マンレイズ / パンクファンクルーツロック商品情報

マンレイズ / パンクファンクルーツロック

マンレイズ / パンクファンクルーツロック

[ALBUM] 2011/07/27発売

マンレイズ / パンクファンクルーツロック

COCB-60013 ¥2,619 (税抜価格 ¥2,381)

  • 1.Over My Dead Body
    オーヴァー・マイ・デッド・ボディ

  • 2.I C U in Everything
    I C U イン・エヴリシング

  • 3.All I Wanna Do
    オール・アイ・ウォナ・ドゥ

  • 4.Closer To Me
    クローサー・トゥ・ミー

  • 5.Lies, Lies, All Lies
    ライズ、ライズ、オール・ライズ

  • 6.Get Action
    ゲット・アクション

  • 7.The Edge of the World
    ジ・エッジ・オブ・ザ・ワールド

  • 8.Dreamland
    ドリームランド

  • 9.Fire
    ファイア

  • 10.I, Superbiker
    アイ、スーパーバイカー

  • 11.Bittersweet
    ビタースウィート

  • 12.Dogbite
    ドッグバイト

  • 13.13. Low- SyFy on the Downlow Remix
    ロウ – SyFy オンザ・ダウンロウ・リミックス*

  • 14.The Edge of the World (acoustic version)
    ジ・エッジ・オブ・ザ・ワールド(アコースティック・ヴァージョン)*

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* ボーナストラック

Phil Collen フィル・コリン(G& Vo)
Paul Cook ポール・クック(Dr)
Simon Laffy サイモン・ラフィ(B)

日本コロムビアが満を持して立ち上げる、ハード・ロック&オルタナティヴ専門の洋楽レーベル
≪Incubator(インキュベーター)≫第13弾リリース!


Def Leppard のリード・プレイヤーとしてのみならず、コンポーザーとして、そしてシンガーとしても非常に高い評価を受けているフィル・コリン(Phil Collen)。Def Leppard 加入以前のPhil が在籍していた、グラマラスなルックス、コンパクトかつシャープな楽曲で日本で大人気を博したGirl のベース・プレイヤーサイモン・ラフィ(Simon Laffy) 、そして元祖パンク・ロッカーとして世界中の話題を一人占めしていたSex Pistols のドラマー、ポール・クック(Paul Cook) の3人が結成したユニット、マンレイズ(Manraze) のセカンド・アルバム。
Def Leppard の音楽性を超越した、さまざまなスタイルの楽曲を書きためていたPhil にSimon がアルバム制作、自らの参加を助言して始められたこのユニット。ハード・ロックは勿論、レゲェ、ダブ、ファンク、パンクといったそれぞれのメンバーが持っている様々なスタイルを融合させ、ミックスしたその音楽性は正に無限大。更に、Def Leppard ではあくまで“歌を引き立てる”役割に徹している感のあるPhil が久々に見せるテクニカル、かつワイルドなソロ・プレイも満載。敬愛するJimi Hendrix のカヴァー、“ファイア”や、スリリングなインスト“ドッグバイト”など、Phil のギター・プレイヤーとしての魅力も再認識できる。

Phil Collen / Manraze Bio:

