受け継がれるロック好きの系譜

川勝 新村君は、高校時代はどうしてたんですか?
新村 ヘビメタバンドでした(笑)。
太田 その頃はなんですか、モトリー・クルーとか?
新村 そうですね、あとは、ガンズとか。そういうのが流行ってた時期でした。僕が住んでいたのは、兵庫の伊丹という所で。結構、そういうメタル好きのヤンキーが多かったんですよ(笑)。
太田 80年代後半ですよね。メタル全盛期の頃だ。
新村 雑誌は『ヤング・ギター』を愛読してました。
太田 1991年だったかな、モトリー・クルーが武道館でライブやったとき、観に行きましたよ。ドラムが回るのを観たくて行ったのに、回らなかった(笑)。
新村 ああ、そのときは回ってなかったんですよ。その前のアルバムの時までは回ってたんですけど。僕もそのライブは観に行きましたよ。
川勝 太田さんはモトリー・クルーまでおさえているんだ(笑)。
太田 ツェッペリン経由でハード・ロックを通ってるんです、高校生のときに。ギターの早弾きはゲイリー・ムーアとアラン・ホールスワースではどっちが早い? みたいなワケわからない比較をしてました、ジャンル違うのに(笑)。
川勝 新村君、ファッションはどうだったんですか、当時は?
新村 バンドのリーダーがレッド・ウォーリアーズ好きだったんで、彼はそういう格好をしてたけど(笑)。僕は興味は無かったです
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ね。
太田 でもさ、新村君の世代だと、そんなにファッション的に恥ずかしい時代ってあんまりないですよね。僕らはいろいろあるけれども(笑)。
川勝 僕はニュー・ウェイブ時代はテクノカットをしました(笑)。太田さんは今長髪だけど、アイビー時代から長髪へは?
太田 髪型はめちゃくちゃでしたね。伸びたら切るぐらいで。ニュー・ウェイブのころは『メンクラ』で「男も美容院へ行け」ってよく特集やってましたね。テクノカットの後に「新テクノ」とかっていう髪型が流行ってて。なんていうのか、ジューシィ・フルーツの沖山優司君のような(笑)
川勝 めがねのない沖山優司(笑)。
太田 なので、ダテめがねをかけてました(笑)。
川勝 あははは(笑)。
新村 僕も、高校の時に、デヴィッド・ボウイの写真を持っていって「こんなんにしてください」とやったことあります、白状すると。でも、結局、ヤンキーみたいにしかならへんかった(笑)。
川勝 そういう若気の至りは大切ですよ(笑)。
新村 大学時代になると、憂歌団が好きで、ハンチング帽とかよく被ったり、ダニー・ハザウェイを気取って、大きめのキャスケット帽とか、古着のツイードのジャケットを着てみたり。
太田 しかし、憂歌団ですか。ヘビメタからえらく渋い方向へ行きましたね。
新村 ヘビメタ・ハードロックから、ジミヘン、ジミー・ペイジ、
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