アニメソングのパイオニアであり、「アニキ」の愛称で親しまれ、トップを走り続けてきた「アニメソング界の帝王」。
1968年にデビュー以来、1971年の『原始少年リュウ』主題歌に始まり、「マジンガーZ」「キャプテンハーロック」などのアニメソングや「仮面ライダー」シリーズなどの特撮ソングを次々と歌い、持ち歌は1200曲を超える。1999年には、前人未到の「24時間1000曲ライブ」
を成功させ、「日本で一番多くの曲を歌った単独ライブ」として音楽史に足跡を残す。
フランス、中国(香港、広州、上海、厦門)、韓国、シンガポール、タイ、インドネシア、コスタリカ、ベトナム、台湾、サウジアラビアなどで海外公演を開催。2010年「上海国際博覧会」、2015年「日・中米交流年」開幕記念ライブなど、国際交流の一翼を担い、ネットの百科事典ウィキペディアでは日本人最多レベルの90言語で掲載されるなど、海外からの関心は群を抜いている。2012年、震災復興ソング「東北合神ミライガー」を発表(CDの収益は東北のこどもたちに全額寄附)。2015年より「個性伸長」の題材として、小学校の道徳教材に水木一郎の半生を描いた読み物が掲載される。オープニングテーマを新たに吹き込んだ『劇場版マジンガーZ / INFINITY』が2017年ヨーロッパ先行上映を皮切りに、2018年日本ほか世界各国で公開。2020年「タニタ健康大賞」受賞。2021年に肺がんが発覚、闘病生活を送りながらも「生涯現役」を目標に掲げ、マイクを握り続けた。
2022年12月6日惜しまれつつこの世を去る。
■水木一郎 代表曲
ぼくらのバロム1 (1972年 『超人バロム・1』主題歌)
マジンガーZ (1972年 『マジンガーZ』主題歌)
バビル2世 (1973年 『バビル2世』主題歌)
侍ジャイアンツ (1973年 『侍ジャイアンツ』主題歌)
おれはグレートマジンガー (1974年 『グレートマジンガー』主題歌)
セタップ!仮面ライダーX (1974年 『仮面ライダーX』主題歌)
がんばれロボコン (1974年 『がんばれ!!ロボコン』主題歌)
仮面ライダーストロンガーのうた (1975年 『仮面ライダーストロンガー』主題歌)
テッカマンのうた (1975年 『宇宙の騎士テッカマン』主題歌)
鋼鉄ジーグのうた (1975年 『鋼鉄ジーグ』主題歌)
コン・バトラーVのテーマ (1976年 『超電磁ロボ コン・バトラーV』主題歌)
キャプテンハーロック (1978年 『宇宙海賊キャプテンハーロック』主題歌)
ルパン三世 愛のテーマ (1978年 『ルパン三世』主題歌)
燃えろ!仮面ライダー (1979年 『仮面ライダー』主題歌)
夢を勝ちとろう (1985年 『プロゴルファー猿』主題歌)
ゼブラーマンの歌 (2004年 映画『ゼブラーマン』劇中主題歌)
道(タオ) (2007年 『獣拳戦隊ゲキレンジャー』主題歌)
■水木一郎の歩んだ「道」
1968年 | 歌謡曲の歌手として日本コロムビアからデビュー。 |
1971年 | 石ノ森章太郎氏原作『原始少年リュウ』の主題歌「原始少年リュウが行く」で、アニメソングの第一歩を飾る。 |
1972年 | 「ぼくらのバロム1」(『超人バロム・1』主題歌)発売。コロムビア ゴールデン・ディスク「ゴールデン・ヒット賞」を受賞。以後、10数回にわたりゴールデン・ディスクを受賞することとなる。 |
永井豪氏原作の『マジンガーZ』放送開始。主題歌「マジンガーZ」は当時70万枚のセールスを記録した。 | |
1973年 | 「マジンガーZ」の功績に対し、「ゴールデン・ヒット賞」を受賞。 |
1975年 | 「がんばれロボコン」(『がんばれ!!ロボコン』主題歌)、「仮面ライダーストロンガーのうた」(『仮面ライダーストロンガー』主題歌)に対し、「ゴールデン・ヒット賞」を受賞。 |
1976年 | この年から3年間、NHK『おかあさんといっしょ』にて、2代目うたのおにいさんとして活躍。 |
1978年 | 『宇宙海賊キャプテンハーロック』アルバムで「ゴールデンLP賞」を受賞。 |
1986年 | 『時空戦士スピルバン』放送開始。主題歌を担当するほか、スピルバンの父・ベン博士役で出演。 |
1994年 | 歌手生活25年にわたる幾多のヒット功績により、「ゴールデン・ディスク賞 特別賞」を授与される。 |
1997年 | さらなる飛躍のために、日本コロムビアとの専属契約を解き、フリーとなる。 |
