原智恵子
1914年 神戸市生まれ。
13歳で渡仏、名教師ラザール・レヴィに師事、日本人としてはじめてパリ・コンセルヴァトワール(国立音楽院)を最優秀で卒業。
1937年、日本人としてはじめて参加した第3回ショパン・コンクールで、その演奏は聴衆を大いに魅了したが、審査の結果は15位とされる。この結果に憤慨した聴衆により会場は警官隊が出動するほどの大騒ぎとなり、特例として原智恵子に「聴衆賞」を贈ることでようやく収まった。
コルトー、ルービンシュタイン等の薫陶を受けながら輝かしいキャリアをスタートするが、1940年には緊迫する世界情勢のためやむなく帰国。戦中戦後を通じ国民に絶大な人気を博す。 1959年にチェロの巨匠ガスパール・カサドと結婚し、ヨーロッパを中心にデュオ・カサドとして、またソリストとして活動した。
1966年カサドと死別の後は69年からフィレンツェで「カサド国際チェロ・コンクール」を開催し、多くの若い音楽家を育てた。