[この一枚 No.93]〜シェレンベルガー/イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集1、2〜

この一枚

ドイツのDENON録音チームにとって、録音の合間にその録音に用いたマイクロフォンの種類、間隔、マイクスタンドの位置、高さ、角度などの録音データを「プロトコル」と呼ばれる録音ノートに細かく記載することは業務報告として必須であった。 インバル/マーラー交響曲全集を録音したフランクフルト・アルテ・オーパー、フィルハーモニア・クァルテット・ベルリンの録音会場、西ベルリンのジーメンス・ヴィラ、ローザンヌ室内管弦楽団の録音会場スイス・ラショー・ド・フォンのムジカ・テアトル、ダルベルトのシューベルト・ピアノ・ソナタ全集を行ったコルソー、そしてイタリア合奏団のコンタリーニ宮などの「プロトコル」は次々更新され、次回の録音前には前回の「プロトコル」をコピーし帯同していた。
この「プロトコル」を参考にしてマイクロフォン・セッティングを行えば、もし録音エンジニアが代わったとしてもサウンドの統一が保たれることになる。

1987年8月にコンタリーニ宮で録音されたシェレンベルガー/イタリア合奏団:イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集の録音はピーター・ヴィルモースと高橋幸夫、1992年7月のイタリア・バロック・オーボエ協奏曲集2の録音はホルガー・ウアバッハが担当している。あえて言えば、2枚目のほうが響きが多く、弦に厚みが感じられるが2枚のサウンドは統一されており、違和感は無い。永年この会場で優れた録音を行ってきたヴィルモースのノウハウがウアバッハにうまく引き継がれている。

日本では1971年に封切られたイタリア映画「ヴェニスの愛」の中に主人公のオーボエ奏者が「マルチェッロ/オーボエ協奏曲第二楽章」を録音するシーンがあるが、この映画の世界的ヒットとバロック音楽ブームの中でこの曲は「ヴェニスの愛」の副題として広く知られ、オーボエ奏者の必須レパートリーとなっている。また、レコード会社はこぞってこの曲の録音を行ったが、日本コロムビアでも1975年1月デンマークの室内管弦楽団ソチエタス・ムジカによる「バロック名曲集」の中でPCMデジタル録音が行われた。

1980年からベルリン・フィルの首席オーボエ奏者となったシェレンベルガーは1981年ジーメンス・ヴィラでの「モーツァルト:オーボエ四重奏曲」録音でDENONレーベルにデビューする。以降85年、87年にソロとして来日した機会に尚美学園バリオホールで2枚の国内録音を行い、さらに87年夏には世界でも有数の美しい響きを持つイタリア、コンタリーニ宮においてイタリア合奏団と「イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集」を録音する。
コンタリーニ宮に響き渡るシェレンベルガーの甘いオーボエの音色とイタリア合奏団のサウンドをヴィルモースと高橋が録音したこのアルバムは発売時から「名演奏・名録音」として音楽・オーディオ各誌に絶賛され、国内のみならず、世界的にもベストセラーとなった。

以降、シェレンベルガーはソリストとして、夫婦共演(マルギット=アンナ・ジュス:ハープ)で、またベルリン・フィルとウィーン・フィルのソリストで作ったアンサンブル、ヨーロッパ・バロック・ソロイスツ (シュルツ、シェレンベルガー、トゥルコヴィッチ、他)の一員として次々にDENONに録音を行っていく。
1987年はまだ高橋一人がDENONヨーロッパ録音要員として西ドイツ・デュッセルドルフに駐在し、東奔西走していたが、少しずつドイツ人トーンマイスターを雇用し、ウアバッハ、ベッツの3名で録音チームを構成していた。それに伴い、録音担当もヴィルモースからドイツ人2人に世代交代していった。

1992年に再びシェレンベルガーとイタリア合奏団がコンタリーニ宮に集まり、「イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集2」を録音したが、前回のアルバムとサウンドの統一を計るのに重要な役割を果たしたのがウアバッハがコピー、帯同した87年の「プロトコル」だった。

90年代半ば、世界的なクラシックCD市場の不況を受けて日本コロムビアはドイツ録音チームを解散し、ウアバッハとベッツはフリーのトーンマイスターとして独立する。
それまでのDENONサウンドのノウハウが詰まった「プロトコル」はその後どうなっただろうか、彼等が保存してくれただろうか?

(久)


アルバム 2010年8月18日発売

イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集
録音:1992年[PCM デジタル録音]
COCO-73106 ¥1,143+税

★商品紹介はこちら>>>


アルバム 2007年12月19日発売

イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集2
録音:1992年[PCM デジタル録音]
COCO-70898 ¥1,000+税

★商品紹介はこちら>>>

[この一枚] インデックスへ

ページの先頭へ