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6.NEIL YOUNG『AFTER THE GOLD RUSH』(70)

 ニルス・ロフグレン(キーボード、ギター、ヴォーカル)が参加したニール・ヤングのサード・アルバム。「テル・ミー・ホワイ」、「オンリー・ラヴ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」、「サザーン・マン」、「ドント・レット・イット・ブリング・ユア・ダウン」など、名曲多し。
 裏ジャケは、ニールのジーンズのケツのアップ。あのパッチ・ワークに憧れた当時の若者数知れず。

7.NEIL YOUNG『NEIL YOUNG』(69)

 ニール・ヤングのファースト・アルバム。鼻にかかった少年のような高い声が孤独な若者たちのシンパシーを得た。リフが素晴らしいノリがよいロック「ザ・ローナー」とバラードの「ザ・オールド・ラフィング・レディ」――デビュー当時からニールは動と静を振り子のように揺れながら自分の内なるパッションを表現した。
 なお、本作はフィル・スペクターの元で働いていた作曲家、編曲家、スタジオ・ミュージシャン、映画音楽家のジャック・ニッチェ(1937-2000)の手を借りて作られた。ニールはバッファロー・スプリングフィールド「エクスペクティング・トゥ・フライ」で仕事を頼んで以来、このアルバム、そして大ヒット・アルバム『ハーヴェスト』(72)……と節目節目でコラボレートする。
 ジャックのその他のいい仕事には、ローリング・ストーンズ「黒く塗れ」のセッションなどがある。

8.NEIL YOUNG WITH CRAZY HORSE
『EVERYBODY KNOWS THIS IS NOWHERE』(69)

 アーティスト名に「ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース」と表記されたニールのセカンド・アルバム。以後、クレイジー・ホースは30年以上に渡り、何かあったら召集される、ニールの音楽人生にとって欠かせない「ほぼフル・タイム」のバンドとなる。「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」、「カウ・ガール・イン・ザ・サウンド」をはじめ、このアルバムにも後に頻繁に演奏される名曲が多い。

9.NEIL YOUNG & CRAZY HORSE『RUST NEVER SLEEPS』(79)

 パンク・ロックの象徴! セックス・ピストルズのジョニー・ロットン(現ジョン・ライドン)へのシンパシーを歌った「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ(アウト・オブ・ザ・ブルー)」と「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(イントゥ・ザ・ブラック)」が入ったアルバムとして、永遠記憶されることになった。
 80年、デニス・ホッパーは「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ(アウト・オブ・ザ・ブルー)」にインスパイアされ、カナダでエルヴィスとピストルズしか信じない少女を主人公にした映画『アウト・オブ・ブルー』を監督・助演する。ちなみに、デニスはニールが監督した映画『ヒューマン・ハイウェイ』(78)にDEVOと一緒に出演している。 ニルヴァーナのカート・コバーンがその遺書に「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(イントゥ・ザ・ブラック)」の一節――「サビつくくらいなら、燃える尽きるほうがいい」(IT'S BETTER TO BURN OUT THAN IT IS RUST)を引用していたため、一時、ニールはこの曲の演奏を自ら禁じる。しかし、01年、フジ・ロック・フェスティバルではこの曲を演奏した。


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