もともとジャズ・プレイヤーとして華麗なテクニックを誇っていたが、昭和40年頃から平成初頭にかけてスタジオ・ミュージシャンとして活躍。
また、スタジオ・ミュージシャン仲間とビィアーズというユニットを結成し、エレキギターを主に、ポピュラー系の企画で洋楽系のアルバムなどを発売した。
その後、テナー・サックスの松浦ヤスノブとの掛け合いでの歌謡曲のインスト・カバーを毎月のように発売し、演歌のイメージが定着。佐伯亮、斎藤恒夫が完成させたガット・ギターとアコーディオンを絡めた“演歌”のサウンド・スタイルの定着・隆盛は、木村の華麗なテクニックとアイデアの賜であるといっても過言ではない。