「レコード芸術」などで活躍する気鋭の評論家、広瀬大介さんが、オペラに登場する日の当たりにくい脇役になりきり、そのオペラの魅力と鑑賞のツボを押さえた作品解説、対象映像の演出について語る、世にも不思議ななりきり一人称ガイド。
これぞ自己言及のパラドックス!ねじれの向こうに真実がみえる!
1973年生。一橋大学大学院言語社会研究科・博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『リヒャルト・シュトラウス:自画像としてのオペラ』(アルテスパブリッシング、2009年)、『レコード芸術』誌寄稿のほか、NHKラジオ出演、CDライナーノーツ、オペラDVD対訳、演奏会曲目解説などへの寄稿多数。
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最近、無味乾燥な歴史書の代表格『徳川実記』に現代語訳が登場しはじめ、うれしさを噛みしめつつも、昔苦労して読んだのは何だったのか、と一抹の寂しさも感じているところ。好きな食べ物は相変わらず甘いチョコと甘い梅酒。
《西部の娘》とは
《ラ・ボエーム》(1896)、《トスカ》(1900)、そして《蝶々夫人》(1904)と、立て続けに超名作を作り続けたジャコモ・プッチーニ。その調子で次々と名作を…、と意気込み、1907年にニューヨークを訪れた作曲家は、次作の題材をアメリカにすることを決意する。デイヴィッド・ベラスコの戯曲『黄金の西部の娘』を題材に、新作を世に生み出すべく、営々と作曲を続けていくのだが、1909年、世に有名な「ドーリア・マンフレーディ事件」が勃発し、作曲が半年中断してしまう。その顛末は、是非6月公開の映画『プッチーニの愛人』でご確認を。翌10年の初演はもちろんアメリカはメトロポリタン歌劇場。かのエンリコ・カルーソーがジョンソンを歌い、大成功だったと伝えられる。
酒場『ポルカ』。看板娘ミニーがディック・ジョンソン、実は大泥棒ラメレスとともに旅立ってしまった後、あれほど賑わっていた酒場には鉱夫たちもちらほらとしかやって来ない。ミニーとともに酒場を切り盛りしていたニックも気落ちしたままで、酒場全体が暗い雰囲気に包まれている。結果的にミニーに振られてしまい、恋仇に引導を渡すこともできなかった保安官ジャック・ランスは、ミニーが旅立った日以降、酒場に姿を見せない。
ニック(以下N): …まったくやってらんねえよな。あの日以来、客足は激減だ。そりゃあ看板娘がいなくなりゃあ、みんな酒場に来る気も起きなくなるのもわかるけどよ、ここまで手のひらを返したみてえに来なくなるってのは、いくらなんでも行き過ぎじゃねえのか? 片手で数えられるくらいしか客がいねえってんだからな。まあ、俺も売り物のウイスキーに昼間っから手をつけちまってるし、人のことは言えねえか。
そこへやはり気落ちした様子のソノーラがやってくる。ソノーラもかつてより酒場に出入りしていた鉱夫たちの一人で、やはり熱心にミニーに求愛して、よく保安官ランスと言い争っていた。ソノーラも、ニックも無言。目線だけを交わし合い、いつもの席に座るソノーラ。ニックは何も言わずにストレートのウイスキーが入ったグラスをソノーラの目の前に置く。しばらくウイスキーのグラスを見つめ、大きなため息。
ソノーラ(以下S): だめだ、今日はこんな強い酒は飲めねえ。水割りにしてくんねえかな。
N: 水割りだって?! 珍しいこともあるもんだ。そういえば、ディック・ジョンソンが水割りを頼んだとき、俺たちは散々馬鹿にしたもんだなあ。
S: そうよ、野暮の骨頂、ってな。でも今日はそんな奴の飲み方を試してみたくなったんだ。
N: まあ俺たちも、度数の強い酒を、粋がって無理して飲んでるからな。
