クミコインフォメーション
今回。再びシャンソン、そしてシャンソン的な歌をリリースすることになりました。 シャンソンにもフランスにも、特別な憧れがあったわけでもない私が、今なお歌っているのは不思議な巡り合わせのようで感慨深いものがあります。 初めてシャンソンを知ったのが越路吹雪さん。 チケットの取れないリサイタルには、幸運なことに二回行きました。 宝塚のスターだった越路さんの舞台は、どこまでも計算されたショーのようで、その歌は劇的でした。オートクチュールのドレスも、絨毯敷きの劇場も、すべてが華やかで非日常。 まだまだ貧しい日本にあって、遠いフランス、パリは何だかわからんけど素敵なのだとインプットされたのです。 「銀巴里」に入ったのは、巡り合わせです。 そこでしか、いい年をした女が歌えそうな場所がなかったからです。 シャンソンといえば、越路さんの「サントワマミー」しか歌えない私が、幸運に導かれ、今となっては伝説の小さなシャンソン喫茶で歌い始めました。 そこで越路さんのシャンソンを歌う人は一人もいませんでした。 聞いたこともない難しい歌や粋な歌など、それぞれが大切に抱く歌が「銀巴里」のシャンソンでした。(ここで越路吹雪を歌う新人が入った、と陰で噂されていたことは後日知りました) 今の時代、絶滅危惧種と言ってもいいようなシャンソンの録音物を、またリリースできることは、信じがたい幸運です。 今年は越路吹雪さん生誕100年、そして代表曲「愛の讃歌」のレコード盤録音から70年。はたまたパリオリンピックの年。ナニカシラ背中を押されるような気持ちで、新録音も含め、アルバムの形で発表することになりました。 新録音は。 これまでの録音と違い、より元の形に近い「愛の讃歌」に加え、越路さんらしい華やかで歯切れの良い「アプレ・トワ」。 銀巴里で出逢った文学的シャンソン「倖せな愛などない」と「私はあなたのもの」。 そして、シャンソンとしてだけでなく世界的名曲として有名なシャルル・アズナヴールの「帰り来ぬ青春」。 アズナヴール さんとのご縁は、久しぶりの来日公演が決まった2007年、来日前に私がパリでインタビューをする機会に恵まれたことでした。これが私にとっての初めての渡仏経験となりました。 この「帰り来ぬ青春」は詩人の吉原幸子さんの作詞ですが、言葉が大きな位置を占めるシャンソンらしく、他の歌たちも、岩谷時子さん初め、詩と人生を見つめ続けた方たちの作品です。 これらに加え、これまでシングルとして発表してきた、シャンソン的な歌たちを集めたアルバム。 歌は言葉。そんな志を今一度確かめるべくリリースいたしました。 そして今回スーパーバイザーとして、音楽評論家の重鎮、安倍寧さんをお迎えしました。 生前の越路さんのスタッフもされ、戦後日本のシャンソン状況にも詳しい、まさに「生き字引き」でもある安倍先生により、今の時代にシャンソンを歌うことの意義が示されると思います。 今の時代に生きるシャンソンを、お聴きいただければ幸いです。 クミコ |
岩谷時子さんが訳詩を手がけた「愛の讃歌」が、越路吹雪によってレコーディングされてから、今年で70年になるという。 私が初めて、越路が歌うこの曲を聴いたのも、そのシングル盤のレコードだった。誰にも受け入れられる平易な日本語を使い、恋人たちの気持ちを素直に表現する岩谷さんの詩はとても新鮮で、詩情にあふれ、ほかにはない洒落たセンスが感じられたのを覚えている。越路の歌いぶりにも、シャンソンの枠を超え、日本人の心に響くものがあった。 しかし、この「愛の讃歌」がシャンソン最大のヒット曲とまで言われるようになったのには、やはり日生劇場での『越路吹雪ドラマチックリサイタル』の功績が大きい。当時は珍しかったプロデューサー・システムをとるこの劇場で、制作営業担当取締役を務めていた浅利慶太の友人だった私は、最新鋭の設備を誇り、ゴージャスできらびやかな雰囲気を持った日生劇場に合うスターは越路しかいないと確信し、浅利に彼女を引き合わせた。私の思惑通り、越路も、そして「愛の讃歌」もこの劇場にぴたりと合い、リサイタルの締めに歌われる定番の曲に成長していく。 越路生誕100年でもある今年7月、シャンソン喫茶の殿堂銀巴里出身で、「愛の讃歌」と同い年のクミコが、新たに録音した「愛の讃歌」と「アプレ・トワ」を含むニューアルバムをリリースする。銀巴里のシャンソンが持ついい意味でダークなイメージと、越路の歌に心酔し、その華やかさを継承するクミコが、越路同様日本語で歌うシャンソンに期待したい。今の時代、岩谷時子さんの詩で「愛の讃歌」を歌い継げるのはクミコしかいない。 安倍 寧 |