1950年7月24日生。旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)サラエボ出身。16歳の時ドイツで叔父のジャズバンドに参加。18歳でベーシストとしてオスロでデビュー。フィロゾフスキー大学で哲学と心理学、サラエボ国立美術大学で絵画を学ぶ。1984年、サラエボ冬季オリンピックのテーマ曲を制作歌唱。同年ユーゴスラビア芸術大賞受賞。
レコーディングで日本滞在中の1992年、祖国で内戦が勃発。帰国不可能となり2011年迄、日本を拠点に活動。各地で公演、平和を訴えた。祖国との文化交流にも尽力。
2007年英国の音楽雑誌「SONGLiNES」誌においてドイツで発売された「ŠTO TE NEMA」がTop of the Worldを獲得。収録アルバムは年間ベストアルバムに選ばれヨーロッパで話題に。2008年のスペインの音楽誌「SONS DE LA MEDITERRANIA」誌では地中海の歌姫の10人のうちの一人に選出。2009年6月、ボスニア・ヘルツェゴビナ音楽賞受賞。
日本国内では、2001年坂本龍一による「地雷ZERO」キャンペーンに参加。TBS『NEWS23』にも出演、話題に。
NHKスペシャル『ローマ帝国』挿入歌、テレビ東京の報道ドキュメンタリー『ルビコンの決断』のテーマソング、映画『魂萌え!』の主題歌等も歌う。また世界的映像作家・高木正勝のプロジェクトに参加し、2009年7月よりドキュメンタリーフィルムが東京各地・カナダで上映。2008年長山洋子に提供した「アマリア」が話題となり、2010年10月にセルフカバー。
2011年4〜5月、NHK『みんなのうた』で「誰かがサズを弾いていた」が放送されると大きな反響を呼ぶ。
2011年3月、仕事で訪れたクロアチアでALS と診断される。ボスニア・ヘルツェゴビナのバニャルカで療養しつつ音楽活動を継続。病が進行する中、彼女の為のチャリティコンサートが開催され、ドキュメンタリー番組も制作された。2015年出版された半生記は多くの国民が購入した。2016年5月3日、ALS による呼吸不全の為逝去。享年65。訃報は旧ユーゴ全域にTV、ラジオ、新聞のトップニュースとして伝えられた。5月7日はサラエボで作曲家協会による追悼式、9日はバニャルカで追悼式と国葬。大統領はじめ、総理大臣、有名アーティスト、著名人が参列。数百人のファンが彼女の死を悼んだ。日本では、同年7月24日追悼アルバム「Hvala フヴァーラ 〜ありがとう ヤドランカ・ベスト」がコロムビアより緊急発売。東京・新宿でお別れ会を兼ねたライブと絵画展が4日間にわたり開催された。
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