイタリア合奏団のコンタリーニ宮での録音については以前このコラムNo.5ヴィヴァルディ:協奏曲集《和声と創意への試み》No.49ヴィヴァルディ:協奏曲集《調和の霊感》でも取り上げた。日本での《四季》発売時(当初は確か1枚ずつの発売ではなかっただろうか)に宣伝用資料として非常に役立ったのは彼が撮影してくれた会場と演奏風景のヴィデオ映像と写真、そして集めた豊富な資料。中でもヴィデオは写真や図からは掴みにくかった建物全体、中でも「逆さギターの間」の天井の穴の構造が明確に理解できた。VHSテープに大量にコピーし、新聞記者や音楽・オーディオ雑誌編集者、評論家にCDと共に配ったことは言うまでもない。マーラー交響曲全集が録音されたフランクフルト、アルテオパーと共にコンタリーニ宮は名録音会場として評価を得、89年のレコード・アカデミー賞では録音部門での受賞に輝いた。(いうまでもなくマーラー交響曲全集はドイツレコード大賞という最高の栄誉に輝いている。)

ロッシーニ12歳の作品、弦楽のためのソナタ集全6曲はいずれもヴァイオリン2部、チェロ、コントラバスの弦4部でヴィオラ抜きの作品として作られている。どこまでも爽やかで、軽快で、後のオペラを伺わせるメロディやクレッシェンドが至る所に散りばめられた曲はまさに最高の食卓音楽(BGM)と呼べる曲で、ピーター・ヴィルモースの大のお気に入りの曲でもある。そのピーター・ヴィルモースが以前シモーネと録音したエラート盤は、日本コロムビアの名マスタリングエンジニア、保坂弘幸氏をして「ベストの音」と言わしめた録音でもある。今回のデジタルによる新録音ももちろん保坂氏によるマスタリングによってCD化され、日本の音楽ファンに「どこまでも明るくてどこまでもやさしい」イタリア音楽を2枚のCDでたっぷり伝えてくれた。

本来の仕事の録音作業以外でも、プラニング、各種手配、機材整備、運送(自分で運転してアルプス越え!)、越境事務、と多くの困難を一人ないしは二人でクリアしてゆかなければならない録音ツアーは見えないところに大変な苦労と悲哀がある。そのような苦労の末にヨーロッパの名録音会場でのセッションにおいて天上の音の再現に立ちあうことができた時の喜びと充実感は何物にも代えがたい。満足のゆく音が録れたセッション後のおいしい食事は多忙なタカユキを癒したに違いない。

数年後、タカユキの部下として2人のドイツ人トーンマイスター、ウアバッハとベッツが加わる。彼は2人に日本コロムビアの録音ポリシーを伝え、教育し、二人が独り立ちして現地化が図れると判断した1991年ドイツを離れて帰国の途についた。その後日本コロムビア本社に戻り、古巣の録音技術課でさらなる高品質録音を行うための機器開発やマスター・ソニックをはじめとする高音質ソフトの企画、製品化に邁進した。
その後も彼は光ディスクによる高音質化プロジェクト(DVDオーディオなど)に携わる一方で恩師若林駿介氏が60年代初頭に録音した未知のマスターテープを高音質でCD化するなどの業績を残した。
2001年には日本を離れ、ドイツにある欧州最大の光ディスク製造会社のスタジオ部門に転進する。そこでは彼の豊富な知識とあくなき探究心は世界中から集まってくる真のマスターテープの音質向上に向けられた。彼の活動は古巣の日本コロムビアとも関わっており、ケルテスのベートーヴェン交響曲第4番のマスターテープ発見などがその一例である。

今年7月、ドイツにいる「タカユキさん」から「今月で定年退職します」との報が届いた。
熱い録音技術開発競争と大録音プロジェクトで史上最高の繁栄を謳歌したレコード業界の一つの時代に終止符が打たれたという思いが駆け巡った。
インバル/マーラー交響曲第4番で「ワンポイント録音」を成功させ(結果、ワンポイント録音という言葉がクラシック音楽・オーディオ愛好家の間で定着した)、コンタリーニ宮での一連のイタリア合奏団の録音を成功させるなど、日本コロムビアのPCM録音全盛時代を録音技術開発で、録音現場で向上させ、クラシック音楽の本場ドイツで莫大な遺産にスポットを当てる功績でドイツに貢献した彼の今後の人生に大きなエールを贈りたい。 この夏はコンタリーニ宮近郊のレストランを久しぶりに訪れたのだろうか?

(久)


アルバム 2010年9月22日発売

イタリア合奏団/ロッシーニ:弦楽のためのソナタ集
※録音:1987年[PCMデジタル録音]
COCO-73144-5 ¥1,714+税

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アルバム 2010年12月22日発売

ケルテス/ベートーヴェン:交響曲第4番 他
※録音:1960年頃 バンベルグ
COCO-73181 ¥1,000+税

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