アンドレア・バッティストーニ / 指揮者インフォメーション
『チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/武満徹:系図−若い人たちのための音楽詩−』発売記念インタビュー記事をUPしました。
BEYOND THE STANDARD vol.2 発売記念インタビュー
A・バッティストーニ、最新録音の「悲愴」を自ら語る「チャイコフスキーとイタリア、イタリア人は相性がいいのです」
アンドレア・バッティストーニはイタリアのヴェローナ出身の31歳。2016年10月に東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者に就任、翌年から西洋クラシック音楽の名曲に日本の歴代作曲家の代表作を組み合わせた「BEYOND THE STANDARD」シリーズのセッション録音を日本コロムビア(DENON)で開始した。ドヴォルザークの「交響曲第9番《新世界から》」と伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」「ゴジラ」のカップリングに続く第2作(2018年5月21〜22日、東京オペラシティコンサートホールで収録)は、チャイコフスキーの「交響曲第6番《悲愴》」と武満徹の「《系図》−若い人たちのための音楽詩−」。リリース前後は女優の「のん」が語りをつとめる武満に話題が集中、「悲愴」の壮絶な演奏に耳が向かうのには少し、時差を必要とした。だが、あまたある名盤と聴き比べても、バッティストーニと東京フィルの「悲愴」には別格の輝きがある。その背景や作品論について改めて、バッティストーニ自身の話を聞いた。(聞き手は池田卓夫 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗)
−「悲愴」への思い入れ、相当なものがありますね。
「まだ伴奏ピアニストを相手に、指揮法の基礎を学んでいた10代のころ、最初に覚えた作品ですからね。その前にチェロを教わっていた時代の恩師はヴェローナ歌劇場の首席チェロ奏者だったのですが、ある日、先生が故郷であるルーマニアの、名前を聞いたこともない小さな町で協奏曲のソロに招かれ、私が指揮者として同行しました。『交響曲の方は君の好きな作品でいいよ』とおっしゃるので、迷わず《悲愴》を選びました。暗く寒く霧に覆われ、お化けの出そうな雰囲気の異郷の地で、この曲を最初に振ったのです。20歳でした。以来1シーズンも欠かさず手がけ、楽曲の背後に潜むミステリーの解読に努めてきました」
−どのような交響曲として、理解しているのですか?
「最初に意識すべきは、《悲愴》が古典派からロマン派にかけての音楽史上、最後の交響曲である実態です。以後もマーラー、ショスタコーヴィチら交響曲を書いた作曲家は存在しますが、交響曲の構造体に作曲家自身の私生活が侵入、“建築”は崩壊して行きました。《悲愴》はぎりぎり、構造的交響曲の極点に立ちながらも、かなり異様な建築の姿をみせます。第1楽章は2〜3小節ごとにテンポが変動、交響詩やオペラに近いつくりです。第2楽章は世にも稀な5拍子のワルツ。合わせて踊れば足をくじきそうな揺れの間に、ウクライナの宗教曲の旋律が顔を出します。同じ作曲家の《交響曲第4番・第5番》は最終(第4)楽章にアレグロの大きなフィナーレを置いたのに対し、《悲愴》では第3楽章に桁外れのエネルギーを注ぎました。偽善的生活における人間関係、食べ物、飲み物……のすべてが恐怖のエネルギーに変換され、まだ残る若さも振り絞り、大きな振幅とともに爆発するのです。