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ぽくも見えるしで、流用したというのはありますけれど。
川勝 あと、もうひとつの伝説が、新星堂時代にカイリー・ミノーグを一番売ったのは、カイリー・マニアでもある太田さんだったと(笑)。
太田 そうそう(笑)。実はこの間、ダニー・ミノーグ(カイリーの妹)に初めて会えたんです。先月、新譜のプロモーションで来日していて。失敗しました、もっと早く会っておくべきでした。結構、姉に似てました。大きさも同じぐらいで。……て、そんな話してどうするオレ。ロック道じゃないですね(笑)。
川勝 でも、太田さんの二本柱だよね、ビートルズとカイリー・ミノーグ。
太田 ビートルズで培ったマニア心を、カイリーで生かしたという。各国盤ジャケ違いとか、集めてるんですよ、カイリーも(笑)。

コレクターへの道・復活

新村 一度は敗北宣言したビートルズのコレクションを、また復活したのはなんでやったんですか?
太田 当時の状況を話しておくと、その、僕が専門学校をクビになったころ、というのが1984年ぐらいで。そのころは、フュージョンが流行ってたんですよ。で、僕自身の興味もツェッペリンからフュージョンに移行しちゃって。カシオペアのコピーバンドとか、そういう方向へ。
川勝 ASAYAKEだ(笑)。

んないカンジで(笑)。
川勝 そりゃまた前衛的だ。でも、ベースとギターだけじゃ文化祭に出れないですね。
太田 そうそう。家でテープに合わせてやるだけで。
川勝 元祖・宅録?
太田 宅録ですらない。
川勝 引きこもり系?
太田 アンプをチャリンコに積んで友達の家へ行く、みたいな。……で、高校出て、バンドは半年ぐらいは続けていたんですけど、結局「曲書けないとバンドやっててもしょうがない」と思って辞めちゃって。ヘタクソだったし。おかげで専門学校も出席日数が足りなくてクビになっちゃったし。で、レコード屋に入ったんです。
川勝 最初のレコード屋さんは──
太田 新星堂です。吉祥寺の店で、輸入盤を扱う<ディスクイン> っていう店で雇ってもらえて。
新村 店頭POPってあるやないですか、商品棚に貼ってあるオススメCDの紹介文。レコード店のスタッフが手書きで熱くレコメンする、アレを始めたのは太田さんやったんですよね。新星堂時代に始めたんや、と聞きましたが。
太田 いやいや、そんなことはないですよ。当時から、どこの店でも輸入盤の紹介POPってありました。<DMR>さんみたいに、あんなにスゴイ説明じゃなくても、ちょっとづつ書いてましたし。でも、邦楽盤にそれを付ける、ということは全くやってなかったんです。で、それを新星堂時代に、輸入盤方式ということで、輸入盤っ

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