大正8(1919)年、八世 芳村伊四郎に入門。大正10(1921)年、辰三郎。昭和8(1933)年、四世 金五郎。昭和13(1938)年、九世 伊四郎。昭和25(1950)年、七世 伊十郎を襲名。昭和31(1956)年、重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。
若いときから美声で知られ、声量が豊かで艶やかな演奏は七代目尾上梅幸が「牡丹の花が咲いたような」と褒めていた。豪放と繊細さを兼ね備えた上に研究熱心で、演奏はいつも新鮮だった。それは「演奏は毎日毎回が創作である」という考えだったからで、マンネリになることをおそれた。また流派を越えて新人を育てるのが得意だったので、後進の育成につとめた結果となった。
昭和24(1949)年には長唄協会理事長に就任。昭和31(1956)年にはNHK放送文化賞、昭和32(1957)年には日本芸術院賞を受賞。昭和48(1973)年9月20日、72歳で逝去。