私も渾身の力をこめて指揮しますから、第3楽章の終わりに拍手が起きるのは、狙い通りとも言えます。そして最終楽章は一転、静寂と深い悲しみの世界です。多くの指揮者がモーツァルト以来の《レクイエム(鎮魂曲)》の流れに引き寄せようとしますが、私はチャイコフスキーの個人史における最終的な“降伏”と考えます。マーラーの《交響曲第9番》の第4楽章のフェイドアウトが“緩やかなさようなら”だとしたら、チャイコフスキーのそれは怒りの果ての意思を伴った降伏なのです。レクイエム的側面を強調する同僚たちは意図的に遅めのテンポを設定しますが、私は『エネルギーは最後まで満ちあふれている』と確信、作曲者が記したメトロノーム指示の通りに振っています」
−チャイコフスキーの交響曲創作の到達点である《悲愴》、とりわけ最後の楽章においてもエネルギーが充満しているとしたマエストロの見解を全面的に支持します。同時に第4〜6番《悲愴》の3曲が実は1セット、チャイコフスキーは3部作(トリロジー)的なドラマトゥルギー(作劇術)を施したとの見方を、私は確信しているのですが。
「面白いことに《マンフレッド》を除く6曲の交響曲は前半の第1〜3番、後半の第4〜6番それぞれがトリロジーの様相を呈しています。第1番《冬の日の幻想》は完全にロシアの光景、第2番《小ロシア》ではそこにムソルグスキー、リムスキー=コルサコフらのロシア楽派の輝かしい後継者としてのスケールが加わりました。ちなみに第2番は大好きな作品で何度も指揮、イスラエル・フィルハーモニーへのデビュー曲にもなりました。ところが第3番《ポーランド》では急激にドイツ音楽へ接近、5楽章の構成もシューマンの《ライン》交響曲を意識したものでしょう」
「3曲それぞれの試行錯誤を経て、チャイコスキーはついに、独自の交響曲の表現語法を獲得しました。第4〜6番で一貫して壮大なドラマを描こうと意図した点、トリロジーとする見方には大賛成です。前半3曲の底流にロシアの管弦楽法が流れていたのに対し、後半3曲ではベートーヴェンの交響曲を強く意識したとも言えます。第4番冒頭のファンファーレ、3連符の多用、第5番第4楽章の着地だけでなく随所に現れる『タタタ・ターン』のリズムなどにはとりわけ、ベートーヴェンの第5番の影響が顕著です。すなわち『運命』との闘い。社会や音楽界、世界すべてとの闘いが音に表れます」
「一方、チャイコフスキーの本拠がモスクワではなくサンクトペテルブルクで、とりわけ西欧志向の強い作曲家だった実態を忘れてはなりません。詩的な世界にも深く浸り、《ロミオとジュリエット》《ハムレット》《フランチェスカ・ダ・リミニ》といったロマンティックな物語を好み、自身の作曲の題材としました。ワグネリアンではありませんでしたが、ワーグナーの楽劇は入念に研究しており、《フランチェスカ・ダ・リミニ》には明らかな影響がみられます。『愛と死』が結びついた初期デカダンスの感触、あるいは予感というツァイトガイスト(と、バッティストーニはドイツ語で「時代精神」を表現した)をワーグナー、チャイコフスキーは共有していました。マーラーより控えめながらも、子ども時代から慣れ親しんだ帝政ロシア社会へのノスタルジー〜それは《悲愴》の第2楽章のワルツにすらなお残る、バレエ音楽《くるみ割り人形》の痕跡をみても明らかです〜が次第に崩壊、カタストロフィー(悲劇的結末)へと進む恐ろしい時代を、チャイコフスキーの鋭敏な感性は予見していたのです。ルーツへの視点という部分で、《悲愴》は武満の《系図》と1つになります」
−そこまで深くとらえていてなお、《悲愴》のミステリーは「解読中」なのですか?