S: 鉱夫連中なんて、自分をよく見せようとして、背伸びしてる奴ばかりかもしれねえ。男勝りなミニー一般的に、恋多きプッチーニ先生は、一つのオペラを作曲しているときは、そのヒロインに似た女性を(奥さんがいるにもかかわらず)愛していたと言われています。当時「愛人」と噂されたお手伝いさんのドーリア・マンフレーディは、非常に心優しき、か弱き女性。およそミニーとは正反対の性格です。プッチーニ先生、本当にこのドーリアを愛していたのか疑問になりますよね。では、彼が愛していた女性は、他にいたのでは…?続きは映画『プッチーニの愛人』で!は、そんな俺たちの虚勢はすぐに見破ってただろう。自分に素直で、飲みたいものは飲みたい、好きな女は好き、とまったく飾らねえ「サクラメントのジョンソン」に、ミニーもコロッといかれちまったのかな。
N: まあな、泥棒とはいえ、大勢の子分を束ねる親分だもんな。それなりの人間的魅力もあっただろうよ。俺たちみたいな、くだらねえ男ばっかりゴマンと見てたミニーからしたら、ジョンソンの「器(うつわ)」の違いはすぐに見破っただろうな。
ニックが作り直した水割りを一口含んだ後、あたりを憚るように見回し、声を潜めるソノーラ。
S: ジョンソンに比べたら、あの保安官殿は、本当にいけすかねえ野郎だ。
N: ジャック・ランスか。さすがのアイツも、最近はとんと顔を見せねえな。あそこまで面目をつぶされちゃあ、俺たちに合わす顔もねえ、ってわけか。ランスももとは泥棒だったてんだろ。カタギになれたのが、そんなにうれしかったのかね。
S: アイツは保安官とか言いながら、いばりくさるのが気にくわねえ。いつもミニーに色目ばかり使いやがってよ。そりゃ俺だって、ミニーに結婚してくれって口では言ったけど、あんな可愛い女が俺と夫婦になってくれるなんて、心の底では思っちゃいねえよ。それなのに、あの野郎は身の程もわきまえずにミニーを本気で口説いて、しかもジョンソンだけじゃなくて俺たちにまで、ムキになって妬いてただろ。大人げねえよな。
N: 知ってるか? ランスはミニーの家にまで押しかけたんだ。
S: 何だって? そりゃホントか?
ひそひそ声で喋っていたが、だんだん気が大きくなり、つられて声まで大きくなるニック。周りの客も興味深そうに二人の話を聞いている。
N: ランスに言われてな、雪降る夜に、逃げたジョンソンを探すのを手伝えって、無理矢理俺も駆り出されたんだ。ミニーの家から出てきた奴に、ピストルで怪我を負わせたまでは良かったが、結局ミニーが命がけで奴を庇ったんだと。ランスは言いたがらねえが、どうやらジョンソンを巡る賭けに、奴は負けたらしいぜ。第2幕の幕切れ。まるで二人の心臓の鼓動を描写するかのような、コントラバスのオスティナートが印象的。
S: 賭け? 奴の好きなポーカーでか?
N: そうよ。ミニーが勝ったら、ジョンソンは自分のもの。ランスが勝ったら、ジョンソンを引き渡し、ミニーはランスのものになると。
S: メチャクチャだな。はっきり言って、スカルピア《トスカ》です。歌姫トスカを、権力にものを言わせて手籠めにしようとする卑劣な警視総監です。おや、この方もランスと同じ警察関係のようで。と同じか、それ以下じゃねえか。
N: まあそう言うな。確かにいけすかねえ奴で、ずっと店の一角は占領されてたけど、ランスが連れてくる客のお蔭でこの店がもってた、っていうところもあるからな。
極悪非道なスカルピアと一緒にしちゃあ、いくらなんでも可哀想だ。 でな、どうやらそのときの賭けには負けたからって、その場は引き下がったらしいんだ。当然、ニックもソノーラも、ミニーがいかさまをして、ポーカーに勝った顛末までは知らないわけです。賭けの結果には忠実なんて、ランスらしい。可愛いじゃねえか。でも、結局数日後にはとっ捕まったジョンソンを縛り首にしよう、っていうんだからな。
