VO.G : 久保博三(くぼひろみ) 29歳 宮崎県出身
B.CHO: 本村博志(もとむらひろし) 29歳 宮崎県出身
D.CHO: 相澤吉邦(あいざわよしくに) 29歳 新潟県出身
聴く人々全てに元気を与える歌詞と懐かしい匂いのするメロディーラインを持った期待のバンドGO!THE SKIP遂にデビュー。天才的な詩のセンスを持った久保博三(VO)を擁した3人組 。仕事、恋愛、勉強と悩める世代にちょっと青くさいぐらいのストレートなメッセージを送り、こんな生き方もあるんだと訴える元気応援系バンド。
歌詞やメロディー以外にも存在感のあるヴォーカル、美しいコーラス、粗削りながら心に響く演奏、どれを取っても最近のミュージックシーンにはない独自のGO!THE SKIPサウンドを展開していきます。ラジオリスナー、関係者も絶賛するほどの雰囲気を持ったバンド野郎達が、歌を歌い飛ばします。
<GO!THE SKIP結成まで>
中学3年で"弾かない"ギターを購入した久保とバス釣り中学生の本村が、宮崎の高校のクラスメートとして出遭う。高1の冬からギターを弾き始めた久保と高1夏からベースを始めた本村は、カバーから始めずオリジナルを作り始める。そして、高3で2人のオリジナルは数十曲を数え、既にこの時、名曲"空の向こうに"が生まれていた。1992年2人は上京し、GROSS(グロウス)というバンドを結成、ドラム不在で初ライブを行なう(後に加入)。
一方、小4の鼓笛隊の経験からドラムに憧れた相澤は、剣道の先生からドラム・セットを頂き、地元新潟の中学同級生と"温故知新"なるバンドを結成。高3 の時、バンド・エキスポープロージョンにドラムボーカルで出演し、「コータロウ賞」を受賞。バンド全員で東京に上京し、新宿ACBよりライブ活動を始めるが、メンバー交代を繰り返し解散。理容師との両立を辞め、新たなバンド活動を始める。
GROSSは、新宿ロフトを中心に月4〜7本のライブ活動をライブハウス、原宿路上などで行なう中、ロフトの秘密兵器といわれるまでになる("ロフト歴史本"より。ロフト20周年コンピにも参加)。しかし、下北シェルター3日前に突然ドラムが脱退。その矢先、2人で行なったライブで相澤の新しいバンドと対バン。2000年、この3人でのスタートが始まる。月3本のライブ、週3回の路上、週3回の練習を3年続け、テープを1000本完売させる。路上ライブの中止とともにデモを様々なところへ応募。バンド名を"GO!THE SKIP"に変更。
運命を変えたのは、2003年4月、ラジオ・オーディション番組「OLEっち」に送った1本のカセット・テープ(デモ)であった。それは、彼らが何年も温めてきた曲"空の向こうに"である。5月1コーラスのOn Airとともにリスナーからの大反響が起こる。毎週200通を超える応援メールが、彼らを6月沖縄の地に立たせることになる。
沖縄で合宿しながら、毎週与えられたテーマに基づいた新曲を1週間で発表しなければいけない環境に、しかもラジオの生放送で。リスナーとプロの審査員の得点が70点(100点満点)以上で1週クリア。4週クリアでメジャー・デビューという試練。7月12日、大きな夢に向けて花火を打上げた言葉に会場、及び多くのリスナーが感激の涙を流し、遂にメジャーデビューを獲得!番組が感動の涙に包まれたのは言うまでもない。
(OH!琉球、時は暁、かえるの唄、大花は沖縄で作られ披露された。)
そして、2003年10月22日、10年近く暖めた「空の向こうに」でデビュー。ライブ活動と平行してアルバムを完成させ、2003年2ndシングル「捧げる歌」で卒業式出張ライブ・ツアーを全国で行いながら、2/25デビュー・アルバムのリリースを迎える。
<運命を変えた沖縄32日間(メジャー・デビューまで)>
OLEっち▼とGO!THE SKIPとの出会いは、正に必然であったかもしれない。
2003年4月の番組開始とともにデモ「空の向こうに」を応募。5月、その1コーラスのOn Airとともにリスナーからの大反響が起こる。DJ赤坂氏の絶賛もさることながら、毎週200通を超える応援メールが、彼らを6月沖縄の地に立たせることになる。そして、以下の課題に対する楽曲を披露し、4週クリアとともに感動のメジャー・デビューを決めた。