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川勝 細かいなぁ(笑)。
太田 すごく悲しかったんで店に弁償してもらいました。
川勝 え、弁償してくれたんだ。
太田 だって、すっごい(文句を)言ったもん。
川勝 そんなに高い傘だったの?
太田 傘だけは高校時代からいいものを持ってたんです。『メンズ・クラブ』の影響で「傘だけはいいものを持て」と。
川勝 え! 太田さんって、アイビーだったの?
太田 一応、<SHIPS>とかで買い物してましたよ。ツェッペリンやりながらも、アイビーで。地元・調布のパブにはカティ・サークをボトル・キープしてたりしましたから、高校生の時。
新村 え、高校生で?
太田 そう。彼女にカッコつけたかったから(笑)。飲めもしないのに、2人とも(笑)。カティ・サークにポテト・グラタンとかで。ワケわかんないですよ(笑)。
川勝 いやはや、太田さんの意外な一面を知りました。……で、コレクションに関しては、いくら以上は買わない、とかルールは決めていたんですか?
太田 「買えない」ですよね、あんまり高いと。金がないから。でも、84年〜85年ぐらいの時期だったでしょ。そのころはちょうどいい時期で。CDは出始めだったから、レコードはまだまだ沢山あったし。その『ビートルズ海賊盤事典』ってよく出来た本で、海賊盤一枚づつの解説が書いてあるんですよ。その時にビートルズに何が起

太田 結局テクがついていかなく、かつ、曲作りもできないので、もうバンドはダメだと挫折して。「僕にとっての音楽というものは、聴いてるだけで十分」と覚ったんです。そこで「果たして好きな音楽というのは何が残るのか」と思ったときに、「歌もの」だと自分の中で気づいて。そのころ流行っていたのが、第2次ブリティッシュ・インベンション。いわゆる80年代ニュー・ウェイブ時代ですね。僕も、スミスなどを聴いたりしつつ、やっぱりそれまでは「技術至上主義」でプログレ/カンタベリー系ばっかだったんで、その延長線上で歌モノもトラッド・フォークを聴いたり。でも、それがもう心の中で一段落着いたので、「これで、だいたい聴いただろう」と。その頃にはニュー・ウェイブも下火になってたし。そんな時に、『ビートルズ海賊盤事典』という講談社の本に出会いまして。その本のカラーページに「ビートルズの各国盤ジャケ違い」というのが載っていて。「あ、これだ。忘れていたのは」と。
川勝 具体的に、どんな風に集めて回ったんですか?
太田 <えとせとらレコード>のセールへ行ったり、中央線沿線の中古レコード店を仕事の休みの日に巡ったり。安く見つけたりするとゾクゾクしましたね。
川勝 新宿西口周辺もよく行きましたか?
太田 そうですね、新宿西口だったら<シスコ>、<ウッドストック>、<シカゴ>とか。渋谷は<レコファン>が出来た頃でしたね。そうそう、毎年お正月にビートルズ・フェアをやっていたんです、レコファンで。そこで傘を盗まれちゃったことがありますね。

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