S: タチがわりいや。コンプレックスの塊だろ。何もかもジョンソンに劣ってる、って認めてるようなもんじゃねえか。だけどよ、ジョンソンがいよいよ縛り首になろうっていう前に、朗々と歌いあげた「ミニーに伝えてくれ。俺は遠い地で自由になったと」っつうアリアには泣けたよ。これぞ漢(おとこ)だと思ったな蝶々さんも真っ青だ。もちろん皆様もご存じ、《蝶々夫人》第2幕冒頭で歌われる「ある晴れた日に」のことを言っているものとおもわれます。ここぞ、という聴かせどころのアリアでプッチーニが得意としたのは、弦楽器全体で歌の旋律をなぞることと、曲全体を大きなクレッシェンドとして構成するところ。この仕掛けで、聴き手の涙腺を緩ませよう、という作戦です。単純ではあるのですが、常に大成功をおさめるんです。あ、もちろん歌手が素晴らしい歌を聴かせたとき、ですけどね。あん時の、ランスのおどおどした顔ったらなかったぜ。早く殺しちまわねえと、って焦ってたからな。本当に肝っ玉の小せえやつだ。
N: お前さんがあそこで、後から駆けつけて体を張ってジョンソンを護ろうとしたミニーの願いを叶えてやったのは、本当に格好良かったぜ。
S: やめてくれよ。がらにもねえことをしちまったと、今でも恥ずかしいんだよ。
N: 何もミニーを好きだったのは、ランスの野郎だけじゃねえ。お前さんも、鉱夫仲間も、みんなミニーがが好きだったんだ。俺にとったって、ミニーは長年一緒に働いてきた良き相棒だ。
S: ミニーがランスに取られるよりは、心から愛してるジョンソンと一緒になってくれた方が、俺としても嬉しいぜ。まあ、やっぱり寂しいけどな。
ひとしきり笑い合った後、残ったウイスキーの水割りをグッと飲み干すソノーラ。だが、その顔は苦い薬でも飲んでしまったかのように歪んでいる。
S: …俺たち、本当にミニーが好きだったのかな
N: なんでえ、辛気くさい顔で、突然何を言い出すかと思えば。
S: いや、ミニーを恋人として好きだったのか、って訊かれるとな。何となく不安になるんだよ。ホームシックにかかった奴がいただろう。みんなでカンパして故郷に帰してやった奴が。アイツなんかは、ミニーを母親のように慕ってたもんな。アイツにとっては、ミニーは母親代わりだったんじゃねえかな。
N: なるほど。そう言われてみれば、思い当たる節もあるな。生死の境をさまよう病をわずらった奴は、熱にうなされながら、必死に看病したミニーを妹だと思い込んでた。アイツはミニーを妹だと思いたがってたんだろう。
S: でも、それは、常に「誰かの代わり」だもんな。俺たちの思いなんて、ミニーにとってみれば大きなお世話だったんだろうか。ミニーは俺たちの母親であり、姉妹であり、娘であり、要するに家族だった、ってことだ。でも、恋人や妻、つまり「女」ではなかった。
N: そうか、だからこそ、初めて「女」として扱ってくれたジョンソンに、ミニーは心惹かれちまった、ってことなのか。
S: 「さらば、さらば、Addio, addio」と歌いながら二人が去って行く最後の場面も、俺たちに「しっかりしろ、独り立ちしろ」って言ってるように聞こえたぜ。あんなに心に染みる幕切れプッチーニ先生が作曲するのは珍しいんじゃねえかな。まあ、確かに《トスカ》や《蝶々夫人》のような劇的な幕切れに比べると穏やかですが、最後の幕では同じアメリカが舞台となる《マノン・レスコー》も、寂しい終わり方でしたね、そういえば。偶然でしょうか。
N: お前も、ジョンソンの真似なんかして水割り飲んでる場合じゃねえぞ。
S: じゃあ、流行のハイボールにでもして、新しい女を見つけっか。おいニック、早く次の可愛い子、この酒場に連れてこいよ。
N: ハイボールって、俺たちの時代にあったっけ…。
第11回・了
プッチーニ:歌劇《西部の娘》
ラ・スカラ・コレクション
スカラ座黄金時代を築いた、リッカルド・ムーティ音楽監督時代の映像。イタリア・オペラ界の頂点に長年君臨した、ムーティの名采配ぶりを目の当たりにすることができます。いずれも、世界最高峰のオペラ・ハウス、ミラノ・スカラ座ならではの、スター歌手、名指揮者・演出家が勢ぞろいの舞台。イタリア・オペラの栄華を感動とともに体験できる珠玉のコレクションです。
1991年、ミラノ・スカラ座