1957年12月7日生まれ。従兄の影響でギターを始める。様々なローカル・バンドで活動した後、Girl に加入。Girlは1978年にオランダのアムステルダムで出会ったフィリップ・ルイス(Philip Lewis / Vo)とジェリー・ラフィー(Gerry Laffy / G / サイモンの実兄)が英国に戻って、1979年に結成された。メンバー・チェンジを経て、Dumb BlondsというバンドにいたPhil、Simon、さらにデイヴ・ゲイナー(Dave Gaynor / Ds)を迎え、アルバム『SHEER GREED』(1980年)でデビュー。メンバー全員がグラマラスなルックスを誇る一方、楽曲はハード・エッジな部分と、ポップな要素を共存させており、当時のイギリスで巻き起こったヘヴィ・メタル・ムーヴメントの中では非常に異端だった。Girl がイギリスと日本以外のマーケットであまり活発な活動をできなかった事にフラストレーションを重ねていたPhil に一大転機が訪れたのは、同郷のバンド、Def Leppard が3作目のアルバム“Pyromania”(邦題:炎のターゲット)を作っていた最中だった。Def Leppard はデビュー当時から、アメリカでの成功にとにかくこだわり続け、それが理由でイギリスでは“身売りしたヤツら”と心ないファンからバッシングを受けていた。それでも、地道にツアーを続け、セカンドの“High & Dry ”をリリースしたあたりから、徐々にアメリカでの土台を築いて行く。が、ギター・プレイヤーのピート・ウィリス(Pete Willis)が、過度のアルコール摂取でアルバム制作中にもかかわらず首に。途方にくれたDef Leppard のメンバーは、その穴を埋められる有能なギタリストを急遽探す必要があった。そこで、白羽の矢を立てられたのがPhil だった。快くそのオファーを受けたPhil 、その“あくまでも”楽曲を引き立てるギター・アレンジ”の才能はDef Leppard で見事に開花。シングル“Photograph”は、ちょうどアメリカでMTV が大々的な認知をされる時期に重なったこともあり、印象的なビデオもあいまって大成功に。“Pyromania”アルバムは最終的に全米のみで1,000万枚を売り上げるメガ・ヒットを記録する。ちなみにBillboard誌で、彼らは2位止まりだったが、それを阻んだのは、あのマイケル・ジャクソン。 84年にドラマーのリック・アレン(Rick Allen) が交通事故で左腕を完全に切断するという大怪我を負ったにも関わらず、彼をバンドの正式メンバーとして残し、彼専用のドラム・キットを作り、その回復を待ってニュー・アルバムの制作を行う。87年にようやく完成した“Hysteria”は、何とリリースから1年かかってBillboard 念願の1位を獲得。さらにアルバムからは7曲ものシングル・ヒットが生まれ、結果的に全米でのセールスは1,300万枚を超え、世界中で2,000万枚を売り上げる。過去に2作連続して1,000万枚以上のセールスを記録しているのはVan Halen,Led Zeppelin,Eagles, Pink Floydのみ。
しかし、91年にバンドはまたも悲劇に。オリジナル・メンバーだったスティーヴ・クラーク(Steve Clark)がアルコール、ドラッグの過剰摂取で死去。それを乗り越えたのはPhil のギター・プレイに負うところが大きかったと言われている。92年には“Adorenalize”をリリース。これも世界で700万枚というモンスター・セールスを記録した。
Def Leppard は、その後もコンスタントにアルバムをリリースし、ツアーを行っている。過去7度にわたって来日公演を行っており、大の日本びいきとしても有名。直近の日本公演は2008年の武道館公演で、その際はWhitesnake とのダブル・ヘッドライン。

そのPhil がManraze の構想を練り始めたのは2000年代の初期から。Def Leppard の方向性が楽曲を緻密に練り上げるものであったのに対して、Phil のもうひとつの音楽性、“ワイルドでライヴな感じ”を煮詰めたデモが数多く仕上がっていた。04年に父の葬儀でロンドンに里帰りしたPhil はそのデモをGirl 時代からの親友、Simon に聴かせてみた。Girl 解散後も、兄GerryとSheer Greed を結成し、その後もセッション・マン、プロデューサーなどとして活動を続けていたSimon は“お前、これはクールじゃないか、埋もれさせておくには勿体ないぞ!!”と助言し、Manraze (当時はMan-Raze 名義、その後Man Raze を経て、Manraze に)がスタートした。
そして、Phil は大ファンだったSex Pistols のポール・クック( Paul Cook )にドラムを依頼。音楽性では真逆な方向性を持つDef Leppard とPistols だったが、Paul は、バンド解散後、ネオアコ・ブームの火付け役Orange Juice のエドウィン・コリンズ(Edwyn Collins) のツアー・メンバーになるなど、実に幅広く、フレクサブルな音楽性を持っていた。Paul はその申し出を快諾。かくしてManraze はそのスタートを切った。 05年10月にEP “Skin Crawl ”を自らのレーベル、Surrealist Records から発表、翌2006年からDef Leppard のシンガー、ジョー・エリオット(Joe Elliott) のスタジオでレコーディングをスタート。07年にセカンド・シングル“Turn It Up ”を配信限定でリリース。ファースト・アルバム“Surreal”を08年6月にVH1 Classic Records より発表。グラム、パンク、ハード・ロックの要素を絶妙なバランスでミックスしたそのスタイルは、インディ・アルバムとしては破格の評価を得る。
同年12月にはイギリスでも5曲追加した形でリリースされ、同月にはイギリスでのツアーも実施。さらに2009年にはDef Leppardの北米ツアーのサポートも予定されていたものの、これがキャンセルされたことで、代わりに同時期にアリス・クーパー(Alice Cooper )のUKツアーのサポートを務め、イギリスでもその名が知れ渡った。そして、待望の2011年2ndアルバム『Punkfunkrootsrock』を完成させた。

Manraze online: http://www.manraze.com/