James Brown(ジェームス・ブラウン)プロフィール

PROFILEプロフィール

James Brown(ジェームス・ブラウン)

James Brown(ジェームス・ブラウン)

ジェームス・ジョセフ・ブラウン・ジュニアJames Joseph Brown, Jr
(1933年5月3日 - 2006年12月25日)
サウスキャロナイナ州バーンウェル生まれ。4歳の時に両親が離婚。親戚の間を転々とした。16歳で盗みの罪で少年院に入る。そこで、ゴスペルグループを作り、有名になる。真面目な態度が評価され出所。後、ボビー・バードとゴスペル・グループ、スワニーズを結成。フレイムス→フェイマス・フレイムスと名前を変更。南部の各都市でライブを行い、ついに、キング・レコードとの契約を締結。「プリーズ・プリーズ・プリーズ」で56年にデビュー。

60年代に入って、ジャズやラテンのリズムを参考にし、よりハードなサウンドを指向。
63年、名作ライヴ盤『ライヴ・アット・ジ・アポロ』を発表。全米アルバム・チャートで2位の大ヒットを記録。
65年の『パパズ・ガット・ア・ブランド・ニュー・バッグ』では白人層の人気も獲得。シングル「アイ・ガット・ユー(アイ・フィール・グッド)」も全米3位のヒットとなった。 
69年にペースメイカーズとして活動していたキャットフィッシュ・コリンズ(ギター)と、ブーツィ・コリンズ(ベース)がバンドに加入。70年~71年に「セックス・マシーン」「スーパー・バッド」など、JB流ファンクを決定づける名曲が生まれる。
JB‘sは、フレッド・ウェズリーやメイシオ・パーカーがホーンセクション。世界で1番ファンキーなドラマー、ジャボ・スタークスとクライド・スタブルフィールドが在籍。そのサウンドは、様々なアーティストに影響を及ぼした。 
80年代には、彼をリスペクトするヒップホップ・アーティストたちとの活動も増え、86年にはアフリカ・バンバータとのコラボレーション・シングル「リヴィング・イン・アメリカ」が大ヒット。しかし80年代後半には妻に対する脅迫行為等の件で執行猶予付きの有罪となり、アーティスト活動を停止。
しばらくは、ライブ盤や、自己プロデュース作などをリリース。本格的メジャー復帰は98年の『アイム・バック』。02年リリースの『ネクスト・ステップ』が最後の作品となった。