ゲーム「スーパーロボット大戦」のボーカルアルバムを発売し、ヒットとなる。ロボットソングのライブ「ROBONATION」(現・「スーパーロボット魂」)を開催。以後、年々進化し続ける同ライブを牽引、カリスマ的存在感を示す。 | |
1998年 | アニメソングの祭典を作るべく、Anime Japan Fesがスタート。ライブ「スーパーロボット魂」を核に始まり、以後、特撮ソングの「スーパーヒーロー魂」、アニメソング全般の「スーパーアニソン魂」など展開していくこととなる。 |
1999年 | のべ5000人の観客の見守る中、1000曲の持ち歌を24時間で歌いきるという前人未到のソロライブ、「水木一郎24時間1000曲ライブ」に挑み、見事成功。音楽史に新たな記録を打ち立てる。 |
2000年 | アニメソングシンガーのユニット、JAM Project(JAPAN ANIMATION SONG MAKERS)結成。2002年、ソロ活動に重点を置くため「非常勤宣言」をするまで、中心メンバーとしてJAMを牽引。「STORM」をはじめ数々の楽曲に携わる。 |
2001年 | 堀江美都子さんとともに、香港で2日にわたりライブを展開。観客が日本語で大合唱する光景を目の当たりにする。 |
2002年 | 中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」をリリース。以後、毎試合、球場で水木ver.の歌が流れることとなる。 |
2003年 | 世界的カリスマDJ、ディミトリ・フロム・パリのオファーを受け、「ぼくらのマジンガーZ」(『マジンガーZ』エンディング主題歌)のセルフカバー「BOKURA NO MAZINGER Z(Black Version)」をリリース。 |
2004年 | 三池崇史監督の映画『ゼブラーマン』公開。劇中主題歌「ゼブラーマンの歌」が注目される。 |
2005年 | ディミトリ・フロム・パリのプロデュースでディズニー『おしゃれキャット』のテーマ「みんなネコになりたいのさ」を発表。 |
2006年 | 秋田県が生んだヒーロー、超神ネイガーのテーマ「豪石!超神ネイガー〜見だがおめだぢ〜」をリリース。秋田県内のCD売上トップにランキング。以後、ネイガー人気に拍車がかかり、全国的な注目を浴びることとなる。 |
ジョナサン・ロスがプレゼンターを務めるイギリスBBCの番組『JAPANORAMA』に出演。 | |
2007年 | 香港で「Anime Japan Fes in HK 2007」開催。「スーパーアニソン魂」と「スーパーロボット魂」のライブを行う。 |
パリで開催の「JAPAN EXPO」メイン会場にて「JAPAN EXPO AWARDS」のオープニングライブを行う。現地メディアの取材に応じるとともに、日本のテレビ番組『マンガが世界に伝えたモノ〜JAPAN IS COOL!〜』では「アニメソング親善大使」としてフランスのアニメ事情をレポートした。 | |
2008年 | 「水木一郎デビュー40周年記念ライブ〜道〜」開催。 |
『水木一郎ベスト』、CD-BOX『道〜road〜』、セルフカバーアルバム『WAY〜GRAND ANIKI STYLE〜』、『水木一郎TVサイズ主題歌ベスト』など、40周年記念盤を続々リリース。 | |
東南アジア初の本格的なジャパニーズ・ポップカルチャー・イベント「AFA(ANIME FESTIVAL ASIA) 2008」をシンガポールで開催。以後、毎年開催される「AFA」に連続ゲスト出演。 | |
2009年 | 香港で堀江美都子さんとともに、「ANIKI&MICCHI HONG KONG LIVE 2009」を開催。 |
ウィキペディアに項目の立てられた日本人の中で、最も多くの言語で掲載されているとしてニュースとなる。 | |
2010年 | 上海国際博覧会の日本公式行事「コ・フェスタ IN 上海」に出演。4日間にわたりアジア広場の観衆を熱狂させた。 |
ネットストアAmazon.co.jpにて「海外から多くの支持を受けたアーティスト」として「殿堂入り」と認められ、表彰される。 | |
2011年 | 全国納豆協同組合連合会より「納豆大使」に任命され、公認ソング「ヒーローはNever ねば Give Up!」をリリース。 |
アニメソングデビュー40周年記念アルバム『THE HERO〜Mr.アニソン〜』、DVD『水木一郎TV主題歌大全集』のほか、OVA『かってに改蔵』主題歌「かってに改造してもいいぜ」、『水木一郎 キッズ ソング・ベスト!』など連続リリース。 |