DR. JOHNプロフィール

PROFILEプロフィール

DR. JOHN

DR. JOHN

(本名 Malcolm John Rebennack Jr. マック・レベナック)
1941年11月21日、ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれる。
父親がレコード店を経営していたため、幼いころからジャズ、ゴスペルを聴いて育つ。

(本名Malcolm John Rebennack Jr. マック・レベナック)
1941年11月21日、ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれる。
父親がレコード店を経営していたため、幼いころからジャズ、ゴスペルを聴いて育つ。
ロックンロール創成期のこの時代、数多くのクラブが建ち並ぶニューオリンズには、全米から多くのミュージシャンが集まりマック(ドクター・ジョン)もプロのギタリストとして腕をあげていった。

61年の暮れ、仲間が起こしたケンカを仲裁したときに、拳銃の流れ弾に当たり左手を負傷し、ギタリストとしてのキャリアを断念。ピアニストへ転向する。加えて、南部一の歓楽街だったニューオリンズは風俗産業の取り締まりという締めつけを受け、彼の麻薬不法所持の疑いも重なって、マックはロサンゼルスへ移る。

スタジオ・ミュージシャンとして活動した後、 67年にレコード会社と契約すると、ヴードゥー教の司祭、ドクター・ジョンをテーマにした『グリグリ』を発表。以後、自身をドクター・ジョンと名乗る。 当時のヒッピームーブメントに乗り、サイケロックでカルト的なアピールで注目を浴び、キワモノ的な見方をされたが、ニューオーリンズ音楽の入門書的な内容なった、プロフェッサー・ロングヘア、ヒューイ“ピアノ”スミスら、ニューオーリンズのR&Bアーティストのカバーが曲が大部分を占めた72年に発表のアルバム「ガンボ」がヒットし、これによりドクター・ジョンの人気を不動のものにした。

以後、シングルヒットも生まれ、92年には故郷での初録音となる『ゴーイング・バック・トゥ・ニューオリンズ』を発表。
このアルバムはグラミー賞を獲得し、ニューオリンズを代表する存在となった。