商品情報
インフォメーション1.Yesterdays(イエスタデイズ)
2.If I Were A Bell(イフ・アイ・ワー・ア・ベル)
3.Moon River(ムーン・リヴァー)
4.Warm Valley(ウォーム・ヴァレー)
5.Joash(ジョシュ)
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エルヴィン・ジョーンズについて
1927年9月9日アメリカ合衆国ミシガン州ポンティアック生まれ。
ピアニストのハンク・ジョーンズ、トランペッターのサド・ジョーンズとの3兄弟の末弟として育つ。1940年代後半に軍役に服した後、1950年代前半をデトロイトで活動。1955年にニューヨークへ移るとマイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズらと共演した。そのスタイルは一聴すると複雑で難解に聞こえるが、実はとても理路整然としている。基本は無論主流派にあるが、そこへ独自の解釈(リズムの再分割など)を加え、ドラムセットという楽器の表現力の幅を機能的な意味でも大幅に広げた。1960年から1966年初頭にかけてジョン・コルトレーンのグループで活躍。複雑なリズムを難なく叩くテクニックで、コルトレーンから「君の代わりはいない」と絶賛された。そしてそのスタイルは、彼独特の拍の捕え方、つまり、「うねり」と密接な関係があり、これが無いとこのスタイルは成り立たないと言われる。平たく言えば、このスタイルはこの人にしか出来ない、という事だ。また、1960年代にはブルーノート・レーベルを中心にウェイン・ショーターやグラント・グリーン、ラリー・ヤングらのレコーディングに参加、歴史的名盤を数多く残している。以降、自身のグループ「ジャズ・マシーン」を率いての活動が中心となる。
1966年に来日した際、トラブルによってしばらく帰国できなくなるが、その時に日本人ミュージシャン達から支援を受け、それを機に親日家となる。妻は日本人のケイコ・ジョーンズで来日の機会も多く、辛島文雄など多くの日本人プレイヤーを、ジャズ・マシーンのメンバーとして迎え入れた。晩年は毎年年始に新宿ピットインで公演を行うのが定番になっていた。
2004年5月18日、心臓病により死去。
微妙に移り変わるアクセント、リズムによる強勢の変化、見事なほどに淀みのないソロイスト達のサポートにかけては、最も定評があり、またリーダーとして、数多くの輝かしいテナー・サックス奏者を、そのグループから世に送り出しているエルヴィンが、本アルバムではエルヴィン個人の役割は控え目で、時には潜在的とも言えるほど、そしてテナー・サックスがない、ピアノとベースとのトリオによるアルバムに挑んだ。「ハート・トゥ・ハート」というこのアルバムの表題の裏には、「78年に日本に行った時、数簡所でMCを務めてくれた人が、英語はあまりしゃべらなかったけれども、僕だって日本語はあんまりしゃべらないから、僕達は互いの感性でコミュニケイトしたんだよ。それを彼が称して、ハート・トゥ・ハートといったんだ。その概念は、まさしく僕が感じてたことなんだ。」という逸話がある