Gunter Wand (ギュンター・ヴァント) / 指揮者プロフィール

PROFILEプロフィール

Gunter Wand (ギュンター・ヴァント) / 指揮者

Gunter Wand (ギュンター・ヴァント) / 指揮者

1912年1月7日、ドイツのエルバーフェルト(現ヴッパータール)に生まれる。1930年から31年の間に、ケルン大学で哲学・ドイツ文学、ミュンヘン音楽アカデミーでピアノ、ケルン国立音楽大学で指揮・作曲を学んだ後、32年にヴッパータール歌劇場のコレペティートアに就任。翌年ローベルト・シュトルツのオペレッタ《絹をまとったヴィーナス》で指揮者デビューを果す。34年、旧・東プロイセンのアレンシュタイン歌劇場の第2カペルマイスターに、38年には同歌劇場の第1カペルマイスターに就任。ここでの《魔笛》の成功が契機となり、39年ケルン歌劇場に採用され、同歌劇場のカペルマイスターとなる。非ナチ党員のヴァントだったが、劇場総監督の庇護の下、活動を続ける。
44年、ケルン歌劇場の爆撃被災後、ザルツブルク州立歌劇場と契約を結ぶ。45年、州立歌劇場が閉鎖しナチス・ドイツが崩壊すると、アメリカ軍のためのジャズ・バンド演奏に携わる。同年10月にケルン市立歌劇場の音楽監督に就任、翌46年にケルン市の音楽総監督となり、47年にはギュルツェニヒ・カペルマイスターの称号も得て、この後、オペラおよびコンサートの両方を受け持つギュルツェニヒ管弦楽団との協働関係が約30年間続く。
53年、カール・シューリヒト辞去後のヴィースバーデンに客演指揮者として赴く。54年、旧東独・ベルリン国立歌劇場よりエーリヒ・クライバーの後任を打診されるも辞退。67年《コシ・ファン・トゥッテ》をもってケルンでのオペラ活動に終止符を打つ。68年、読売日響に客演し初めて来日。72年の《カルメン》(ベルン歌劇場)を最後に、これ以降、全活動をコンサートに限定するようになる。
74年、ケルンの地位から引退。この後、ベルン交響楽団をはじめ、放送オーケストラなど、各地楽団への客演が多くなる。79年、NHK交響楽団に初登場。同楽団には82年、83年にも客演する。
82年、北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)の首席指揮者に就任。87年には、同楽団の終身名誉指揮者となる。同年8月、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭に初登場。89/90年のシーズンをもって同楽団首席指揮者の座を降りるが、その後も同楽団との密接な協働関係が続く。90年、同楽団を率いてペンデレツキとともに来日。 2000年、北ドイツ放送交響楽団と再度、今度は単独で来日。01年11月4日同楽団と行ったフランクフルト公演が生涯最後の指揮となる。
2002年2月14日、スイス・ウルミツの自宅で永眠。享年90歳。

(「シュレースヴヒ=ホルシュタイン音楽祭ライヴ映像シリーズ」ブックレットより)