「1楽章ごと、1小節ごとに隠されたメッセージがあまりにも多いのです。例えば、1つのメロディーが完全に破壊され、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンのいずれかだけに弾かせたかと思えば、突然クロス、最後は何事もなかったように1つのメロディーに収斂(しゅうれん)するような場面は何を意味するのか? なぜ唐突に教会音楽を引用したのか?などなど、チャイコフスキーのスコアは私に問いを発し続けています」
——アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィットーリオ・デ・サーバタ、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、リッカルド・シャイー、アントニオ・パッパーノらイタリア人、イタリア系の指揮者は全員、チャイコフスキーの交響曲を好んで振りますね。
「ご存知ですか、《悲愴》のイタリア初演を誰が指揮したか? 何と《カヴァレリア・ルスティカーナ》の作曲家、ピエトロ・マスカーニでした。イタリア人とチャイコフスキーはメロドラマの世界を共有していますし、旋律やドラマ、テンションの感受性にも似たところがあります。チャイコフスキーと同時代、19世紀後半のイタリアには交響曲を書く作曲家も、聴く観客も存在せず、音楽体験が歌劇場(テアトロ)と教会に限られていた影響も大きいでしょう。イタリア人の指揮者や聴衆にとって、チャイコフスキーは交響曲の入り口を意味します。ドイツ音楽を理解するには、作品の背後に横たわる文化や哲学、歴史などへの深い考察を社会の雰囲気とともに学ばなければなりません。私もドイツの歌劇場に客演、ドイツ語の響きに囲まれ、滞在期間が比較的長くなったところでようやく、ブラームスへの親近感が湧いたりします。でもロシアの音楽は、イタリアオペラと同じくらい、イタリア人には『すぐわかる』世界なのです」
−お好きな《悲愴》の録音は誰の指揮ですか?
「最初に夢中で聴いたのはレナード・バーンスタインが3回録音したうちの2度目、ニューヨーク・フィルハーモニックとのソニー盤でした。恐らく、最初に買ってもらったディスクだと思います。次はワレリー・ゲルギエフの最初の録音。まだマリンスキーではなく『レニングラード・キーロフ歌劇場管弦楽団』を名乗っていた時代ですが、とても素晴らしい演奏です。世評の高いエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー盤は私にはセッコ(ドライ)過ぎて、あまりピンときません。むしろモスクワのエフゲニー・スヴェトラーノフがソヴィエト国立交響楽団を指揮したものに、強く惹かれます。もう1つ、早くに亡くなったイタリアの大先輩、グィド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団を1952年に指揮した旧EMI盤はプロデューサーのワルター・レッグにとっても、ヘルベルト・フォン・カラヤンとの一連の録音とは別種の意味を持っていただろうと思われる究極の録音です。演奏も素晴らしいのですが、余白に収められたリハーサルの手際の良さと情熱! 私もこうありたいと思いました」
−ありがとうございました!
聞き手の私はインタビューの最後に、スヴェトラーノフが旧ソヴィエト国立響、後のロシア国立響とのツアーやNHK交響楽団への客演の別を問わず、譜面台に欠かさずセットしていた「装置」の正体をバッティストーニに伝えた。彼が「あれ、赤いランプでしょ?」と尋ねたのに対し、私は「いや、旧ソ連製の扇風機だよ」と答えた。意外にもアガリ症だったスヴェトラーノフにとっては本番を成功に導く「お守り」のような存在で、指揮を始める前に必ずスイッチオン、演奏中は絶えず「ブーン」というノイズが聞こえた。日本のレコード会社が秋葉原で最新型のファンを購入、「これなら静かです」と差し出してもマエストロは頑として受け取らず、「あの赤い扇風機がなければ、指揮はしない。ノイズは私の演奏解釈の一部だと思ってくれ!」と言い放った。バッティストーニは「あまりに人間的な真実」を知って愕然とし、大爆笑のうちにインタビューは終わった。
BEYOND THE STANDARD vol.2
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
武満徹:系図−若い人たちのための音楽詩−
2018/10/24発売
UHQ-CD:COCQ-85441 ¥3,000+税
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」
Peter Ilyich Tchaikovsky : Symphony No.6 in h moll, Op.74 "Pathétique"
01. 第1楽章 Adagio - Allegro non troppo
02. 第2楽章 Allegro con grazia
03. 第3楽章 Allegro molto vivace
04. 第4楽章 Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto
武満徹:系図−若い人たちのための音楽詩− * 詩:谷川俊太郎
Toru Takemitsu : Family Tree - Musical Verses for Young People-
05. むかしむかし ONCE UPON A TIME
06. おじいちゃん GRANDPA
07. おばあちゃん GRANDMA
08. おとうさん DAD
09. おかあさん MOM
10. とおく A DISTANT PLACE
アンドレア・バッティストーニ指揮 /東京フィルハーモニー交響楽団
*語り:のん
【録音】2018年5月21-22日 東京オペラシティ コンサートホール