飛びぬけた才能と名曲が出会うとき。極上のエクスタシーの始まり…
屈指の実力を誇るソウル/R&B シンガー、メイシー・グレイが切り拓く新たな地平。
モダン・ロックの名曲たちを大胆なアレンジでカヴァー、新たな息吹をもたらす野心作!!
2010年リリースの『ザ・セルアウト』アルバムから2年の歳月が経過し、レコード・レーベルをSLG(429Records)に移籍して初のアルバムが遂に完成。ニーナ・シモンからメタリカまで、それぞれの時代を色鮮やかに彩る名曲の数々をプロデューサー、ハル・ウィルナー、そして2012年初頭に行った来日公演のバック・バンドであるThe Sex Fiends と共にカヴァー。あの独特の歌声とそれぞれに意外性を秘めた楽曲とのマッチング、そしてその凄まじい完成度に心が震える。
1970年、オハイオ州カントン生まれ(本名ナタリー・マッキンタイア)。
7歳でピアノを始め、両親の聴いていた音楽、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、オールド・スクール・ヒップホップといった様々な音楽に感化されミュージシャンになることを決意。ミュージシャンを目指しロスに居を移したメイシーは、自身のバンドを結成、ジャズやポップス・スタンダードを歌いプロのキャリアをスタートさせた。その才能は当然のようにミュージック・ビジネスの注目となり、アトランティック・レコードとの契約を手にするが、その才能をどうビジネス的に活用すべきか、レーベル側がマーケティングに困り、結果、契約は座礁、破棄となってしまった。失意の彼女を救ったのはepic・レコード。彼女本来のユニークさを自由なレコーディング環境のもとでパッケージすることに成功した彼女のデビュー作『オン・ハウ・ライフ・イズ』は1999年リリースとなった。一躍メイシーはそのハスキーな歌声、スタイルからニーナ・シモン、ビリー・ホリデイの再来として、シーンの寵児となった。
2000年、シングル「アイ・トライ」により、"Best Female Pop Vocal Performance "部門でグラミー賞を受賞、アルバムは700万枚というセールスをたたき出した。翌2001年に発表したセカンド・アルバム『ジ・イド』でも、「サイコパス」、「セクシュアル・レヴォリューション」、そして「スウィート・ベイビー」など、ソウル、ロック、ファンク、ヒップホップといった音楽的バックグラウンドを自在に操る幅広い音楽性が受け入れられ、驚異的な成功を収めた。リリースを受けて開催されたワールド・ツアーでは、イスラエル、オーストラリア、日本、そしてメイシー人気度の非常に高いヨーロッパ各地、スペイン、イタリア、ドイツ、オランダまでに足を運んでいる。
2003年7月には待望のサード・アルバム『ザ・トラブル・ウィズ・ビーイング・マイセルフ』をリリース。このアルバムは自身の内面を深く探り、センシティヴ、またユニークな部分を表現できるかというコンセプトに挑戦した野心作となった。結果、メディアは彼女の最高傑作と絶賛。有力紙ニューヨーク・タイムズやローリング・ストーン、ピープル、エンターテインメント・ウィークリー、さらにはロサンゼルス・タイムスのアルバム・レヴュー欄でも非常に高い評価を受けた。シングル「ホェン・アイ・シー・ユー」、「シー・エイント・ライト・フォー・ユー」はへヴィ・ローテーションを獲得、新たな彼女の代表曲となった。
2007年にはブラックアイド・ピーズの頭脳、ウィル・アイ・アムのレーベル=ウィル・アイ・アム・ミュージックへ移籍。
ジャスティン・ティンバーレイクやファーギー、リンダ・ペリー、さらにはナタリー・コールらをゲストに招き、様々なコラボレーションを実践したアルバム『BIG』をリリースし、大ヒットを記録。
まさに順風満帆といったキャリアを謳歌した彼女であったが、この『BIG』リリース以降、更に売れるために「一番売れっ子のプロデューサーとソングライターを雇って、私は痩せればいい」というアイデアが脳裏をよぎったものの、音楽業界のスター製造工場の中で知らず知らずのうちに自分を売ってしまった事に気付き、自分らしさとは何かと思い悩んだ。
「人からこうあるべきだという人間ではなく、如何にして自分らしくやっていくか」。
自分のインスピレーションに従い、そしてそれを理解してくれる人間とのみ制作活動をする。その結果、2010年、コンコードに移籍、原点に立ち戻って作り上げた、"自分らしさ"の結晶『ザ・セルアウト』をリリース。
グラミー賞ノミネート歴6回、これまでのアルバム売上枚数は累計1500万枚を記録している。