「愛怨」によせて
瀬戸内寂聴
物書きを職業にするようになってから、早くも五十年が過ぎてしまった。
七十歳の終り頃から、予想もしなかった舞台芸術の仕事が舞いこんで来るようになった。
先ず「源氏物語」の新作能の台本を依頼され「夢浮橋」を書き、成功した。
つづいて歌舞伎の「源氏物語」の台本も書かせてもらい、これも興行的に大成功を収めて、大谷竹次郎賞をいただいた。狂言も二つつづけて書いた。
どの場合も、私の周囲の親しい人々は口を揃えて反対した。これまでどうにか作家として大過なく歩んできたのに、このような晩年になって、全く未経験の冒険をして、失敗したら晩節を汚すことになると心配してくれるのであった。
老いてますます好奇心の盛んになってきた私は、すべてを引き受け、未知の世界に挑戦した。
そして八十歳を迎えた頃、ついにオペラまで書いてしまった。同郷徳島出身の作曲家三木稔氏からの誘いであった。三木さんは世界的に有名な作曲家で、日本の各時代から題材をとった新作オペラを手がけられ、すべて成功を収めていらっしゃる。現代から神代まで書かれたが、八世紀奈良時代がないので、それを書けば生涯の夢が果せると、若々しい情熱をこめた口ぶりで話される。
「私はガンにかかっています。余命がないのです。これを作らないと死ねない」
と物騒なことまでおっしゃるので、私は悲愴な気にまきこまれ、つい引き受けてしまった。その前に三木さんがアメリカで発表されたオペラ「源氏物語」を東京で観て、私はすっかりファンになっていたからでもあった。歌手はすべて外国人なのに、何の異和感もなく、実に美しくまとめられていた。
「奈良と唐を合せて書いて下さい」
といわれた時、若き遣唐使の姿が浮んだ。私の頭の中では次第に物語りが拡がっていく。
三木さんをはらはらさせ通して、ついに書きあげた台本に「愛怨」と題をつけ渡したあと、達成感で、今死ねば最高に幸せだと思った。
新国立劇場でその初演を見た時の感動は、私の生涯で最も華やかで鮮烈な想い出になった。自分の台本だとは思えない舞台の出来栄だった。演出の恵川智美さんは、私の台本をこれ以上ないまでに豊かに肉付けしてくれていた。
生れてはじめて舞台から憧れの指揮者大友さんに手を取られカーテンコールを受けた。長生きも悪くないと、私は並んだ三木さんの顔を仰いだ。ガンはどこへ消えたのか、若々しい笑顔で三木さんも観客に晴れ晴れと応えていた。
(2008年に発売のDVD、TDBA-0138〜9ブックレット巻頭文より)
《愛怨》DVD発行を感謝して
三木 稔
《愛怨》世界初演のライヴがDVDになって世界に広まる。グランドオペラ上演にかかる経費と労力を考えたら、今後この形での頒布を上演計画に必ず織り込んでおかなければなるまい。私は、国際的な拡がりを画策しつつ33年を要して書き進んできた『三木稔、日本史オペラ8連作』が、この《愛怨》によって完成したという特別の充足感を持っているが、充分な数の上演がされる保証はないというもどかしさも併せ持っている。DVD化という方法で少しでも前進することを祈る思いである。
《愛怨》は、中国(唐)との間で最良の文化交流を持った時代でありながら、これまで愛される作品に乏しかった8世紀奈良時代を描く、最も華々しい文芸作品になったと確信している。新国立劇場の委嘱を受けた時、私がこの方と信じて台本をお願いした瀬戸内寂聴さんの才能あったればこそ、また極めて特殊なノウハウを必要とするオペラ作曲中、最大限の自由を許してくださった大家の度量をお持ちだったからこそ、流れるように奔放で意外性に満ちたグランドオペラとしての完成に持っていけたと回顧している。
私はこの大先輩に「奈良時代、遣唐使、初期仏教、琵琶」をキーワードとする勝手なお願いをしたが、《源氏物語》の日本初演にお招きした折、ごらんになった寂聴さんは「オペラは愛だ」と確信され、大きなチャーミングポイントとなさった。IDセリー (Identity series) など、私独自のオペラ構成原理の特定や、さまざまなアリアの創出、琵琶秘曲《愛怨》など他に例の無い器楽部分の挿入等、秘術を尽くしてオペラの魅力を生み出すのは、老境の作曲家にとっても痛快な数年であった。
作曲中突然発生した日中間の諸問題もあって、この作品に歴史オペラとしての必然性を深めたり、登場人物の人間の内奥を抉り出したりする作業を並行して行わざるを得なくなったが、それも逆転の発想で克服し、05年7月1日《愛怨》は完成した。他人の喜びを喜びとする「愛」がこの完成を導いてくれた。新国での世界初演は、スタッフ・キャストたちから充分に「愛」のお返しを受けた。落合良さん、DVD制作チームのご努力に今はただ頭が下がるばかりである。
(2008年に発売のDVD、TDBA-0138〜9ブックレット巻頭文より)