1999年にポピーの制作を始めたときに、とにかく視聴者の心に爪痕を残す作品にしようと考えていました。というのも当時はマイナーな存在だったCS放送のしかも300秒の番組枠での放送なので、一度見たら例え嫌な記憶でも良いから忘れられなくなるような作品が欲しかったのです。
オープニング主題歌も同様でした。いわゆるアニソンや、レーベルとのタイアップで借りてきたJ-POPでは人の記憶に残らない。番組の初っ端からブチかまして視聴者の心に爪痕を残そうと考えていました。
どんな曲がいいのだろう?かなり悩みました。学生の頃からレゲエが好きだったのですがもうジャパレゲが流行っていて今更感があります。
そうだ!レゲエじゃなくてスカはどうだろう?ネオスカならラッパとか入って景気が良くていいかもしれない!早速、懇意にさせて頂いていた作曲家の手塚理先生に相談して快諾をいただきました。
デモ曲が上がってきてびっくりしました。怪しいアレンジとスカが絶妙に融合されていて聴くものの心を不安にします。こんな曲が作れるのは手塚先生しかいないなぁと感心してました。
次は詩です。
どうしようか?視聴者の気持ちを不安にしてかき乱したかった私は意味不明な歌詞にしたかったのです。手塚先生に相談すると、平出よしかつ先生を紹介してくださいました。
当時アイドルや郷ひろみさんの歌詞などをたくさん提供してらした大物作詞家です。思わぬ大物の出現に驚きました。大物先生にビビりながらも「とにかく意味の分からない詩にしてください」とお願いしました。
これには平出先生も戸惑っていたようです。それでも快く引き受けてくださり、あの意味不明な歌詞が完成しました。一稿ができたときの打ち合わせで、「ここはウンジャラカじゃなくてホンジャラカのほうがいいんじゃないか?」と手塚、平出、両大先生が言い合っていたのを覚えています。私は心のなかで「どっちでもいいよ…」と思っていたのですが、両先生のそんな細部までのこだわりで良い作品ができたのですね。
メロと詩ができたらヴォーカルです。
青柳常夫さんはオペレッタ出身の大変キャリアの長い声楽家で、今となっては伝説の「歌声喫茶ともしび」のリーダーを努めていたもうご年配の方でした。
手塚先生が前々から東北弁が面白いと思って目をつけていたのです。歌の途中で噛んだらそれも良い味になって面白いからと、平出先生にも協力してもらってわざと歌いにくくしてあります。収録のときも通常の3倍位時間がかかってスタジオ代がかさんだ記憶があります。
「ポピー the クラウン」はお陰様でオリコンの22位まで行ったのですが彗星のごとく現れた“謎の新人”青柳常夫がオリコン発行の新大樹という雑誌で注目の新人と扱われていたのが良い思い出です。
2023年4月某日
高橋茂美(瑞鷹株式会社)