この一枚

この一枚 No.97

クラシックメールマガジン 2017年1月付

~ウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブル/南国のバラ~

「コンニチワ」とウィーン中心街の小さなホテルのロビーににこやかな笑顔で現れたのは元ウィーン・フィルの理事長、ウィルヘルム・ヒューブナー氏であった。
1986年春、フランクフルト、アルテオーパーでのインバル/マーラー:交響曲第6番「悲劇的」の録音に立ち会った足で向かったのはウィーン。有名な「黄金のホール」(ウィーン楽友協会大ホール)の見学が目的だったが、当時日本コロムビアの社内には楽友協会へのコネクションが少なかったので、大学時代の恩師W氏に相談し、ヒューブナー氏を紹介して頂いた。
ヒューブナー氏は楽友協会の裏口を顔パスで入り、無人の大ホールに案内してくれた。
まず驚いたことはステージが予想以上に狭いことだった。この狭さではマーラーのような大編成のオーケストラ曲を演奏する場合は奏者と譜面台と楽器、それだけで一杯で、さらにマイクスタンドを置くスペースは無いだろうな、と考えながら見上げると空中に放送用、録音用の多くのマイクロフォンが吊り下げられていた。
ステージや客席の様々な場所で美しい響きをチェックした後は指揮者室に案内され、「ここにカラヤンがいたのだよ」と話してくれた。さらにその足でウィーン国立歌劇場の舞台裏を案内してくれた。この世界最高のオペラハウスの舞台裏はコンサートホールとは違って舞台の奥が舞台とほぼ同じ面積を持ち、舞台セットが組まれていることは建築音響で学んでいたが、実際に大きなセットが奥に置かれているのを見るのは初めてだった。その他に衣装室、食堂などの設備をヒューブナー氏は楽しそうに案内してくれた。(この経験は数年後チューリッヒ・オペラハウスでの録音で舞台裏を駆け回るのにとても役立った)
この、ヒューブナー氏の初対面の相手への暖かく丁寧な応対は私の中で「ウィーンの人は親切」とのイメージを植え付けたが、その後インバル/ウィーン交響楽団のショスタコーヴィチ交響曲全集録音やウィーン室内合奏団の録音で度々ウィーンを訪れることになっても大きく変化することはなかった。

1970年代から80年代、全国各地には様々な有力レコード店があり、その店には各音楽ジャンルに一家言持つ店員がいて、店のディスプレイや一押し商品を取り仕切っていた。各レコード会社はそんな店員を味方につけるべく、年数回ディーラー説明会兼懇親会を行っていた。
日本コロムビア洋楽部でも「クラシック研究会」と題して全国のレコード店の有力者を東京に集め、原宿の東郷記念館などで半年分の新譜のプレゼンテーションを行い、制作・営業担当者と有力店員との交流を深めていた。
1987年の研究会は前年に鮫島有美子の「日本のうた」の大ヒット、インバル/マーラー:交響曲全集がレコード・アカデミー賞録音部門に輝くなどでCDセールスが好調な時期に開かれたが、その会場に静岡のSレコード店のクラシック担当S氏が録音の企画を携えて参加した。
「私はウィーンの人々と音楽の暖かさに魅せられ、ウィーン・フィルのメンバーと親しくしているが、ヨーロッパで現地録音と販売を積極的に行っているDENONレーベルで彼らのアンサンブルを録音し、CD化すればきっと売れると思う。当店チェーンでは売る自信がある」おそらくそんな提案だっただろう。
この「ウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブル」の企画にまず営業担当者が乗って多少の制作費をかけても利益の出るように販売見込み数を数千枚とした。そして営業に背中を押される形で制作陣もインバルやイタリア合奏団に続くヨーロッパ録音企画として進めた。
1988年4月日本コロムビアのヨーロッパ録音スタッフ:ディレクター:馬場、録音:ヴィルモース、技術:高橋はウィーン、バウムガルテン・カジノにPCM録音機材を持ち込んだ。
ウィーンには今回のバウムガルテン・カジノやウィーン室内合奏団の録音で使用したカジノ・ツェーガニッツなど録音スタジオとしても使われているダンスホールが幾つもある。いずれも漆喰の天井と木の床のホールで、小編成の音楽の録音に適している。また、1976年にスメタナ四重奏団の録音を行ったチェコ、プラハのジシコフ・スタジオも同じようにダンスホールを録音スタジオに改修したものだった。
ヴァイオリン2丁、ヴィオラ、コントラバスという4人が集まったウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブルは「ビーダーマイヤー時代(1815年から1848年頃まで)」に活躍したヨハン・シュトラウス1世やヨーゼフ・ランナーが作曲したワルツ、ポルカを主に、ヨハン・シュトラウス2世などのシュトラウス・ファミリーの音楽までレパートリーとした弦楽アンサンブルで、全員ウィーン・フィルのメンバーであった。
このウィーン情緒たっぷりの演奏と録音担当のヴィルモースが捉えたコントラバスが奏でる低音と、そのリズムに支えられたヴァイオリンが奏でる心地よい甘い音色はウィーン独特の「ゲミュートリッヒカイト(Gemutlichkeit):なんともいえない快さ」の音楽をCDに詰め込むことに成功した。マスターテープを聴いた営業担当者は店頭用「ウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブル・パンフレット」をカラー4ページで作成し、試聴音源(当時はカセットテープ)と共に全国のレコード店に配布した。また前述のS氏は来店するお馴染みの音楽ファンに猛アピールして売り捌いた。
さらに音楽紙誌とオーディオ誌双方から演奏・録音共に絶賛されたことで企画段階で営業が見込んだ見込み数を上回る結果となり、早速次回の録音が決定した。
ウィーンとその音楽の心地よさに魅せられたS氏の熱意が日本コロムビアの制作・宣伝・そして何よりも営業担当者を動かし、ユニークなカタログをもたらした。
毎年元旦に黄金のホールで開かれる華やかなウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートもおせち料理のようで楽しいが、暖かな雰囲気が感じられるこのアルバムをコーヒーと生クリームたっぷりのケーキと共に聞くとそこはもうウィーンのカフェに変わる。 そういえば、ヒューブナー氏は最後にシュテファン大聖堂近くのカフェ・ハヴェルカに案内してくれたが、そこはまるで戦前のウィーンにタイムスリップしたような雰囲気が漂うカフェだった。

(久)

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