この一枚

この一枚 No.88

クラシックメールマガジン 2016年1月付

~マイケル・スターン/ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」他~

1895年10月、ブラームスはチューリッヒに新たに完成したコンサートホールの柿落しの指揮台に立っていた。
ウィーンの建築家F・フェラーとH・ヘルマーの設計によるシューボックス型で客席数1455名のホールの名はトーンハレ。この新しいホールは響きの美しさと豊かさででたちまち有名になった。
スイスを旅行すると地域により言葉が違うことに驚かされる。チューリッヒを中心とする北東地区はドイツ語圏(ドイツ人ウアバッハによると「きたないドイツ語を話す地域」)、ジュネーヴを中心とする北西はフランス語圏、南はルガーノを中心とするイタリア語圏である。トーンハレはドイツ語圏の代表的なコンサートホールで、前に取り上げたインバル/バルトークの録音を行ったヴィクトリアホールはフランス語圏の代表的コンサートホールである。
スイス人の著名なトーンマイスター。イエックリンに「今度トーンハレで録音する予定だ」と相談したとき、「あのホールは聴衆がいない時は響き過ぎるんだ。だからコンサート本番との響きの差を少なくするため、リハーサル時は客席中央に大きな布を垂らして響きを抑えているよ」と話してくれた。
世界的ヴァイオリン奏者アイザック・スターンを父に持つマイケル・スターンは30歳前後に国立リヨン管弦楽団を指揮してその才能を認められた。当時、リヨンの首席指揮者エマニュエル・クリヴィヌと録音活動を行っていた日本コロムビアの制作スタッフにもクリヴィヌからスターンの才能は聞かされていたのだろうか、「バーンスタインに続くアメリカの若き才能デビュー」、そんな宣伝文句と共に俊英スターンと3枚の録音契約を結ぶ。
トーンハレ管弦楽団とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」、同オーケストラとプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲(独奏:ボリス・ベルキン)、また英国ロイヤル・フィルとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(独奏:ベルキン)。
若きストラヴィンスキーがロシアバレエ団の為に作曲した三つのバレエ音楽「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」はクラシック・レコード会社には必須のレパートリーであるが、1980年代、日本コロムビアには「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番」、「ヴェルディ:歌劇《アイーダ》より“凱旋行進曲”」、「ストラヴィンスキー:三大バレエ」などの主要な楽曲の音源が無かった。
1993年2月、チューリッヒ湖がすぐ近くに眺められるトーンハレの楽屋口にデュッセルドルフから陸送された録音機材と録音スタッフが集まった。ホールは19世紀末に建てられたが、建物に外付けされたような最新のエレベータで録音機材は舞台裏のモニタールームまで簡単に運び込まれる。ホールに入ると中央客席に大きな白いカーテンのようなものが天井から垂れ下がっている。これがイエックリンの話していた響き抑制用の垂れ幕だった。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」の聴きどころは音楽の終盤、「地獄の踊り」「子守歌」「最後の賛美歌」でのダイナミックなフル・オーケストラと抒情的なソロ楽器のメロディが繰り広げられる所にあり、各パートが埋もれても、濁ってもいけない。担当するウアバッハ・後藤の録音チームにとって初めてのホール、指揮者、オーケストラという多くの未知数を抱え、手探りの中での録音の腕の見せどころであった。
結果、オーケストラの強奏とグランカッサ(大だいこ)のアタックがホールの豊かな響きで輝きと力強さを増し、子守歌ではファゴットのメロディが美しく聴こえる録音に仕上った。是非CDを聴いていただきたい部分だ。
続く「カルタ遊び」では「プルチネルラ」を連想させられる数々の大作曲家のパロディが楽しいし、「アゴン」では12音技法の作品も親しみやすく感じられる。
残念ながら、若き指揮者のデビューCDは商業的には成功したとは言えず、前述の3枚の録音後は「ペトルーシュカ」も「春の祭典」も録音されることは無かったが、トーンハレの美しい響きに包まれた「火の鳥」はカタログに残った。現在、マイケル・スターンはカンザスシティ交響楽団の音楽監督・首席指揮者として米国を中心に活躍しているが、彼のホームページでのディコグラフィにはこの録音は取り上げられていない。欧米のクラシック愛好家にこの音源をネットからダウンロード・購入できないだろうか。

(久)

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